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バルカン半島

ゴールデン・ウィークに、バルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国と、アルバニアに行ってきました。

1月に「訪問国数は?という難問」という記事で書いた通り、今回のおもな旅行目的は、行ったことのある国の数を増やすこと。

ただし、訪問国数を増やす目的もありますが、旅そのものへの期待も。
バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と言われるように、様々な系統の民族が住んでいます。
政情が安定しないのと引き替えに、「文化の多様性がある」という面白さがあるのです。

旅の基点を、旧ユーゴスラビアの首都・ベオグラードとし、旧ソ連時代からの歴史を引き継ぐ、アエロフロート・ロシア航空のモスクワ経由便に搭乗したのです。

アエロフロートは昔から「安いけれども、サービスが悪い」と言われる航空会社で、ロシアが社会主義国ではなくなった今でも、相変わらずエコノミーの座席は狭くて、機内食も不味い。

おそらくモスクワを中継地として、ヨーロッパからアジアまでマイナーな都市を含めて短い飛行距離で結ぶ路線網を持っているのがアエロフロートだけので、競争原理が働かないためと思われます。

成田空港を昼に出て、モスクワ空港で乗り継ぎ、ベオグラード空港に午後10時着。空港近くの安宿で1泊します。
翌朝、空港でレンタカーを借り、バルカン半島を巡るドライブに出発します。

まずは、ベオグラード市内に入って、NATO軍による空爆で破壊されたビルを見に行きます。

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ユーゴスラビア解体後の内戦や紛争は色々あって、国際社会のなかではセビリアが非難され続けていました。

民族間の紛争なので、善悪の話はそう単純でもないらしいのですが、セビリアの首都であったベオグラードはNATO軍の攻撃を受けた。セビリアはその屈辱を忘れないために、被弾した建物を解体しないでおいたとのこと。

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まあ、このビルがセビリアの国防省に関わるものだけに、軍のプロパガンダという側面もあるようですが……。

その後、高速道路を通って、クロアチアの首都・ザグレブへ。
ザグレブは宿泊のためだけに立ち寄った街ですが、歴史と活気のある中都市という印象でした。

旅行3日目は、スロベニアに入ってポストイナ鍾乳洞を訪れます。
ポストイナはヨーロッパ最大級の鍾乳洞で、日本でもっとも有名な秋芳洞よりかなり大きい。

まず、入口から鍾乳洞内をトロッコ列車に10分ほど乗って、約2km奥に進みます。
天然の鍾乳洞内を列車が走るのは、珍しいのではないでしょうか。

トロッコの到着駅から、1.8kmほどの周遊路を歩きます。
そして、復路もトロッコに乗って出口に向かうのです。

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ライトアップも洗練されていて、なかなか見応えがありました。

4日目は再びクロアチアに入り、西部のプーラという街を訪問。
ここには、古代ローマ時代の円形劇場が、残っています。

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本家ローマの円形劇場に比べると、簡素なのかもしれませんが、東洋人の私が見ると、ヨーロッパ古代文明の残り香を存分に感じることができます。

午前中にプーラを見た後、アドリア海沿岸をひたすら東に走ります。

アドリア海は地中海の一部で、晴れた時には、海もきれいな青色になります。
車はずっと海沿いを走っているわけではないし、田畑や山中を走っている時間も長いのですが、時々は絵にかいたような美しい風景が見られます。

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プーラから約300Km走って、シベニク到着。
シベニクも中世の街並みが遺されているのですが、歩いてみるとそれほど雰囲気がなく、1泊しただけで次の目的地、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルを目指します。

ボスニア・ヘルツェゴビナは総人口の4割以上がイスラム教徒。
キリスト教徒とイスラム教徒が同じ国内に居住していることから、激しい内戦も起きました。

今は政情も安定していて、ヨーロッパではもっとも西側のエリアで、アラブ世界の雰囲気を感じることができます。
モスタルの町にも、オスマントルコ時代の建造物が多く遺されています。

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数時間、モスタルに滞在した後、三たびクロアチアに入り、「アドリア海の真珠」と形容される、美しい城郭都市ドブロブニクへ。

ドブロブニクには、学生時代にも行ったことがあったのですが、当時はまだ社会主義で観光客もそれほど多くなく、中世の面影を遺す美しい街でした。

しかし、四半世紀の時を経て再訪したドブロブニクは、世界中からの観光客でごった返しています。
夜にはクラブの大音響が響き、ネオンサインがきらめき、レストランの値段は高騰し、すっかりテーマパークのようになっておりました。

まあ、中国やインド、東欧諸国などの人々が海外旅行に行けるようになったのはよいことなのでしょうが、観光客が多くなりすぎるのも弊害もあるものです。
今、京都などでも「観光公害」が問題になっていますが、ヨーロッパ内にあるドブロブニクはその傾向が強いのかもしれません。

6日目は、さらに南下して、モンテネグロに入ります。
人口60万人くらいの小国ですが、これといって見どころがなさそうなので走り抜け、アルバニアに入ります。

アルバニアは今回の旅で、唯一、旧ユーゴスラビアではなく、東西冷戦時から独立国でした。
さらに他の社会主義諸国とも折り合いが悪く、「鎖国」をしていた時期もあります。
1970~80年代には「ヨーロッパの秘境」と呼ばれていたのですが、さすがに現在はふつうの国になっておりました。

とはいえ、少し幹線道路を離れると、羊とオジサンがのんびり歩いているような、長閑さなのですが。

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アルバニアでは、「千の窓の町」と呼ばれるベラトを訪れます。
建物の2階に大きな窓があるのですが、1階には窓がありません。
1階は壁だけであることの代わりに、2階に明かり取りの大きな窓があると。

これも、キリスト教とイスラム教の勢力範囲がたびたび変わるエリアなので、防御の意味があるらしいです。

アルバニアから、峠を超えてマケドニアに入ります。
「マケドニア」と言えば、アレクサンダー大王時代の国名を蘇らせたものですが、すっかり民族が入れ替わっていて、古代マケドニアの後継者ではないと言えます。隣国のギリシャからクレームが入って、「北マケドニア」に国名を変更するそうです。
とはいえ、ギリシャも長い歴史で民族が入れ替わっていて、古代文明を築いたギリシャ人の末裔とは言えないそうなのですが…。

マケドニアは国土の中部から北部まで車を走らせたのですが、とくに何も見ませんでした。
ガイドブックを読むと、あまり見所がなさそうだったからですが、国名変更で話題になるのだったら、どこか見ておいたほうがよかったかもしれません。

マケドニアのスコピエで2泊し、たまっていた洗濯物をランドリーに出し、日帰りでコソボ共和国を訪問。

オスマントルコ時代の町並みがある、ペチを訪問します。
旧市街のメインストリートだけ、木造の建物が軒を連ねているのですが、他のエリアはコンクリートや石造りの四角い建物ばかりなので、観光用に再現したのかもしれません。

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ペチからの帰路、丘の上から街並みを撮影していると、警察に拘束されました。
後続のパトカーから警報音を出され、「交通違反かいな?」と思って車を停めると、パスポートと車検証を取り上げられ、車ごと警察署までついてくるよう指示されたのです。

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(拘束の原因となった風景写真)

最初は何の容疑かわからず、戸惑っていたのですが、英語で尋問を受けるうちに、「スパイ容疑」ということが分かりました。
私はセルビアのベオグラードで車を借りたのですが、セルビアナンバーを着けた車のドライバーが、丘の上から写真を撮影したことが問題になったと。

セルビアは今でもコソボの独立を認めておらず、コソボからセルビアに陸路で入ることも認められていません。
サッカーのワールドカップで、コソボから移民したスイスの選手がゴールを決めた後に、鷲を象徴する手ぶりをして問題になりましたが、そのぐらいデリケートな問題だったのです。

拘束されて初めて「軽率な行動だったかな?」と思いましたが、民族問題の根深さを知るには、いい経験でした。
植民地支配から解放されて70年以上経つ韓国でさえも、まだ日本にわだかまりがあるようなので、セルビアとコソボの和解にも時間がかかるのかもしれません。

その日のうちにマケドニアのスコピエに戻って一泊し、次の日にスコピエから高速道路を走って、ベオグラードに戻ってきました。ベオグラードから、モスクワを経由して、成田へ。

現地8日間、往復の飛行機を含めて10日間の長い旅でした。
8日間の走行距離は3300km。
短期間でこんなに長い距離を走ったのは、初めて。

日本と違って、道があまり混んでいなくて、信号も少ないのですが、それでも1日平均400キロ以上の運転は疲れました。
3分の2くらいは高速道路で、あとは一般道。

まあ、8日間で8ヵ国を巡る強行軍だったので無理は承知だったのですが、日中の3分の2くらいは車の運転に費やしていましたね。

今回、巡った8ヵ国のうち、セルビアとクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビア時代に訪れたことがあるので、新たに訪問したことになるのは、スロベニア、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア、コソボの5ヵ国。
8ヵ国すべて通貨が異なるので、両替が大変でした。
数時間滞在の、ボスニア・ヘルツェゴビナでは両替をせず、お金も使いませんでした。

しかしこれで、私の訪問国総数は、80ヵ国に。
まだまだ先は長いのですが、100ヵ国訪問が少し見えてきたかもしれません……。
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プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は知財・契約管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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