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中国東北部紀行

10月1日から10日まで、中国東北部に行ってきました。
中国を訪れるのはこれが7度目なのですが、東北部を旅するのは初めて。

「かつて日本が侵略した地域」という負い目からか、これまでは何となく避けてきたのですが、中国は南部(雲南省)にも、西部(新彊ウイグル自治区)にも行ったことがあるので、「今度は東北部が、面白いかも…」と思い、目的地にした次第です。

10月1日、茨城空港から格安エアライン(LCC)の春秋航空に乗って、上海へ移動。燃油サーチャージや空港使用料を含めても片道1万3000円ほどと安い。東京から大阪まで新幹線で行くのと同じです。

機内の座席は狭く、背もたれも薄いうえにリクライニングしませんが、3時間程度なら我慢できます。

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そして翌2日、もう一度春秋航空に乗って、上海から大連へと移動したのです。

大連は、ロシアが町と港の骨格を作り、日露戦争に勝利してこの町を奪った日本が、大陸への玄関口として発展させます。

今でも市内中心部の広場周辺には、日本統治時代の官庁、銀行、ホテルなどの重厚な建物が並び、戦後は一部用途を変えながら使用されています。

これらの建物はそれなりの歴史遺産になっているらしく、中国人の観光客もいるし、新婚カップルの記念写真の背景などとしても使われています。

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また、大連市内には、日本統治時代に製造された路面電車がまだ走っています。

戦前に作られた電車が現役なのは、日本国内では阪堺電気軌道と広島電鉄の2カ所だけ。古い電車の愛好家としては、とても興味深い乗り物でした。

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が、この電車は「負の歴史」も背負っています。

実質的な日本統治(満州国)時代、外国人(日本人など)用の電車と、中国人用の電車が分けられていました。

そして外国人用の列車には座席があるのですが、中国人用の電車には座席がなく、立ちっ放しで乗らなくてはいけなかったのです。
「満州国は独立国」「八紘一宇」などの建前はさておき、支配者と被支配者の間に明確な差別があったわけです。

車内の様子は、電灯の形などもあそらく製造当時のままであるのが、すばらしい。

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大連市にどういう意図があってこれらの電車を今も大切に使っているのかはわかりません。が、中国各地から来たとおぼしき旅行者も写真を撮っていたところから察するに、観光資源になっているようです。

大連には、ロシア租借時代の町並みも再現されています。これもロシアに支配されていた歴史を物語るのですが、再現された町並みには観光客が押し寄せています。

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うーん。こういうところは、中国人の「転んでもただでは起きない」したたかさなのでしょうか?

大連では、日露戦争の激戦地、旅順要塞(東鶏冠山北堡塁)も見てきました。乃木希典が指揮する日本軍が総攻撃を仕掛けて、おびただしい死傷者を出したところです。

要塞は分厚いコンクリートで構築され、戦車による砲撃くらいではびくともしなさそうな堅牢さ。最終的にはよく攻略したものだと思う半面、この日露戦争勝利による「大和魂」への過大な評価が、第二次世界大戦を引き起こし、日本を敗戦に導いたと言えなくもなく、複雑な気持ちになります。

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10月4日に大連から、鉄道に乗って長春に入りました。
長春は日本統治時代、傀儡政権である満州国の首都がおかれ、「新京」と呼ばれた町です。
この町の見ものは、1933年に建てられた旧関東軍総司令部です。

「日本人が建てた、最後の城」と言われます。

昭和期以降に再建された観光用の天守閣(復興天守)は、大阪城をはじめ、全国各地にありますが、戦争のためにつくられた拠点としての「城」という意味では、これがもっとも新しい。

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このような和風の「城」もどきを、どうして外国に建てる必要があるのか。理解し難い感覚です。そもそも日本軍は、西洋式の軍備を整えて近代化を図ったはず。「城」は旧時代(江戸時代以前)の象徴として、各地で破却もしくは放置されました。

それが満州事変以降、軍部の気分が高揚して、日本の権威の象徴として「城」もどきの建物を作ってしまったようです。

実はこの「城」は、写真では樹木に隠れてよく見えないのですが、3階建てビルの上に乗っかるように建っていて、オフィスとしては、なかなかしっかりした建物です。

第二次世界大戦直後に関東軍が去った後、国共内戦を経て、現在は中国共産党の吉林省委員会が使っています。

旧支配者の立てた「城」を、破却もしないでそのまま使うのが、中国らしいアバウトさと言えるかもしれません。漢民族以外による支配を受けた経験(元、清など)があるから、旧支配者の立てた建物を居抜きで使用する文化があるのでしょうか?

長春の後、ハルビンに移動します。
ハルビンもロシアの色が濃い町で、中央大街という通りには、ロシア租借時代の建物が並んでいます。そして、ここも地元の若者や観光客で賑わっているのです。通りには、欧米のブランド店が軒を並べていました。

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10月5日、ハルビンを夜行列車で発ち、黒河という中ロ国境の町を目指しました。
黒河の町の北側には黒龍江(アムール川)が流れていて、対岸にはロシアの町があります。

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川のこちら側はアジア、あちら側はヨーロッパ文化圏です。
ユーラシア大陸を南側で横断すると、両文化圏の間に、インド文化圏やアラブ文化圏があって、アジア文化圏とヨーロッパ文化圏が直接対峙することはありません。

対してここは川一本隔てて、両文化圏のコントラストが鮮やかなのではと予想していたのですが、中国もハルビンや黒河あたりまで来ると、建物のデザインがロシアの影響を受けていて、歩いている人が中国人かロシア人かの違いだけのような気がしました。

とくに黒河の町は、ロシアとの国境貿易で潤っているようで、お店の看板も中国語とロシア語の併記が多い。アジア文化圏とヨーロッパ文化圏は、ゆったりと交錯していて、その境目は曖昧だというのが、私の印象でした。

あと、この黒河という町では、「国境紛争」について考えさせられました。

かつて中国とロシア(ソ連)は、領土紛争を続けていました。武力衝突をしたこともあります。

ところが粘り強い交渉を断続的に進め、2008年までにすべて国境を確定させたのです。両国とも国家権力が強い(日本ほどは言論の自由がない)から、国民の反発を押さえ込めたことがあるかもしれません。
今では、ハルビンや大連にもロシア人観光客の姿が見られ、両国の貿易も盛んだそうです。

黒河でも、国境はのんびりしたムードで、中国側から出航した黒龍江(アムール川)の遊覧船は、ロシア対岸間近を航行します。遊覧船から見る限り、国境警備兵は皆無でした。

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(ホテルの窓より、中国側の遊覧船を撮影。背後に見えるのがロシアの街)

ひるがえって日本はどうか?
韓国と領有を争っている竹島は、島としてはたいした価値がないのに、いつまでも解決しない。漁場としては惜しいけど、韓国には色々迷惑をかけた歴史があるのですから、譲ってもいいのではないかと思います。

北方領土も、日本とロシアは昔から領土を取ったり取られたりしている間柄で、最後の戦争(第二次世界大戦)に日本が負けて(ソ連の参戦は中立条約の一方的な破棄だから、理不尽だと思いますが)、サンフランシスコ講和条約で、日本は樺太も千島も放棄しているのだから、強く権利を主張しにくいところもあります。

尖閣諸島は、歴史的には日本の領土だと思いますが、海底の地形というか地理的には、中国の大陸棚に乗っています(だから石油などの資源がある)。海底資源が平等に行き渡るように分けてしまえばいいのではないかと思います。

中ロ国境の町の活況を見ると、本当に国を愛するならば、領土問題はお互いに譲りあったほうがいいと、つくづく思うのです。

黒河からハルビンまでは、昼間の列車で移動。秋の田園風景が綺麗でした。

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10月8日朝にハルビンから天津行きの高速鉄道に乗り、天津で1泊してから、9日に高速鉄道で上海に戻る計画でした。
ところが、ハルビン発の列車に乗り遅れたのです。

原因は、ホテルからハルビン駅に向かうタクシーがまったく捕まらなかったこと。
来るタクシー、来るタクシー、すべてに先客が乗っているのです。

まったく、バブルの頃の日本のようでした。

時間が迫ってきたので、遠回りを承知で相乗りを試み、運転手も道を急いでくれたのですが、数分の差で改札口の締め切りに間に合いませんでした。

実はハルビンから、北京、天津方面は、列車がかなり混んでいて、やっと手に入れた高速鉄道の切符だったのです。その「虎の子の指定席券」をフイにしてしまい、茫然自失。

どうしようか。帰国まであと2日で、2560キロ(鉄道の乗車キロ数)も離れた上海まで移動しなければいけない。
車窓風景を見る楽しみを捨てて、飛行機に乗ろうかと悩みました。

ハルビン駅の電光掲示板に、列車ごとの行き先と残席数が表示されるのですが、北京行き、天津行きは、翌日いっぱいくらいまで残席ゼロ。

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途方に暮れながら掲示板を見ている時、重慶行きの快速列車にわずかな空席(寝台)があることに気がつきました。
重慶といえば、上海から見て長江の上流。「とにかく南のほうに行けば何とかなるさ」と思い、時刻表でその重慶行き快速列車の経由駅を調べて、天津までの切符と、天津から上海までの切符を買いました。

そうして、ほうほうの体で上海に戻ってきて、10月10日に茨城行きの飛行機に乗ったのです。

大連から、長春、ハルビン、黒河、ふたたびのハルビン、天津、上海まではすべて鉄道利用で、合わせて4688キロ。アメリカ大陸横断くらいの距離です。いくら私が鉄道好きとは言え、疲れました(中国の鉄道は進化していて、レール幅が広いこともあって、日本より乗り心地はいいのですが)。

そもそも、鉄道事故が続いている中国で、そんなに乗るのはアホなんですが…。

が、各都市、見どころがあり、日本、ロシア統治時代の遺構が奇妙な共存をしていて、興味深い旅でした。
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プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は書誌情報の管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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