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帰国

アラスカでオーロラを堪能した私は、1月5日にフェアバンクスからアンカレッジ経由でシアトルに移動し、翌6日発のノースウエスト航空で東京に帰ってきました(成田着は7日の夕方)。

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(アラスカの山並み)

飛行機が九十九里浜沖に差し掛かり、日本の国土が見えてきたときの気持は、「何とか無事に旅行を終えられてほっとする」気持ちが半分と、「世界一周の達成感」が4分の1くらい、「翌日からの仕事や用事を考えはじめてうんざりする」気持ちが4分の1くらいでした。

日程通りに帰ってくるというのは、この旅の「至上命題」でした。
有給休暇の活用で旅行しているので当たり前なのですが、ボリビアのラパスから疲労の色が濃くなって体調がすぐれず、一時はアラスカ行きを断念しようかとも思ったので、ペースを落としながらも旅がまっとうできたことは幸いでした。

それがイコール純粋な「世界一周の達成感」かというとそうでもなくて、68日間という制約のなかで見どころの「つまみ食い」のような旅程になったことと、一周するのが2度目だったので、1度目ほどの感動はなかったような気がします。

それでも、これといった事故もなく、病院にかかることもなく、見たいと思ったものはほとんど見られたので、旅行そのものは成功の部類に入るでしょう。

問題は、この体験を仕事や、あるいは何か他の表現方法でもいいのですが、自分自身や社会に投影できるかでしょう。
パラグアイ以降パソコンの調子が悪くなって、このブログに書けなかったことは結構あるし、それ以前でも考えたけれど書いていないこと、見聞(人との出会いを含めて)して印象に残ったことはあるのですが、書いていないことは結構あります。
あるいは、日本で調べ直したいこともあります。

それをこのブログに加筆する形でまとめていくのか、全部書き直すのかは、これから試行錯誤しながらやっていきます。

この旅を計画した2008年の春には日本経済も世界経済もまずまず好調だったのですが、出発前にアメリカ発の金融危機が起こり、旅行中に全世界的な製造業の苦戦も浮き彫りになりました。私が働いている業界にも不況の風は吹き荒れています。

「こんな旅をしていていいのか?」と思いつつ旅を続けていました。

それは不測の事態だっから、仕方がないと言えば仕方がない。

旅から帰ると同時に不況の嵐のなかで次の仕事をし、かつ旅の経験を活かす方策を考えます。

このブログにはエピローグがつくかもしれません。
また時々、このページを覗きにきてください。
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オーロラ

アラスカのフェアバンクスで、オーロラを見てきました。

私は子供の頃から空や星を見るのが好きでした。
都会と比べると夜空の綺麗な奈良県(空気が澄んで、月の出ていない夜は天の川も見えました)で育ったせいか、周囲にも天体好きが多くて、望遠鏡や双眼鏡でよく星を眺めていたものでした。

大人になってからも、流星群や彗星、日食や月食はできる限り見ていたのです。
もちろん東京では見えないので、遠出をしてですが……。

28歳の時にタイで皆既日食を見て、「今度はオーロラが見たい」と思っていたのですが、日本からヨーロッパ行きの飛行機がアンカレッジに寄らなくなって(東西冷戦の終結でシベリア経由の直行便になった)、アラスカに行きにくくなっていたのです。

建築家の小泉雅生さんから「アイスランドに行けばいくらでも見える」と聞いたことがあったのですが、アイスランドというのもどうやったら行けるのかいまいち判らない。

とか何とか考えているうちに、10年以上延び延びになっていたのです。

今回、世界一周航空券の路線図を見ているときに、アラスカが含まれていることが判り、北アメリカ大陸はどうしても再訪したい場所があるわけでもないので、アラスカを目的地にしました。

ペルーからアラスカへの強行軍は、ちょっときつかったです。

それ以上の問題が、アラスカの寒さでした。
オーロラ観測だけが目的の旅なら、日本でそれなりの準備ができたのですが、世界一周の途上なので靴も服もまったく対応できていない。

加えて私自身に極寒地の経験があまりないので、どんな準備が必要なのかもよくわからない。

学生時代、シベリアのイルクーツクとバイカル湖に行った経験を元に、まずペルーでアルパカ製の耳までかかる帽子と手袋を、シアトルでダウンジャケットとフリース製のインナーパンツを購入しました。それで「足元が不安だけど、何とかなるか」と思っていたのですが……。

アンカレッジからフェアバンクス行きの飛行機で、機長が「フェアバンクスの現在の気温はマイナス41度です」とアナウンスしたときに、機内にどよめきが起きました。続けて「今日はアイスバーガーが食べられますよ」と冗談が出たくらいの、現地でもこの冬一番の冷え込みに見舞われたのです。

フェアバンクスに着いた飛行機のドアが開かなくて、解凍作業の間10分ほど待たされました。

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(空港での荷降ろし作業)

空港を出て息をした途端、「肺が凍りそう」という恐怖にとらわれました。
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私がシベリアで経験した寒さというのは、マイナス20度くらいです。
その時の経験がほとんど役に立たない。
マイナス40度となると、もっと真剣に対策を考えなくてはいけないでしょう。

とりもなおさず、タクシーでフェアバンクス市内の宿に向かったのです。

翌日からは、フェアバンクス郊外の「チャタニカ・ロッジ」という宿でオーロラ観測です。

その宿は1泊65ドルの安ロッジで、市内との送迎はやっていませんでした。
予約した際に、「送迎はジャパン・アラスカ・ツアーズに相談してくれ」と言われていました。
その旅行代理店と相談し、防寒具一式のレンタルを受けて、スーパーマーケットでフェイスマスクを購入することにしたのです。

年越しは「タウンサイトB&B」という市内の宿でおこない、元旦に「チャタニカ・ロッジ」に向かいました。
そこから5日の朝まで4泊、オーロラ観測に充てたのです。

フェアバンクスでオーロラが出現するのは年間およそ240日と言われています。
まあ、4泊すれば一度は見られる可能性が高い。
.
出現の可能性が高いのは午後11時から午前2時なので、30分に1回ペースで外に出て、オーロラが出ていないかチェックします。

1月2日の深夜から3日の未明にかけて、綺麗なオーロラを見ることができました。

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この写真を見ると地味に感じるかもしれません(カメラの性能上の制約がありました)が、ポスターになるようなカーテン状の明るいオーロラはもともと滅多に見られなくて、実際の空もこれより少し多くの模様が見られる程度です。

それでも、雲と違って自ら発光することと、模様の変化が早いので、見とれてしまいましたね。

ただし外気温はマイナス40度ないし50度ですから、あまり長い時間眺めていられません。
断続的にロッジの部屋に戻って体を温めながら、見ていました。

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(ロッジ周辺の林)

昼間やオーロラの出ていない夜は、『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)の続きを読んでいたのですが、これはなかなか幸せな時間でしたね。
世界文学の最高峰と言われる小説を、ロシアとほぼ同じ気候(ちなみにアラスカは、昔はロシア領だった)のなかで読めるのですから。
この小説の登場人物は皆、饒舌で、神のことや、人間の存在についてあれこれ考えるのですが、こういう気候だと、考えたり話したくなるのが不思議ではないような気がします。

かくして「命の洗濯」には格好の状況だったのですが、運動不足とアメリカンフードで身体は「スーパーサイズ・ミー」(マクドナルドを風刺した映画)になりそうでした。

マチュピチュ

明けましておめでとうございます。

現在私は、ペルーからアメリカ・アラスカ州への大移動を終え、フェアバンクスで年越しをしました(ついでに大晦日に42歳になりました)。

ブログのほうは、話がクスコ到着までで途切れていたので、その後のペルー滞在について記します。

クスコに着いてからも、風邪と高山病で体調があまり上向かなかった私は、訪問場所をマチュピチュなど数ヶ所に絞りました。

25日には、列車とバスでマチュピチュに日帰り旅行。
ここも20年ぶりの再訪なのですが、初回ほどではないにせよ、その美しさと威容に息を飲みました。
よく写真で紹介されるアングルから2時間ほどぼんやり眺めていたのですが、「よくこんな所に街を作ったな」と思います。

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かつてマチュピチュは「スペイン軍の攻撃から逃れるため造営された」と言われていたような気がするのですが、どうもスペイン侵攻以前からインカ帝国の離宮だったらしい。

離宮だとすれば、奈良の吉野に少し似た場所のように思えます。
吉野も山の尾根づたいに造られた町で、源義経や後醍醐天皇が逃げ込んだ「避難所」としての役割があったからです(場所は少し違うと思いますが、後に天武天皇となった大海人皇子が隠棲したのも吉野山の近くです)。

そしてクスコでは、市内の「12角の石」や、郊外の要塞跡である「サクサイワマン」などを訪問しました。
いずれもインカ文明のすぐれた石材加工技術を見ることができます。

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(12角の石)

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(サクサイワマン)

クスコは、とくに中心のアルマス広場周辺が、リゾート地のように発展していました。
広場に面したレストランは、1食30ソル(900円)超が当たり前という雰囲気で、私も宿の人に安めのレストランがどこか聞いてから向かわなければいけませんでした。

いわゆる「ディスコ」もあって、私も一度だけ他のツーリストに連れていかれました。酒を飲んだ後、そんなところで踊れば高山病が悪化するのは目に見えていたのですが、「どこじゃいな、ここは?」と思いながらも、少し踊らされました……。

そんなこんなで、結局なかなか体調が回復せず、「この先の強行軍を考えると少し休まないとダメだ」と思いが至り、27日にクスコから飛行機で首都のリマ(とりあえず標高が低い)に移動したのです。

リマでは「当山ペンション」という日系人経営のホテルに投宿し、ナスカの地上絵遊覧飛行やリマ市内の観光などはまったくしないで、2日間を完全休養に充てました。

30日未明の飛行機でリマからアメリカ合衆国のヒューストンに、そして飛行機を乗り継いでシアトルに移動しました。

シアトル市内で、アラスカの寒さ対策としてダウンジャケットとインナーパンツ(登山用のズボン下)を購入し、ホテルで仮眠をとった後、31日の午前3時に空港に向かい、アンカレッジを経由して昼にフェアバンクに到着したのです。

※この後に向かう、フェアバンクス近郊の山小屋(オーロラ観測拠点)にネットが通じていない可能性があり、次の更新が遅れるかもしれません。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は知財・契約管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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