FC2ブログ

高原列車

プーノからクスコまで、列車に乗りました。

ここは、テレビ番組「世界の車窓から」でも取り上げられる名路線です。
アンデスの山々を眺めながら、標高4000メートルを超える高原を列車が走るのです。

かつては、観光客と地元の人が同じ列車に乗って盗難も多かったのですが、今では観光客専用の列車が走っています。

P1020867.jpg

P1020928.jpg
(ラウンジカーでのフォルクローレ公演)

P1020992.jpg

この列車は「アンデス・エクスプローラ」といって、プーノ~ラパス間の料金が143米ドルします(バックパッカー向けの車両は廃止されていた)。

正直言って、私は観光用の「豪華列車」が好きではありません。

「格差社会」そのものに違和感があるからです。

といっても、鉄道はこれしかない。
他の移動手段はバスになるので、仕方なく乗りました。

20年前は地元の人も乗っていた列車に観光客だけで乗るのは不思議な感じがしましたが、風景は昔と変わることなく美しかった。

P1020940.jpg
P1020962.jpg
P1020979.jpg

高原と山、それらが牧草地や農地と織り成す光景が美しい。

乗客は、やはり裕福な外国人が多かった。
4人掛けの席で、相席になったのはアイルランド人の3人連れ。ひとりはロンドンの銀行で働いているのですが、「CEOは首になったけど、僕は大丈夫」と言ってました。もうひとりは新興SNSのCEOだそうで、私に「日本でのパートナーになるか、パートナーになれそうな人を紹介してくれないか」と言ってきました。
「おいおい。ここは東京ミッドタウンでの異業種交流会かよ?」と思ってしまいました。私は、豪華列車にそこはかとなく漂う「上昇志向」が嫌いなのかもしれません。

それでも色々と面白い人が乗っていて、通路向かいのフランス人は「ミレー」ブランドで知られるアウトドア用品メーカーの、日本法人の幹部でした。
「この人なら、フランス人と日本人の働き方の違いを知っているに違いない」と思って色々と話を伺いました(彼の恋人に日仏翻訳してもらいながら)。

私の一番大きな関心事である「ヨーロッパ人は長期休暇を取れるのに、なぜ日本人は取れないのか」に関しての答えはこうでした。

「フランスでは、休暇は年7週間。休みを取る際にかならず代理の人を立てて、業務はその人に任せます。あと、夏のバカンスシーズンは仕事が動かない前提で社会が成り立っていることもあるでしょう」

「皆がバカンスを取る」という前提で、仕事をカバーしあう態勢があるかどうかが、カギのようです。
それで、フランス人の労働生産性が日本人より劣るという話は聞いたことがないので、どうして彼らにできて我々にできないのか、不思議な気がしました。

あと、「フランス人はパリでは誰もフリースを着ないのに、昨日プーノで会ったフランス人は全員フリースを着ていた。なぜペルーでは着ているのか?」と、聞くと「フランス国内では暖かくて便利なだけの安物の服と思われていて、郊外に住んでいるような人(=移民や外国人労働者)しか着ない。ただアウトドア用品としては認められているので、旅行に出れば着ます」とのことでした。

日本人はフリースにあまり偏見を持たず町中で着ているのに、フランス人は変なところで意地を張るんですね。
それでセーターの上から着古したジャンバーやピーコートを着て、寒そうに歩いています。

これもお国柄というか、国民性の違いなのでしょう。

という訳で、「豪華列車は好きではない」のですが、それなりに楽しみました。

ただ、私としては地元の人が乗る1等車か、バックパッカーが乗るくらいの気軽な列車のほうが性に合っているのですが……。
スポンサーサイト



プーノのレストランで

更新が遅れてすみません。

風邪は寝込むほど悪くはならなかったのですが、高山病と併発したのでなかなか体調が戻らず、ペースを落として旅行していました。

プーノではチチカカ湖に浮かぶウロス島を訪ねました。

ここはトトラという葦を重ねて浮島を造り、その上にインカの末裔が家を作って暮らしているのです。
世界でも珍しい生活様式で、テレビなどでもよく紹介されています。

20年前は割と素朴な雰囲気だったのですが、見事に「観光地化」されていました。
草製の家数が増えて、新しく立派になっていたのです。

P1020829.jpg
P1020814.jpg
P1020843.jpg

まあ、マチュピチュが世界遺産中屈指の人気を集めるようになって、この辺りに来る観光客が増えたので、商業化は致し方ないのかもしれませんが、少し興醒めしました。

プーノの町も、中心街が歩行者天国になり、一見清里や軽井沢のようなリゾートに変貌していたので.す。
ツーリストポリスが大勢立って警戒しているせいか、治安も随分良くなったようです。

長旅の疲れもあって、アスンシオンやラパスでは日系のホテルに泊まって日本料理店で食事をしていたのですが、プーノではヨーロッパ人旅行者を誘って、しばしば食事に行きました。

私が南米大陸に来る前に、ヨーロッパに滞在していたことを話すと、「何を見たか」「どう感じたか」を聞かれます。

イギリス人にアムステルダムの印象を聞かれ、前掲のブログで書いたように「パリよりもエスニックの表情が明るかった」と答えると、「パリの黒人や中東系の表情が暗いのは、サルコジ大統領の移民排除政策のせいだよ。彼はファシストだから」と説明されました。

フランス人に「パリで何を見たか」と聞かれ、デパートで見たデモの話(その引き金が営業時間の延長であることを含めて)をすると、「それは、サルコジの経済政策のせいだよ」とまたまた批判。

どうもサルコジ氏の評判は良くないようです。

そのフランス人旅行者によると、「サルコジは身長が低いので、かさ上げする靴を履いている」とのこと。

「ファシスト」で「シークレット・シューズ愛用」?
まるで東アジアのどこかの国の「偉大なる指導者様」のようです。

まあ、民主主義の国で、選挙で選ばれた大統領だから、そんなにひどくはないと思いますが……。

でも、ジョージ・ブッシュ(ジュニア)がいるから、そうとも言えないか?

P1020855.jpg
(フランス人旅行者と。皆、フリースを着ていた。その理由は次回ご説明します)

風邪と親切

19日にラパスを出た私は、バスでペルーのプーノに向かいました。

このラパスから、プーノ、クスコ、マチュピチュまでの旅路は、20年ぶりの再訪になります。
前回旅をしたとき、ここはすごく良かった記憶があるので、今回も行程に組み入れました。

ラパスからプーノまで、バスは高原のなかを走り、車窓からは深い青色(藍色か紺色に近い)のチチカカ湖が眺められます。
この青色というのは本当に美しくて、透明でかつ黒みがかっていて、見ていると心が洗われたのです。

高度があるので大気が薄い分だけ太陽光線が屈折しきれず、空が青黒いので、湖面もそれを反映して深い青色になるのです(それはここだけの現象ではなく、パミール高原の空や湖もやはり青黒くて綺麗でした)。

今回もそのチチカカ湖に期待していたのですが、バスのルートが替わっていたのか車窓から湖があまり見えなくなっていたのと、雨季で雲が多くて湖面の色もさほど美しくありませんでした。

P1020751.jpg
(ボリビア側の高原の道)

P1020783.jpg
(国境の露店)

P1020799.jpg
(バスから見えるチチカカ湖)

さらに折悪く、ラパスで風邪をひいたのがこのバスで悪化して、プーノに到着したときは、熱が上がってダウン寸前になっていたのです。

世界一周旅行というのは独特の難しさがあって、暑い場所、寒い場所、乾燥地帯と環境が次々と変化します。
上海は涼しくて、アジアを南下するにしたがい暑くなりました。イエメンは昼が暑くて夜はかなり涼しい。ヨーロッパは昼も夜も寒い。ブラジルに行くと真夏。暑さはボリビアのサンタクルスまで続きました。ところがラパスは標高3700メートルなので曇っている日中や夜は、かなり寒いのです。

旅に出てから50日。これまで体調には気を配っていたのですが、ラパスで高山病と相まってついに崩れたのです。
ラパス到着日に長い時間、寒い中で空港で荷物を待っていたからかもしれません。

ラパスのバスターミナルで出発を待っているときに悪寒がして、最初は高山病でしんどいのかと思っていたのですが、バスが出発してから「これは風邪だ」と気がつきました。

プーノまでは5時間だったで、そのまま向かってプーノで療養することにしたのです。

プーノに着いたのは夜で、バスターミナルからタクシーに乗り、オスタル・ヴィレーナという宿に転がりこみました。
夜は発熱などで苦しくてよく眠れず、今後の旅程も含めてどうしようかと悩みました。

ここからマチュピチュまではすでに行ったことがある訳で、最悪の場合放棄してもいい。
旅行先で体調を崩すと日本に帰りたくなるのですが、「とりあえずここは静養優先で回復に努めて、アラスカには何とか行こう」と気を取り直して眠りについたのです。

このオスタル・ヴィレーナは町の中心部からは2ブロックほど離れていて、レストランが併設されておらず、昼食と夕食は歩いて食べにいかなくてはいけません。自身に熱があって、かつ雨がよく降るので、あまり療養に向いた宿ではありませんでした。

目が覚めて朝食を食べたあと、ホテルのフロントに相談しました。
「今、風邪をひいていて熱がある。昼と夜に2ブロック歩いてレストランに行くのが難しい。なのでレストラン併設のホテルに移りたい」と。
知ってるスペイン語(出発前にJTBの担当者と、友人のキューバ系日本人から基本的なレッスンを受けていた)と、ガイドブックの旅行会話集を総動員して窮状を訴えたのです。

そして、「地球の歩き方」を出して、レストラン併設のホテルを示し「電話を貸してほしい」と頼みました。
すると、フロントマンは気持ちよくそのホテルに電話をかけて、予約まで入れてくれました。

11時半頃、お礼を言ってチェックアウトし、すごく近距離なのですがタクシーに乗って移動しようとしたところ、「すぐ近くだよ。荷物を持ってやるから一緒に行こう」と、フロントマンが付き添ってくれたのです。

これは、結構うれしかったですね。
助かりました。

移動先の「オスタル・モンテレイ」で1日静養して、食事も併設のレストランで摂り、寝込むような症状の悪化は何とか避けられたのです。

※これまでの記事で、訂正があります。
ブラジル編で「物価が高い」旨の記述があり、その具体例を1レアル50円で換算していたのですが、どうもサンパウロ空港の銀行で、相当悪いレートの交換をさせられていたらしく、後で調べると1レアル40円弱が相場でした。


すり鉢状の街

ラパス。
標高3700メートルにある都市です。

富士山と同じくらいの高さなので、下手に動き回ると高山病になります。
前回訪れた際も、動悸と頭痛の症状が出ました。
なので今回は、バスやタクシーを多用しながら、おっかなびっくり歩きます。

この町はすり鉢状になっていて、底の低地にオフィスビルや金持ちの家があり、貧しい人は山の手に住んでいます。
普通の都市とは逆で、少しでも空気の濃い場所に価値がつくわけです。

P1020727.jpg
(背後の山にへばりついているように見えるのが家々です)

P1020735.jpg
(夕方になると明かりがつくので綺麗に見える)

P1020722.jpg
(インディオの民族衣装)

住民はインディオ(先住民)の比率が高く、「アンデス地方に来た」という気分になります。
実際、この町の標高が高いのは、アンデス山地に連なる高原にあるからです。

ここで高度順応のため2泊してから、ペルーのプーノに向かいました。

考えない人々

パラグアイの首都・アスンシオンから、ボリビアのラパスまで飛行機で移動しました。

この区間は道が悪く、バスも古いと予想され、「陸路ではとても身がもたない」と判断したのです。

20年前に世界一周をしたときに、一番苦戦したのがボリビアのバスでした。
東部のサンタクルスからコチャバンパを経てラパスに至ったのですが、国内第一の都市と第二の都市をつなぐ幹線道路なのに簡易舗装のガタガタ道で、1.5車線分くらいしか広さがなく、トンネルもほとんどない山道を、アメリカから流れてきたと思われる古いバスが、あえぎながら走っていたのです。

その後、ボリビアが発展したという話も聞かないし、アスンシオンからラパスまでは、サンタクルス経由で45時間。ここまでの旅で疲労が蓄積している私には、とても無理でした。

では、飛行機で移動すれば楽だったのかというと、そんなこともなかった。

午前7時にアスンシオンのホテルを出て、9時の飛行機に乗り込み、1時間半後にサンタクルスに到着。ここまでは順調でした。
ところが、サンタクルスからラパス行きに乗り込もうと出発ゲートに行くと、私の乗るべき飛行機がないのです。

あわてて周囲にいた客と、航空会社の職員に問い合わせると「その便の空港は、ここではない」という。
何でもサンタクルスには空港が2つあって、もうひとつの空港から乗り継ぎ便が出るというのですが、アスンシオンでまったく聞いていない話でした(「地球の歩き方」にも空港が2つある旨の情報はなかった)。

判明したのが出発30分前。あわててタクシーに乗ってもうひとつの空港に向かいました。
もうひとつの空港名を航空会社の職員に書かせて、それをタクシーの運転手に見せたのですが、市内が近づくと「ホテル?」と言い出したりして迷走。
もうひとつの空港だということを何とか理解させて急がせたのですが、着いたときは出発時間を過ぎていました。

「でも途上国の飛行機は、結構な確率で遅れているだろうから、間に合うかも」と思って、空港に走りこむと、案の定、搭乗も始まっていませんでした。
「やれやれ。どうにか間に合った」と、安心したのもつかの間、今度はいつまでたっても搭乗が始まらないのです。冷房もない暑い待合室で2時間も待たされました。

「何でボリビアみたいな国の第二の都市に空港が2つもいるんだ」と怒りながら待っているうちに、もうひとつの疑問が浮上。

「アスンシオンで預けたキャリーバッグはどうなるのか?」

この航空会社の気の利かなさからして、2つの空港の間をトラックで運んでくれるとはとても思えな.い。
ということは、サンタクルスに着いたほうの空港から、次のラパス行きが出るまで、サンタクルスに置かれたままではないのか?

暑い待合室で2時間を過ごした後に搭乗した飛行機は、後方にタラップがある見慣れない機種でした。
「何だ、これは?」と思って、安全のしおりを見ると、「ボーイング727-200」とある。

ボーイング727って私が子供の頃、日本の空を飛んでいた飛行機ですよ。
小学5年生の時、乗った記憶があります。
大学に入った頃には、ほとんど見かけなくなっていました。
それをまだ使っているのです。

「2つ空港を造るお金があったら、もう少し新しい飛行機を使えよ」と、焼きを入れたくなります。

昔の飛行機って、車輪を出し入れするときの音がすごく大きいのですね。
機内設備とあわせて、少しレトロな気分になりましたが。

P1020693.jpg
P1020670.jpg.
P1020674.jpg

それで、ラパスに着いたのが午後4時半。
荷物引渡しのターンテーブルには、予想通り私の荷物はありませんでした。

次に、着いたほうのサンタクルス空港から便が来るのは午後8時。
航空便の需要がそのくらいしかないのに、サンタクルスに2つ空港がある理由はまったく不明でした。

ラパスは標高3700メートルの高地にあり、空港はさらに高くて4000メートル。
空気が薄くていきなり高山病の症状が出てきたうえに、寒い。

ホテルに先に向かって、荷物は後で運ばせようかとも思ったのですが、もうこの航空会社が信用できなかったので、寒さに震えながら午後8時まで待ちました。

ふつう乗り継ぎの空港が違う場合、
1、乗り継ぎ発着の空港が違うことを知らせる。
2、荷物はスルーでは行かないので、一旦ピックアップして自分で持って、乗り継ぎの空港に移動してもらう。
ということを案内するでしょう。
それをまったく案内しないどころか(スペイン語の通じる通じないではなくて、案内するそぶりがなかった)、抗議しても謝罪のひとつもない。

馬鹿なのか、無責任なのか、両方かもしれませんが。

アスンシオンから、ラパスの空港で荷物を引き上げるまで、都合12時間以上かかりました。
距離は札幌から福岡くらいなんですけどね。

そんなこんなで午後8時半過ぎに荷物をようやく引き上げて、タクシーに乗りました。
乗るときにホテル名と住所を見せると、運転手は自信満々に了解したのですが……。

ラパス市内に入って目的地が近付くと、運転手が「道順をディレクションしてくれ」と言い出すのです。
そんなこと聞かれても、私も地理がわからないからタクシーに乗っているので答えようがない。
「地球の歩き方」の地図を見せても、右往左往している。

「場所がわからないのだったら、通行人に聞けばいいだろ!」と思いましたね。

しかたがないので自分で窓を開けて通行人に、「すみません。ホテルイチバン(日系のホテル)はどちらですか?」とスペイン語で尋ねたのです。
それで運転手もようやく要領がわかったらしく、辻辻で道順を聞きながら、ホテルにたどり着きました。

この日は本当に疲れました。
どうして、どいつもこいつも真剣に物事を考えないのかと。

貧乏だから考える訓練ができていないのか、物事を考えないから貧乏になるのか。
「卵が先か、鶏が先か」みたいな話ですけど……。

ホテル内山田

残念ながら、パソコンの調子は相変わらず良くありません。
色々とご助言いただいたのですが、どうも故障しているようです。

文章を書いていると、2~3秒から30秒おきに、「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」または「...................................................................」(日本語入力オフの場合)が出てきて、落ち着いて書けなくなっています。

旅行はあと3週間弱で、異国で日本語環境のパソコンを入手するのも困難。キーボードだけ買っても鞄に入れる場所がないので、我慢しながらこのパソコンを使うか、あるいはネットカフェのパソコンに日本語入力のソフトをダウンロードして何とかブログを続けようと思います。

本当に水滴が原因なのか、単なる故障なのかは判りません。
ラオスで小さな蟻がキーボードの中に入ってきたことがあったし、バスの寝台上段から鞄ごと落下させたこともあります。ある日前触れもなく「Del」キーが利かなくなったこともあるので、元々の作りが弱いのかもしれません(台湾メーカーの中国製)。

水滴は、文章を書きながらミネラルウオーターを飲んだ時に、2、3滴キーボードの上に垂らしてしまったのです。ほんの一瞬のミスでした。
日本でも、パソコンで仕事をしながらペットボトル飲料を飲むことはあるのですが、キーボード上にこぼした記憶はありません。

今さら悔やんでも仕方ないので、とりあえず続けます。

イグアスの滝を見た後、国境を越えてパラグアイに入国しました。

パラグアイといっても皆さんご存知ないと思いますが、私もよく知らなくて、いつもウルグアイと混同します。
面積も同じくらいだし、存在感のなさも似ています。

アルゼンチンの北にある内陸国がパラグアイで、アルゼンチンの東にあるのがウルグアイです。

南米の場合、一番南のアルゼンチンとチリは白人の比率が高い国です。どちらかと言うと豊かで物価も高め。

パラグアイは、先住民グアラニーとスペイン人の混血メスティーソが人口の96%を占めていいます。
国土は割と平坦で、緑も豊富。農業生産力はありそうです。

P1020617.jpg
(蟻塚が目立つ。どうして南米の蟻はこんな巣を作るのでしょうか?)
.
ただ、工業はあまりなさそうで、国民の生活は豊かとは言えません。
ブラジルのような中進国から入ると、貧しさを感じます。
まず、所在なさげに座り込んでいる人の数が増え、町中にゴミが散乱するようになります。そして多くの自動車が古く、排気ガスを撒き散らしながら走っています。

P1020639.jpg
(何時代かと思うようなボンネットバス)

まあ、貧しいといっても山ばかりのラオスや、砂漠が広がるイエメンよりは恵まれているような気がしますが、こういう国がどうすれば豊かになるのかは難しい問題でしょう。

工業製品は、高級品は日本や欧米ブランド、準高級品は韓国やブラジルのメーカー製にがっちり押さえられているし、普及品も中国製が強い。
農業生産力があるといっても、隣国のブラジルやアルゼンチンも農業が盛んだからあまり売り先がないし、内陸国だから欧米への輸出も簡単ではない(川の舟運で大西洋とはつながっているようですが)。
鉱物資源があるわけでも、観光地があるわけでもない。
外貨はどうやって得ているのかと思ったのですが、この後に書く日系のホテルで読んだ日本語新聞によると、多くの国民がスペインなどで出稼ぎをして年8億ドルの送金をしているらしい。

P1020638.jpg

そうやって考えると、パラグアイのような小国が国際経済のなかで浮かび上がるのは非常に難しいと思いました。
中国やブラジル、インドなど大きな市場を抱える国では、市場を餌に国際企業を誘致できるし、国内産業の保護を名目に工業製品に流入に規制をかけることができます。あるいはハンガリーのように背後に巨大市場があれば、産業誘致できる場合もあります。

小国でも、日本や韓国のように工業が育つまで地道に国産品と付き合っていけば、経済発展することはあるのですが、成功例はアジアの数カ国にとどまっています。
「発展途上国」といえば聞こえはいいけど、実態は「後進国」として、一次産品と出稼ぎで何とか凌いでいるのが、多くの国なのでしょう。

アスンシオンでは、「ホテル内山田」という日系人経営のホテルに泊まりました。

P1020632.jpg
(ホテル最上階からの眺め)

内山田といえば、思い出すのは「内山田洋とクールファイブ」です。

私は彼らの結構なファンで、カラオケでしばしば「中の島ブルース」(生家が大阪の船場で、子供の頃、中ノ島公園によく連れて行ってもらっていたので、自分にとってこの歌の2番がご当地ソングという思いがある)「そして神戸」「東京砂漠」を歌っていました。

そんな思い入れがあって泊まったのですが、ここのオーナーの内山田さんは、長崎の出身だとか(内山田洋さんは福岡県柳川市の生まれ)。

19階建てのかなり立派なホテルで、部屋にはNHKやフジテレビが観られるテレビもあります。日本食が食べられるレストランもあります。さらにマッサージ機があったのは嬉しかった。

実は長時間のバスや飛行機の移動が多くて、背中や肩が凝っていたのです。
イエメンからこのかた、街でマッサージ店を見かけることはなく、帰国するまで我慢するしかないかと思っていたのですが、意外なところにマッサージ機があったので、喜んで使わせてもらいました。

久々にバスタブにも浸かって、旅の疲れを癒しました。

パソコンの不調

どなたかご存知の方がいればお教えください。

今朝、キーボードにほんの数滴水がかかりました。
その後、「。」のキー利かなくなって、逆に触っていないときに、
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
などと、発作的に「。」や「.」が続いて表示されるようになったのです。
キーボードの故障かもしれませんが、リセットのような方法で直す方法をご存知の方がおられましたらご教示ください。

今のところ、「。」以外のキーは稼動しております。
ちなみにOSはウインドウズXPです。

イグアスの滝

リオデジャネイロから、バスでイグアスの滝に向かいました。

約1500キロ、23時間半の行程です。

P1020401.jpg
P1020435.jpg
P1020463.jpg
(車窓からの眺め)

ブラジルの道は良く、バスのリクライニングシートも結構倒れ、ラオスの旅路に比べるとはるかに快適だったのですが、それでも疲労困憊しました。

P1020372.jpg
(隣の席にいたオーストラリア人のシート)

昔は、ひとつのバスに乗り通しで2泊3日の移動ができていたのですが、やはり寄る年波には勝てないようです。

南米では陸路へのこだわりを捨てて、難路は飛行機を使うことを決めました。

イグアスの滝は、ブラジルとアルゼンチンの国境にあって、ブラジル側のフォズ・ド・イグアスという町に泊まりました。
ここをベースに、ブラジル側から1日、アルゼンチン側から1日、滝を見て廻ったのです。

イグアスの滝に来たのは、はじめてです。
20年前、2ヶ月間も南米大陸を周遊していたのに、なぜイグアスに来なかったのかと思うのですが、北米でナイアガラの滝を見て意外につまらなかったので、「滝はもういい」気分になってルートから外したようです。

その後、大前研一氏の『やりたいことは全部やれ』(講談社文庫)を読んで、彼がイグアスの滝を絶賛していたので、今回はルートに組み入れることにしました。
この本では「年を取って引退してから趣味に生きようと思っても、その頃元気だとは限らないから、今やりなさい」みたいなことが書かれてあって、それもこの旅行の伏線になっています。

滝は、圧倒的な迫力でした。
規模で言うと、ナイアガラの5倍はあります。
滝の幅が広いし、水量も多い。

ブラジル側、アルゼンチン側の展望台ともに飛沫を浴びます。
写真を撮っていると、水滴でカメラが故障しそうです(実際、そのあと一時的にシャッターボタンの調子が悪くなった)。

ブラジル側からは、滝のほぼ全景が見渡せる場所と、一番ブラジル側の滝が間近に見られる展望所があります。

P1020522.jpg
P1020527.jpg


アルゼンチン側には、一番迫力のある「悪魔の咽笛」という滝をほぼ真上から望める展望台と、滝下流からボートで遡上して、滝間近で相当な水しぶきを浴びるツアーを体験しました。

P1020567.jpg

P1020592.jpg
(ツアーボート。乗ってから、とても写真は撮れません)

いずれも、景勝地としては世界でも超一級です。
私も、観光地でこんなに息を飲んだのは久しぶり。

感覚的には非常に惹きつけられるものがあるのですが、素直でない私は「これは、大量の水が、地球の引力で上から下に落ちているだけではないのか」と考えてしまいます。

この滝の迫力の源は何なのかを考えると、海や陸地から水分が気化して雲になり、やがて雨になって山のほうに降るからだと。

海や陸の水分がなぜ気化するかというと、ほとんどは太陽光線のエネルギーによるものです。太陽光線の何によって熱エネルギーが運ばれるのかは、考えてもよくわからない。
可視光線かもしれないし、紫外線や赤外線かもしれない、電波や電磁波、それらの複合的な効果で地球にエネルギーが届くのかもしれない。

さらに突き詰めると、太陽がどうしてそんなにエネルギーを発しているのかもよくわからない。太陽では核爆発が頻繁に起きていて、それに水素が絡んでいるのは高校で習ったような気がしますが、どうして水素が核融合または核分裂しているのかはよく知らない。

結局、イグアスの滝の大迫力、それが何によってもたらされるかは、私にはきちんと説明できないのです。

でも、滝を間近にすると、気持ちが良くなっている自分がいる。
来ていた観光客もたいがい感激していたから、多くの人間はそうなのでしょう。

それだって、理由がよく分からない。
滝からはマイナスイオンが出ているからだと、どこかで読んだことがあるけれど、マイナスイオンは根拠のない科学だいう話も聞いたことがあります。

もしかすると人間の70%以上が水分で、それで流れている水を見て、音を聞いたり、飛沫を浴びたりすると、体が自然に反応するのではないかと。
それとて何の根拠もない仮説ですが……。

まあ、イグアスの滝に来て、そんなことを突き詰めて考えるのは、アホなんですけどね。

何も考えずに自然と戯れていれば、こんなに楽しい場所はないと思います。

人生がどうでもよくなる街

ブラジル。
アムステルダムから約12時間のフライトを経て、やってきました。

南米大陸に足を踏み入れるのは、20年ぶりです。
前回来たとき好きになって、1ヵ月半の予定を2ヶ月に延ばして周遊したのですが、就職してからはやはり遠くて、久々の訪問になりました。

何せ日本からは片道約24時間(日本航空の東京-サンパウロ線)かかりますからね。
ビジネスクラスならともかく、エコノミークラスでは苦行です(飛行機での移動は、低気圧と低湿度、窓景が単調なせいか、同じ時間の陸路移動より疲れる気がします)。

今回の到着都市はサンパウロ。
ブラジル随一の商業都市であると同時に、日系人街(正確には東洋人街リベルタージ)があることでも有名です。

前回訪問した際は、ブラジルが年1000%のハイパー・インフレに陥っている時期で、現地の人も資産防衛のためにアメリカドルを購入し、そのため為替レートがドル高に振れて、ドルを持っていた私には物価が安い国でした。

北米大陸での貧乏旅行に疲れていた私にとって、おいしい和食が安く食べられるサンパウロは絶好の休息地でした。
丸1週間安宿に泊まって、ほとんど観光もせず、ご飯を食べ続けていたのです。

今回も「あの安くておいしかった和食を」と期待していたのですが、まず物価が高いことに愕然としました。実走25キロの空港バスが28レアル(1400円)。日本料理店でてんぷら定食を食べると30リアル(1500円)。マクドナルドのビッグマックのセットが13リアル(650円)。

物価水準は日本とほぼ同じかやや高めで、現地の人々の生活レベルを考えると、為替がレアル高に振れすぎている気がします。

日系人街を歩きました。日系人らしき人は10人に1人くらいで、20年前と比べると明らかに日本らしさが薄らいでいます。日系人の多くが、日本に出稼ぎに出るようになったため、サンパウロではあまり見かけなくなっているようです。

店にいる日系人でも日本語の話せない人が多い。
考えてみれば、移民が海を渡ったのは戦前と戦後しばらくの話で、2世や3世はブラジルで生きるためにポルトガル語を母国語にしているからでしょう。

P1020209.jpg
P1020218.jpg
(日系人たちも、仕草が現地化している)

では日系人街が寂れているのかというと、そんなことはなくて、ふつうのブラジル人が大勢やってきます。横浜の中華街に、日本人が訪れるのに似た状況になっているようです。

道で立ち話をした日系2世のヨシオカマコトさんによれば、「日本文化がブラジルに浸透して、関心を持たれるようになった」とのこと。そういえば日本料理店でも、ブラジル人がふつうに箸を使って、刺身や寿司を食べていました。

ただし、日本料理はオリジナルの味を知っている1世が減ったせいか、ブラジル人向けにアレンジされているせいか、私にはやや味が落ちたような気がしました。

サンパウロに1泊した後、バスでリオデジャネイロに移動しました。

リオデジャネイロは、私の人生観に影響を与えた街です。

20年前、1000%の超インフレで国家経済はほとんど破綻していたはずのブラジル。しかしリオデジャネイロでは、若者たちがワーゲンのボロ車から身を乗り出して楽しそうにドライブしていました。
街を歩く人々の雰囲気も明るかった。

一方の日本。当時はバブル真っ盛りで、一人当たりのGNPはスイスに次いで世界2位だったと思います。でも、日本で成田空港から電車に乗ると人々が疲れた顔をしている。

前回訪れたのリオデジャイロで、国家経済の好不調と、国民の幸福度はあまり関係ないような気がしたのです。

もちろん、経済状況がいいと人々の表情は明るくなるのがふつうです。

日本の場合、長すぎる労働時間、職場から遠すぎる自宅、周囲の意向を気にしすぎる国民性など、経済指標で表れない何かが、人々を疲れさせていると思ったのです。

で、日本人の国民性や労働慣習は一朝一夕には変化しないだろうけど、私は「もう少し脳天気に生きよう」と。そう心に決めて、この20年間を過ごしてきました。

久しぶりのリオデジャネイロ。
人々は相変わらず楽しそうに、生きていました。
ここ数年、経済状態が良かったので、影の部分がさらに小さくなっているようでした。

リオデジャイロがいいのは、大都市でありながら、世界屈指の景勝地でもあることです。
コパカバーナのビーチには大胆な水着を着た人が闊歩しているし、コルコバードの丘からの眺めは、私の知る限り世界一の都市景観です。

P1020266.jpg
P1020256.jpg
(コパカバーナ)

P1020340.jpg
P1020341.jpg
(コルコバードの丘からの景観)

コルコバードの丘から景色を見ていると、なぜか「人生がどうでもよくなる」気分に襲われます。
こんな陽気な人々と、美しい景観を見ると、東京であくせく働くのが馬鹿みたいに思えてくるのです。

もちろん、リオデジャネイロの人にも暮らしや労働はあるし、私がここで遊びたければ東京であくせく働くのが一番近道なのは判っているのですが……。

この街に来られるのも、人生であと1度か2度でしょう。
それが10年先なのか、20年先なのかは判りませんが、また訪れる日を楽しみに生きていたいと思います。

チャリンコ王国

(ブラジルに到着してから、サンパウロでもリオデジャネイロでも、ネットカフェで自分のパソコンが使えない状況が続いていました。現在、ブログの更新が遅れております。まずは、大西洋横断前のオランダの話から)

アムステルダム。
意外にいい街でした。

ここは、20歳のとき一度来たことがあり、当時はどこか荒廃した雰囲気が漂っていました。
ゴミや落書きが目立っていて良い印象がなく、それ以降訪れることはなかったのです。

今回はフライトの都合で滞在したのですが、21年前より人々の表情が明るくなっていました。
経済状況が好転したようです。
この国は、フルタイマー(日本で言うところの正社員に近いでしょうか)とパートタイマーの賃金差別がないなど、ポジティブな文脈で語られることも多い。

日本では「パートタイマーの賃金は安い。正規労働者を減らしてパートや派遣を増やせば企業の経営効率が上がる」という前提で、経済が成り立っています。
アメリカやイギリスでもそうでしょう(それでもオランダ以外の欧米諸国は最低時給を1000円以上に引き上げているが、日本では小幅な上昇に留まっている。ここ数ヶ月で為替レートが変動したので、今はどうだか知りませんが……)。

フルタイマーとパートタイマーの時間当たりの賃金を同じにして、どうして経済が成り立つのか、国際競争力を保てるのか、たぶん誰かは調べているのでしょうが、レポートなどを読んだことがありません。
私の語学力と、実質1日の滞在では、そんな難しい話は聞けませんでしたが(歩いている市民に、そんな話を聞くのも変なような気がして)、どなたかご存知の方がいれば教えてください。

というのは、この街も外国人労働者や移民が多い。
彼らの表情が、パリより明るいのです。浜松の日系人よりも明るい。
外国人労働者や移民は、語学力や学歴面など不利なのでパートタイマーの割合が多いとすれば、パートの待遇がいいのが、表情を明るくしている一因かもしれません。
また、古くからの海洋国家として、異民族を受け入れる伝統があるからかもしれません。

アムステルダムといえば「運河巡り」が定番の観光コースなのですが、街並みをを川側から見てもつまらないこと(現代では、人々の生活は道路に向き合って営まれている。イタリアのベネチアは別かもしれませんが)はパリで実感したので、路面電車の1日券を買って、乗ったり降りたりしながら街を散策しました。

P1020111.jpg
P1020156.jpg

オランダの建物は、外壁が赤いレンガで覆われています(構造体がレンガかもしれません)。
これが、パリやブリュッセルの石造りの建物と比べると、暖かい印象を与えるのです。
そして、海に近くて暖流の影響を受けているせいか、体感的にもパリほどは寒くない。

よく言われることですが、オランダは「自転車王国」です。
市街の道路には専用レーンがあって、次々と自転車が通りすぎていきます。
自転車と路面電車が市内交通の主役で、環境にやさしい印象がする。
そして、自動車に頼らない街づくりを進めているためか、中心部の商業は栄えています。

P1020141.jpg

アムステルダムは人口74万人。市街の規模は広島や仙台、あるいは京都の旧市街(左京区、右京区、上京区、下京区あたり)と同じくらいでしょうか。
日本で自転車は行政にとって「駅前放置問題」など、あまり好ましく見られていないようですが、中都市では「自転車+路面電車」の組み合わせで、中心部を活性化する街づくりができるのではないかという気がします。
予算がないなら、自転車保有に年3000円くらいの課税をして、それを原資に環境整備をすればいいのですよ。

路面電車に乗っているうちに、露天市のようなものを見つけてブラブラしたり、「WE」というドイツ資本のユニクロのような店で買い物をして過ごしました。

P1020125.jpg
P1020135.jpg
(露天商の招き猫)

ラオスでガムがついたフリースは、代替品をパリでも探したのですが、結局見つかりませんでした。ヨーロッパ人はほとんどフリースを着ないようです。軽くて暖かくて便利なのに。パリでもアフリカ系の人が着ているのは見ましたが、「安物で実用的な衣料品」と思われているのかもしれません。

「WE」で購入したのは、Tシャツと下着。これまで肌着6回転だったのを、1セット増やして、7回転に変更したのです。

P1020146.jpg


私は割と清潔好きで、肌着は原則1日で交換します。バックパッカーとしては軟弱かもしれませんが、そういうことにしています。
しかも手洗いはしなくて、ホテルのランドリーサービスか、最低でもコイン式ランドリーを使うのです。

何故そんなことにこだわるかというと、20年前に世界一周したときに、北米にいた6週間と西欧にいた3週間以外の都合6ヶ月間、洗濯物はすべて手洗いで、それがあまりに大変だったので、すっかり「手洗い嫌い」になったからでした。

皆さんも、1ヶ月間ほど洗濯物を手洗いしてみるとわかると思いますが、家事のなかで洗濯が一番大変です。
私は、家電のなかでは洗濯機が一番好きです。
洗濯機が回っているだけで、幸せな気持ちになります。

日本で洗濯機が普及した昭和30年代、手洗いのことは揶揄的に「洗多苦」と言われていたそうです。だから「3種の神器(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)」のなかで、洗濯機が最初に普及しました。

ところで、20年前の世界一周旅行の話が出たついでに、そのことをもう少し詳しく書きます。

1988年。私は関西にある私立大学の3回生を終えて1年間休学し、8ヶ月間の旅に出ました。

その大学の付属高校からエスカレーター式に進学して、ふつうに卒業すれば22歳で就職。人生が「1本のレール」のように見えてしまって、ちょっと脱線したくなったのです。

大学の「休学」は片岡義男の『メイン・テーマ』という小説から、「世界一周」は沢木耕太郎の『深夜特急』という旅行記から、着想を得ました。

資金は50万円は自分で調達して、70万円は親から借りました。

近年でこそ、世界一周旅行をする人はそれほど珍しくなくなりましたが、20年前にそんなことを考える人はいませんでした。
出発前に「行く」と言うと、「本当にそんな事ができるのか?」という質問を浴びたものです。
友人の間では「ちゃんと帰ってくる」「なし崩し的に放浪を続けて、帰ってこない」と2説に分かれて、賭けが成立していたとのこと。

当初、「バンコックに行けば、世界一周航空券が売られている」という情報があり、当地で世界一周航空券のことを調べたのですが、あまり使い勝手がよくなかったので、格安航空券を買い足して、回ることにしたのです。

大旅行への緊張感と、バンコックの猛暑、辛いタイ料理への食物不適合のため体調を崩したので、日本で3週間ほど休養してから、サンフランシスコへ飛びました。ロス、ラスベガス、グランドキャニオンとアメリカ西部を回ってから、バスで大陸を横断し、トロント、ナイアガラの滝、プリンス・エドワード島、ボストン、ワシントンDC、ニューヨークなど、カナダとアメリカの東部を回りました。

その後、南米大陸に入り、ブラジル(リオデジャネイロやサンパウロ)、ボリビア、ペルー(クスコやマチュピチュ)、チリ、アルゼンチン(パタゴニア)を2ヶ月かけてほぼ陸路で周遊。
飛行機で一度、NYに戻ってから、今はなきパンナムに乗ってパリへ。

ヨーロッパはフランス、ベルギー、西ドイツ、スウェーデン、ノルウェー、スイス、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラビア(現在のクロアチア、ボスニアなど)、ブルガリア、トルコと巡りました。

イスタンブールから、エジプト(ピラミッド、ルクソール、アブジンベルなど)に足を運び、さらにインド(タージマハール、バラナシなど)、ネパール(ポカラ、カトマンズなど)を巡りました。そしてインドのコルカタから、タイ経由で帰国したのです。
帰国は1989年の春。元号が平成に変わっていました。

世界一周を終えて、何か自分が変わったかというと、はっきり言えるものはありませんでした。
タフになった、駆け引きが上手くなった、そんなところでしょう。

それ以前に、私には大学3回生まで、考えていた卒業後の進路がふたつあって、どちらにしようか迷っていました。試験の難しさを考えると、両方目指すのは無理。それを8ヶ月間考えて、ひとつに絞ることができました。それがだいたい今の職業です。

この言葉はあまり好きではありませんが、「自分探し」の旅だったかもしれません。

あと、「外国は疲れる。日本が一番住みやすい」という結論に達したことが収穫かもしれません。風呂があるし、吉野家の牛丼もあるし、洗濯機もありますから。

なので、どんなに仕事が辛くても、会社を辞めて放浪に出ることはなかった。
海外の行きたい場所はだいたい行き尽くしてしまって、どこにも「青い鳥」はいないことが判った。ならば、今いるところで頑張るしかない。
そんなこんなで、卒業後に就職した会社で18年半も働いているのだと思います。

ともあれ、これから旅行の最大の山場である南米です。

貧富の差が大きくて、旅行者を狙った犯罪が多い。英語も通じない。

あと、1ヶ月弱。
気をつけて旅行を続けます。

立ち寄り

フランスから、ベルギー、オランダへと向かいました。

私が今回購入した「ラウンドザワールド」という世界一周航空券には、KLMオランダ航空が参加しているため、南米大陸に渡るには、まずアムステルダムを目指さなければいけないからです。

12月4日、パリ北駅から「タリス」という特急に乗って、まずベルギーのブリュッセルに向かいます。

P1020051.jpg
P1020072.jpg
(2等車)

タリスは、フランスの高速鉄道「TGV」の国際版で、パリ・ブリュッセル間を1時間20分で結んでいます。
パリを出てしばらくすると、北海道のような田園地帯を走ります。
単調なので、すぐに飽きてきますが……。

P1020067.jpg

最高速度300キロで走っているので、絵になる景色があって写真を撮ろうと思っても、デジカメを起動している間に通り過ぎてしまう。
不用不急の旅人にとって、この列車は速すぎるようです。

あっと言う間に、ブリュッセル南駅に到着しました。

実は、ベルギーは素通りしようか迷いがありました。
私はこの国ですでに、ブルージュを2度、ブリュッセルを1度訪ねたことがあります。

たしかに石造りの町並みは立派だけど、かなりの寒さのなか、「それでも再訪したいのか?」と自問。

ブリュッセル南駅に着いたとき、外は雨が降っていました。
その雨を見て、一旦はブリュッセル通過を決めたのです。

P1020079.jpg

ただ、次のアムステルダム行き「インター・シティ」(急行)まで時間があったので、「グラン・プラス(伝統的建物が並ぶ大広場)の近くまで行って、もう一度天気を見よう」と思い直しました。

南駅から、路面電車が地下に潜ったような電車に乗り、BEURS BOURSという駅で降りて外に出ると、たまたま雨がやんでいました。

P1020090.jpg

小走りに、グラン・プラスまで行き、写真を撮って駅に戻りました。

P1020088.jpg

それで、もう一度路面電車風の地下鉄に乗り、ブリュッセル北駅から、アムステルダム行き列車に乗り込んだのです。

この程度でベルギーを見たとはとても言えませんが、石造りの立派な建物は、冬に見ると余計に寒く感じます。
「来るなら、寒くない季節に」というのが、率直な感想でした。

フランス流デモ

デモに遭遇しました。

外が寒いので、いまいち観光に身が入らず、しかし「パリで引きこもっているのも変だ」という消極的な動機で向かったノートルダム大聖堂。

メトロ1号線のHotel de Villeという駅を降りると、デモ隊が気勢を上げていました。
面白そうなので、ついて行ったのです。

P1010995.jpg

デモ隊はBHVというデパートの周りをシュプレヒコールをあげながら行進し、ついには建物の中に入っていきました。

何のデモなのか知りたくて聞いたのですが、野次馬にかまっている余裕がないせいか、英語が通じない。
同行していた新聞記者か、デモの記録係みたいな人に「このデパートが閉店時間を午後7時から8時に延長したのに、それへの労働対価がきちんと支払われていないことに抗議しているんだよ」と、教えてもらいました。

デモ隊は大声を出しながら、店内を練り歩きます。

P1020013.jpg

デパートの中でデモ行進を見るのは初めてです。
しかも、そのデパートの労働者がです。

デモ隊は、エスカレーターを止めてステップを占拠します。

P1020024.jpg

7階建てのデパートで昇りのエスカレーターを封鎖したので、お客は階段かエレベーターで上階に行くしかありません。
完全な営業妨害です。

労働者側はエスカレーターに座り込んで、シュプレヒコールをあげています。
リーダーがハンドマイクで煽り立てるような文句を言うと、さらに盛り上がります。

客は、エスカレーターが使えないことに文句を言う人も一部いましたが、ほとんどはふつうに買い物を続けている。フランスでは、見慣れた情景なのでしょう。

私も、争議の様子を横目で見ながらデパート2階の書店を見物。結構な大きさでマンガコーナーがありました。ほぼすべて日本のマンガの翻訳版です。

P1020033.jpg

1階では、労働者側と店側の話し合いが続いていました。デモ隊の突入から、1時間半くらい経って、何らかの妥協が成立したようです。
労働者側はエスカレーターの封鎖を解除し、店外の路地で「祭りの余韻」を楽しむかのような集会を開いていました(私も、ノートルダム大聖堂のことは、どうでもよくなっていた)。

P1020043.jpg

うーん。フランスでストが日常茶飯事だとは聞いていましたが、これは驚きでしたね。
デパートの労働組合が、店内でデモをするなんて、日本ではありえない話です。

私は、日本でデモ1回(イラク戦争反対運動)、ストライキ1回(所属する会社の組合活動)の経験があります。
昔は、利用者として交通ストも経験しました。

にしても、こんなデモのやり方があるなんて新鮮でした。

日本人は、どうしても「ストをするとお客に迷惑をかける」とか気にして、労働争議は業務に差し支えない範囲でしかやらない。
だから、航空会社と千葉県のJR以外では、ストの話はあまり聞きません。
プロ野球の労組がストを打ったとき「ストが話題になるのは、久々だなあ」と思いました。

フランス流のやり方がいいのかどうか、一概には言えません。
日本人の感覚では過激でしょうが、フランスの場合、市民(お客)のリアクションは「それは労働者の権利だから仕方ない」という感じです。

日本人とフランス人、給与水準はそれほど違わないと思います。
が、フランス人は残業もしないし、休暇もきちんと取ります。

一方の日本。交通ストに対する市民の反発は強く、鉄道会社の労組もストは打ち辛い雰囲気があります。

おそらく「お客様に迷惑をかけるからストを打たない」という発想と、「上司や同僚の目を気にして残業する、休暇を取らない」という日本人の発想は、深いところで繋がっているような気もします。

「労働者の権利主張の激しさが違う。そりゃあ、日本人の休暇は短いわけだよ」と、妙な納得をした次第でした。

ジャポネスク

相変わらず、パリではのんびり過ごしています。

心身ともにリラックスして英気を養いたいのですが、東京よりも寒いのが難です。
最高気温はだいたい摂氏5度。
雨も時々降ります。
外を歩くと、どうしても体がこわばってしまうのです。

昼まではブログを書いたりスーパーで買い物をして(1ユーロ120円になっても、物価は総じて日本より高い)、ホテル近辺でのんびり過ごし、午後に出かけるのがパターンになりつつあります。

一昨日は、メトロの環状線に乗ってパリの街並みを眺めていました。
6号線には高架部分が多くて、景色が見えるのです。
で、時々大道芸人が乗り込んできて、音楽を聞かせてくれます。

P1010885.jpg

旅行者にとっては、車内演奏は気分が盛り上がっていいのですが、地元の人には「またか」とうんざりした表情を浮かべる人もいて、アコーディオンのありふれた演奏ではなかなかチップが集まらないようでした。
結構、投げ銭を集めていたのが、Chatelet駅でのロシア音楽の演奏。日本でもよく紹介されるロシア民謡とは違って、男性のみの演奏・合唱で、哀調を帯びたメロディーは心に沁みます。

P1010822.jpg

パリの地下鉄は昔と違って、1等と2等の区別がなくなっていました。室内設備は同じだったので、1等に乗る客が減って廃止されたのかもしれません。
日本の地下鉄との違いは、元々の設計・設備が古いせいか、バリアフリーへの対応が全然できていないこと。駅にエスカレーターやエレベーターがほとんどないのです。パリの人は、歳をとって足腰が弱ったらどうするのでしょうか(バス網はそれなりに充実していますが)。

あと、地下鉄や街で見ていると、人々の服装が地味なことに気づきます。
黒色の着古したジャンパーやピーコートを着ている人が多く、日本人のほうがお洒落に見えのです。
市街地のマクドナルドなどで、外着を脱いだ若者を見るとそれなりにファッショナブルなのですが、街頭などで観察するかぎりでは、「パリはファッションの都」というのは、昔の話ではないかと思えてきます。

昨日は天気が良かったので、セーヌ川の遊覧船に乗ってきました。

P1010944.jpg

案内放送は、フランス語、英語、スペイン語、イタリア語、日本語、中国語の順番で、なぜかドイツ語はない。ドイツ人は遊覧船に乗らないのか、英語を理解するからなのでしょうか。
船から見える景色はそれなりに美しかったけど、20年前とほとんど同じです。

P1010966.jpg

そして夜には、小中学校の同級生S君が北アフリカからの出張帰りにパリに1泊していたので、日本食をご馳走してもらいました(1ヶ月ぶりの日本食)。
この人は浜松近郊に本社がある世界的メーカーの社員で、船外機やオートバイ、発電機を扱っています。

その昔、「オートバイは日本製」というイメージがありましたが、今は中国や台湾メーカー製のほうが多いらしい。二輪車は技術的に成熟した製品で、人件費の安い国には価格で勝てないとのこと。
船外機のほうは使用環境がハードな分、日本のハイテク技術に分があり、トップシェアを守っているようでした。

工業生産ではアジア勢(液晶テレビでは韓国製、パソコンは台湾製が強い)の激しい追い上げを食っていますが、文化面では「ジャポネスク」はそれなりのポジションを得ているようです。

P1010870.jpg
P1010936.jpg
P1010938.jpg

まあ、日本人がフランス文化を誤解している部分があるように、フランス人の日本文化への理解も、誤解やアレンジが含まれているようですが……。

ポンビドゥー・センター

旅に出て、1ヶ月が経過しました。

幾度か腹を壊しましたが寝込むほどの体調不良はなく、小さなミスもありましたが、旅そのものはまずまず順調です。

ラオス、イエメンと結構ハードな行程を終えて、この後には南米大陸24日間の旅路が控えているので、パリでしばし休息しています。

パリに来たのは18年半ぶり。
欧米の街のなかではパリが一番好きで、人種差別や、若者の就職難など色々問題があるのは承知していますが、長旅の充電場所としてここを選びました。

日本人のなかには「フランス人は冷たい」という人がいますが、私はそうは感じない。

地下鉄の回数券の買い方(無人の改札口には紙幣を受け付ける券売機がなかった)、コインランドリーの使い方、スーパーマーケットでどれがボディソープか判らなくて困っていた時、そこらの人に聞けば親切に教えてくれます。若い人の3人に2人は英語が話せるし、話せない人でも身振り手振りで教えてくれる(スペイン語が通じることもある)。

パリ訪問は4度目なので、ノートルダム大聖堂やエッフェル塔、ルーブル美術館など観光地にはほとんど行ったことがあります。

京都を訪れた際、清水寺や南禅寺に毎度は行かないように、パリでもブラブラしながら気が向いたところだけ再訪するつもりでした。

そんな私が、必ず再訪しようと思ったスポットが、ポンビドゥー・センターにある国立近代美術館です。
初めて来たのは20歳の頃。
建物の存在感に圧倒されました。

P1010828.jpg

最初は足場を架けた建築中のビルに見えたのですが、これが完成形だという。
リチャード・ロジャーズとレンゾ・ピアノが設計したこの建築物から、私は「物事は、もっともっと自由に考えろ」というメッセージを受けました。
館内にあったミロやピカソなどの作品と相まって、その後の人生に影響を与えたと思います。

久しぶりに行ったのですが、建物は相変わらず斬新でした(現在ではこれと似たようなビルは幾つかありますが、オリジナリティという意味で)。
展示は、入場口がある4階は近年の作品に置き換えられていて、ミロやピカソの作品は5階に追いやられていました。

そのなかで、ちょっと気になった作品を紹介します。
まず、ヤーコブ・アガムの「サロン」

P1010842.jpg

キネティック・アートの潮流で、ポンビドゥー大統領が使っていた官邸の応接控室だったとのこと。
外国からの賓客が、こんな控室に案内されたら驚くでしょうね。

次はジャック・モノリの「殺人 10/2番」。

P1010863.jpg

中央部分が鏡になっていて鑑賞者が映ります。銃弾の跡はモノリ自身が銃でつけたとのこと。
周囲の絵は彼自身が制作していた映画の一場面を青で彩っており、「説話的具像」という表現法だそうです。

その他にも面白い作品があったのですが、際限がないので割愛します。
ここは鑑賞方法も割と自由で、フラッシュを焚かなければ写真撮影も可。若い女性は自らの体を「ボディ・アート」と称して真っ黒に塗りたくり、美術館内を練り歩いていました。

P1010856.jpg

たぶん私は、フランスのこんな「自由さ」が好きなのだと思うのです。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は書誌情報の管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード