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金持ちと水槽

U.A.E.(アラブ首長国連邦)のドバイに、2日間滞在しました。

ドバイと言えば、海岸沿いの高級リゾート、マリンスポーツ、デザートサファリなどのイメージがありますが、今回の旅行では縁がありませんでした。

というのは、ドバイで「豪遊」すると、旅行資金がなくなってしまうからです。

ドバイの物価は日本より高い。
私が泊まったのが1泊150ディナール(4500円)の宿なのですが、これで最低レベル。バス、トイレ共用の、カーペットから少し据えた臭いがする安宿でさえ、結構な値段です。

まあ、ひとりでリゾートホテルに泊まってもつまらないし、旅の長さも考え、「節約モード」での滞在になりました。
もっとも後にして思えば、1泊250ディナール(7500円)の中級ホテルに滞在してもよかったのですが……。

物価が高いことを除けば、ドバイは魅力的な場所です。

住人の7~8割が外国人だそうで、コスモポリタン的な雰囲気があります。
アジアから、アフリカから、そして欧米から、「豊かになりたい」野心を持った人々が集まっているようです。

こんな街はいままで見たことがありません。外国人同士の意思疎通はほとんど英語で、アラビア語の看板がなければ、どこの国にいるのだか判らなくなりそうです。イエメンでは女性が黒い布で顔を隠していましたが、ここではイスラム系の女性でさえ、頭に巻いているだけです。

ドバイは繁栄しています。
おそらく香港やシンガポールをモデルに、政府がフリーポート化(無関税の港、空港)、企業の誘致・育成などの施策を打ったところに、オイルマネーなどが流れ込んで、資金の好循環(バブル気味かもしれませんが)が起きているようです。

失業者らしき人やホームレスは、まったく見当たりませんでした。

そんなドバイ繁栄のひとつの例が、建設中の超超高層ビル「ブッシュ・ドバイ」です。
高さ800メートル超。完成すれば世界一のビルになります。

中国からイエメンまでの旅路では気軽にタクシーを使っていた私が、この旅で初めてバスの路線図を睨んで、バス会社の職員に乗るべきナンバーを聞き、ブッシュ・ドバイを目指しました。

運転手が「ここが最寄りの停留所だ」と教えてくれたところで降車し、ビルに近づいていきます。ところがいまいち高さの実感が沸かない。
上海で見た「上海環球金融中心」が493メートルなので、その1.5倍の高さがあるはずなのですが、そんなに高くは見えないのです。

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建設中なので、まだ上に継ぎ足していくのか、私の目の錯覚なのか、結局判りませんでした。

そのブッシュ・ドバイの隣に「ドバイ・モール」という商業ビルがあったので、ついでに入りました。
これが、日本のイオンを3倍くらいにした大きさ。
道に迷うくらい広いのです。

そしてなぜか、巨大水槽がありました。
このモールは水族館を併設しているのですが、一番大きい水槽を、買い物客にも公開しているようです。

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これを見たとき私は、江戸時代の豪商だった淀屋(大坂の淀屋橋を架けた商家)が、天井を巨大な水槽で覆って金魚を泳がせていたという話を思い出しました。

「古今東西、金持ちは水槽と魚が好きなんだ」と。
人間は使いきれないほどの大金を持つと、こういうことをやりたがる。

日本にも巨大水槽を持った水族館はありますが、有料です。
それを無料で見せてしまうところが、ドバイ商人のお大尽なところ。

後でガイドブックを読むと、ドバイにはショッピングモールが数多あり、なかにはスキー場を併設しているところもあるようで、客寄せ競争の一環だったようです。
ちなみに、このドバイ・モールにはスケート場もありました。

市内中心部のデイラにバスで戻ります。
ここから入り江を渡るアブラという渡し舟は、なかなか風情があります。
夕焼け時に乗ったのですが、港町とイスラムの雰囲気を味わうことができました。

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デイラは秋葉原や日本橋のような電気街でした。

フリーポートなので売られている商品の値段が気になったのですが、デジタルカメラは日本のほうが安かった。20年前、カメラはニューヨークのタイムズスクエア周辺の店のほうが安く、日本の流通業者を恨んだのですが、その後、家電量販店が力を持ったためか、内外価格の逆転は見られませんでした。

イエメンから移動してくると、ドバイには先進国の臭いがします。
自動車は多いのだけど、規制が厳しくて新しい車が多いせいか、空気はクリーン。
横断歩道では車のほうが止まってくれます(中国からイエメンまではすべて自動車優先)。

軟弱な話ですが、私は正直、ドバイのほうが安心します。

何でも手に入る、豊かで気楽な暮らしが好きなのでしょう。

だからブツブツ文句を言いながら、日本で18年半も働いているのだと思います。

ラオス、イエメンと貧しい国の旅行が続いて、少し疲れていたという面もあります。
暑さ、寒さ、乾燥(埃)、排ガス、食事の制約などが疲労を蓄積させています。1週間から10日間ほど、どちらか1カ国だけなら、もう少し年をとっても旅行できるでしょうが、続けるなると体力的に厳しい。

それが41歳という年齢なのかもしれません。

この後は、フランス、ベルギー、オランダに都合1週間。
旅はまだ半ばなので、態勢を立て直さなければいけません。

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幸福のアラビア

11月27日、イエメンのサナアからU.A.E.(アラブ首長国連邦)のドバイに移動してきました。

ドバイに関しては稿を改めます。
今回は、イエメンに関しての余談を少々。

イエメンという国は18世紀まではアラブの先進地区で、ヨーロッパとアジアをつなぐ「海のシルクロード」の中継地として、そして乳香の産地として栄えました。ヨーロッパ人は「幸福のアラビア」と呼んだそうです。古代、「シバの女王」が君臨したのもここです。

その後、東西の主交易路から外れ、近年まで石油が出なかったため、貧国になってしまったのですが、その分、昔日の面影がよく残っています。

人々は誇り高く、一部を除いて親切です。エジプトやモロッコのように客引きはしつこくなく、旅行中に不愉快な思いをする機会は少ないでしょう。
今日、ドバイ行きの飛行機でJICA(国際協力機構)の人に話を伺ったのですが、「援助を受けるときの姿勢も、エジプトなどと比べると紳士的」とのこと。

ただ、ふつうの人に旅行を勧められるかといえば、ちょっと難しい面があります。

前回も書きましたが、国内線の飛行機がほとんど当てになりません。

サユーンからの復路も、予約確認書に記された出発時間の2時間前に空港に行くと、空港の扉が閉まっていたのです。近くのレストランにいた人に電話を借りて航空会社に問い合わせても繋がらないし、空港には誰もいないしで、「フライトキャンセル?」「スケジュール変更?」などと、なかばパニックになりました(サナアに戻って、翌日ドバイ移動だったので)。

記された時間の30分前にようやく空港の扉が開き、内にいた航空会社の職員に問い質すと、「これは『空港に来い』という意味の時間だよ」との、いい加減な説明。

結局、飛行機の出発は確認書の2時間遅れ。同乗したパレスチナ人に聞くと、「僕はきちんとした時間を知らされていたよ。君の予約確認書? それがイエメン時間さ」と苦笑されましたが。

さらに旅行が難しい理由は、アルカイダやイスラム原理主義ゲリラが砂漠地帯で活動しているらしく、治安が安定していないこと。
陸路で都市圏を離れるときはパーミット(許可状)が必要で、それも結構な手間です。パーミットを取っても誘拐の可能性は残ります(ゲリラが政府に恥をかかせるのが目的で、誘拐されても半日か1日で解放されるのですが)。私は今回、4WD自動車をチャーターしての都市間移動は最初から諦めていました。

また、貧国であるが故に、多くの自動車が他国で使い回された骨董品です。

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30年くらい前の車を愛するカーマニアにはたまらない場所だと思いますが、盛大に排気ガスを撒き散らしながら走っています。
サナアは2300メートルの高地なので空気が薄く、サユーンにはパウダー状の砂塵が舞っています。そんなこともあって、気管支系の調子が悪くなりそうでした。

食べ物は西洋料理などはほとんどんなく、イエメン料理を食べるしかありません。
おいしいと言えばおいしいのですが、次第に飽きてきます。
そして料理はほとんど手で食べます(平たいパンでおかずを包み込んで口に運ぶ)。

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手で食べるということは、食事前の手洗いが必須ですが、洗面所には石鹸のかわりに衣料用洗剤が置かれてあります(手が荒れるのではないかと思ったのですが、別にそんなことはありませんでした)。

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あと、街の掃除が行き届いてなくてゴミが多いのと、それが原因かもしれませんがハエが多くて、ホテルの部屋のなかでハエ叩きに時間を費やしたり……。

まあ、そんなこんなで、旅慣れた私でも「この国の旅行は大変」というのが正直な感想でした。

しかし、貧しい国であるが故に、新鮮な発見もあります。
前回書いた乗用車の後部座席4人掛けもそうでしたが、シバームでレストランがなかったので、空腹しのぎにバナナを買って食べたのです。

皮が余ったので、捨ててもらおうと八百屋のおじいさんに渡そうとすると、「そこに置いておけ」と路地を指差されました。
「郷に入らば郷に従え」ではないですが、路地に皮を捨てると、まもなくヤギがやってきて皮を食べてしまった。

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ヤギは紙も食べるくらい丈夫な胃を持っているので、バナナの皮ぐらいは食べられる。
そして、ヤギの乳や肉は地元の人が摂取するのでしょう。

とてもシンプルなリサイクルです。

また、サナアの旧市街にはスーク(市場)があって、道具屋街みたいなのもあります。

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なかには鉄筋屋があって、店頭で作業をする様子が見受けられます。

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職人の仕事と商いが渾然一体と姿を晒して「生きること」を直に感じさせてくれます。

そういう姿を見ると、私もある意味「職人」なので、「東京に戻ったら、ひと仕事せなあかんな」という気持ちが沸いてくるのです。

ビバ! シバーム

いよいよシバームにやってきました。

陸路で入ることを諦めて、サナア市内で休息を兼ねた時間を過ごしていたのですが、移動前日にトラブル発覚。シバーム最寄の町サユーンまでのフライトが、突然キャンセルされたのです。

ここイエメンでは飛行機のダブルブッキングやフライトキャンセルはよくあるらしい。今回のキャンセルの理由は、「メッカに行く人が多くて、飛行機のやりくりがつかなくなった」とのこと。イエメン人にとってメッカ巡礼は大切かもしれないけど、「定期便をドタキャンするなよ!」と言いたくなります。

日程が押していたのでイエメン航空は諦めて、フィリック航空という運賃やや高めの会社の便に変更し、何とかサユーンに辿り着きました。

サユーンで1泊した後、乗り合いタクシーでシバームへ。
このタクシーは30年くらい前のトヨタ製コロナで、ダッシュボードにあるタバコ火付け具(何という名称でしたっけ?)が懐かしい。

運賃は18キロ走って100リアル(50円)と安いのですが、普通の乗用車の後部座席に男を4人も乗せるのですよ。そして前席は3人掛け。もちろん詰め詰めですが、意外に乗れるものです。
隣のおっさんも埃っぽくて汗臭いけど、こちらの服もすでに埃まみれで(砂漠の砂がパウダーのように細かい)、お互い様でしょうか。途中で1人降りて、4人掛け状態は解消されたのですが、腕と腿の外側だけ、少し汗ばんでいました。

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(自分も乗客の一人だったので、上手く撮れませんでしたが、状況は分かりますか?)

そうして着いたシバームの町。
「世界最古の摩天楼」「砂漠の摩天楼」などと呼ばれる世界遺産です。

まずは山の中腹に登り、町全体を眺めます。
砂漠に昂然とそそり立つ500棟もの高層建築が美しい。
これは8世紀頃から見られる景観で(水害などで何度も再建されていますが)、町を高層化することで、外敵から守りやすくする意味があるそうです。

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次に町中を歩きます。
ひとつひとつの建物は、日干し煉瓦で建てられ、大きくはありませんが窓もあります。
自動車が何とか走れるくらいの道と、荷車しか通れない道があります。
道は舗装されていないので、埃っぽい(それでも子供たちは、パウダーのような砂でままごと遊びをしていました)。
あちこちでヤギが飼われていて、糞尿の臭いも漂います。
建物が高いせいで日陰が多く、外の乾燥地(オアシスの一種で、多少の緑がある涸れ川)よりは暑さを感じない。
家屋の中もおそらく暑さが和らいでいると思います。

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出発前から心配していた水害は、幾つか被災者用テントが見られたものの、大きな損傷はないようでした(事前の情報提供をありがとうございました)。

治安に関しては、サユーンとシバーム(同じオアシスにある)を往復するだけならまったく問題なし。ふつうに人々が往来していて、検問もありませんでした。

ここの建造物群としての奇想天外さは、マチュピチュに匹敵すると思います。
マチュピチュが高地に町を築くことで要塞化したなら、シバームは町自体を高層にすることで要塞化している。

惜しむらくは観光地としての整備がまだまだで(誘拐、拉致事件が多いので、欧米人もあまり来たがらない。特にアメリカ人はいないかも)レストランやカフェもなく、陽射しも強くて埃っぽいので、長い時間はいられないのですが、勇気と根気のある方は、ぜひここを訪ねてみてください。

旅の猛者たち

サナアに入った私は、1泊目の宿を「マハナツーリズムホテル」に定めました。
ここは、日本人バックパッカーがよく利用するゲストハウス(安宿)、いわゆる「日本人宿」です。1泊1000リアル(500円)。

イエメンでの主目的地は、東部にあるシバーム。
以前にも触れましたが、「砂漠の摩天楼」と呼ばれる城郭都市です。

私が、ふだんはあまり利用しない日本人宿に泊まったのには理由がありました。
シバームまでの片道を陸路で行けないか、情報を集めようと思ったからです。

実は、サナア~シバーム間のシャブア州などは治安の良い地域ではありません。
日本人を含めた外国人観光客がしばしば誘拐されています。
ただし、誘拐されるのはほぼチャーターした4WD車で、地元の人が乗った路線バスの襲撃情報はありませんでした。

「ならば、バスで行けるのではないか」と考えたのです。

マハナツーリズムホームに宿泊していたトミーさん(日本人宿ではニックネームで呼びあうのが慣わし)が、ドバイからオマーンを通って陸路イエメン入りした途中で、シバームに立ち寄っていました。

イエメンの陸路移動には、ツーリストポリスが発行するパーミット(許可証)が必要ですが、危険な方面にはそれが発給されない確率が高い。さらにパーミットがあってもバス会社がチケットを売ってくれない場合があるそうです。

トミーさんはたまたまパーミットが取れて、バスチケットも買えたのですが、検問で何度も彼一人だけのために足止めを食い、「パーミットが出たのは、ツーリストポリスの情報不足か勘違いがあったような気がします」と話してました。
また、シバームからサナアまでは、基本的には最短の山岳ルートではパーミットが取れず、海沿いの迂回路を使うと2~3日間要するのではとも教えられました。

そういう話を聞いて、「シバームまでの陸路移動はきわめて難しい」という判断に至ったのです。「無理をして陸路にこだわると、肝心のシバームに行けなくなる可能性が出る」と。

それで、日本人宿に泊まった目的は達せられたのですが、ここに泊まっている宿泊者の話はなかなか面白かった。

「旅の猛者」が揃っていたのです。
とくにリーダー格のマサシさんは、マッサージの仕事で資金を得ながら5大陸を放浪したりボランティアをすること9年半。アフリカはビザの出なかった5カ国以外はすべて行ったことがあるそうで、修行僧のような風貌と落ち着いた話し方。私よりも10歳近く若いのですが、周囲の人を惹きつける力がありました。

この人から「サナア周辺の日帰りツアーに参加しませんか?」と誘いを受け、私は2泊目からサナア旧市街の中級ホテルに移動することを決めていたのですが、その話に乗ることにしたのです。

サナア2日目、私は旧市街のホテルに移動し、夕方、シバームまで(正確には最寄のサユーンという町まで)の航空券を買い、夜は旧市街であった結婚式を見物しました。

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翌朝、午前6時にマハナツーリズムホテルへ戻り、ツアーはスタートしました。
まずは、ワディ・ダハールを訪ねました。
ここには「ロック・パレス」と呼ばれる岩の上の奇妙な建物があります。
これは、この地域のイマーム(部族長)の別荘だったそうです。

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次いで、シバーム(前述のシバームとは別の町)とコーカバンという双子の町に。
350メートルの標高差のある両町は、敵が攻めてきたとき下の町の住民が上の町に逃げ込み、下の町は農業と商業で上の町を支えるという関係にあるそうです。

午後、岩盤の上に立つハジャラという町に向かいました。
スペインのアンダルシア地方にある、ロンダなどと似た感じの町です。

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これらの町をランドクルーザーで巡りながら、バックパッカーたちと色々な話をしました。

学生ながら無類の旅行好きで、就職を決めて秋の長期旅行に出ているマサ君。彼はなぜ生きるのか、なぜ仕事をするのか真摯な考えを持っている青年でした。

放浪しながら、人々の笑顔を撮り続けているハジメさんは、東京の某コーヒー店で1日の睡眠が4時間の激務をこなしていたそうです。私も月300時間労働を2年間続けていたことがあるので、その辛さは幾らか分かります。笑顔を撮ることが他の悩める人へのメッセージになるのか、自己回復の手段になるのかは判りませんが、頑張って旅して生きてほしいと思いました。

ツアーの後にも食事に行って、中央アジアやアフリカなど、私があまり行ったことのない地域の旅の話を聞きました。

私にはもう、アフリカ大陸を横断したり縦断したりする気力・体力は残っていませんが、未踏の西アフリカ(マリ共和国が良いそうです)や中央アジアに行ってみたいという、冒険心が掻き立てられました。

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サナア旧市街

タイのバンコックから、U.A.E.のドバイ経由でイエメンのサナアに向かいました。

19日はほぼ休息に充て、20日にサナアの旧市街を歩きました。
旧市街は中世からの町並みで、日干し煉瓦の建物群が美しい。
ちょっとした散歩がてら撮ったのがこんな写真です。

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ともかく、中世から続く古い街並みなのです。

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バンコック到着

ビエンチャンで約1日半を過ごし、タートルアンやブッダパークを拝観した後、シャトルバスで友好橋を渡って、タイのノーンカーイという町に入りました。

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(タートルアン)

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(ブッダパーク)

タイに来るのは13年ぶり。
前回、皆既日食を観に来て以来の訪問です。

タイは小乗仏教の文化が奥深く、時間をかけて歩きたかったのですが、ラオスの悪路で予想以上に疲れてしまい、イエメンに向かう日程を考えると、ほとんど素通りになりました。

残念ですが、学生時代に北はチェンラーイから南はプーケットまで巡り歩いたことがあるので、「今回はまあ、いいか」と思った次第です。

ただ、素通りするにしても風景はしっかり見ようと思いました。

タイの国内交通はバスが主流で、鉄道に乗る観光客もほとんど寝台列車を使うのですが、私はあえて昼間の急行列車に乗りました。

朝6時、バンコック行き急行はノンカーイ駅を出ます。
しばらくは外も暗く、私も席で眠っていたのですが、8時頃起きて車窓を見ると、風景がのどかでなかなか良い。

もっともエアコン付き2等席(この列車の最高等級)の窓は、日除けフィルムが貼られ、傷だらけで、おまけに開かなかったため、2等席の周辺の乗客と車掌に理由を説明して、エアコンはないけど窓が開く3等席にしばしば「出張」していました。

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(2等車)

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(3等車)

窓から澄んだ風を受け、視界もクリア、ラオスのバスのように揺れるわけでもないので、乗り心地は最高でした。

田園、潅木の生い茂る高地、遊水地にも見える沼、湖。
風景は変化に富んでいました。

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風に当たり疲れると2等席に戻り、また風景が良くなると3等席へと、気まぐれに移動したのです。2等席に帰ると、前に座っていた子供とふざけあっておりました(お互いに暇つぶしで)。

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バンコックまで11時間、楽しい旅でした。

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(バンコック・駅構内の散髪屋)

駅からタクシーで空港に向かい、深夜の飛行機でドバイ経由イエメンに向かいました。

結局、上海からバンコックまで陸路で4200~4400キロくらいでしょうか。
こんなに大規模な移動をしたのは、11年前にパキスタンのイスラマバードから北京まで、ヒマラヤを越え、パミール高原、ゴビ砂漠経由で移動して以来でした。

「いい年をして、どうしてこんなにハードな旅行をするのか?」と自分でも呆れます。

宿泊地のランクは上げているけど、やってることは昔の貧乏旅行とほとんど変わりません。

海洋冒険家の堀江謙一さん(高校の先輩でもある)が何度も太平洋を横断するように、旅行作家の下川裕治さんが何度もユーラシア大陸を横断するように、私も「そこに陸路があるから」というのが、動機なのでしょう。

今回のアジア縦断では、やはり経済の発展を感じました。ラオスも中部に入ると、発展のきざしがありました。タイは感覚的には「中進国」にも見える。
そして国境が開かれることで、中国人、韓国人、タイ人などが気軽に近隣諸国を往来する様も見ることができました。

このブログは旅をしながら書いているので、時間的、体力的な制約などから、書き足りない部分もあります。
写真も含めて、追加、加筆していきますので、過去のバックナンバーも含めて、これからもご愛読ください。

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続・苦難のバス道中

ルアルパバーンから、バスに乗って首都のビエンチャンに向いました。

ラオスのバス道中が苦しいことは先刻承知だったのですが、陸路でバンコックを目指す意地のようなものでしょうか。

一番設備の良い(トイレ付きの)「VIP」というバスを予約しました(実際は日本の昼行高速バス程度)。

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予約を入れたのは9番という前方窓側の席。
ところがその席がダブルブッキングされていたのです。

出発前にトイレに行った隙に、私の荷物はどけられて、唯一空いていた「最後部中央の席に行け」と係員が言うのです。
抗議しましたが、「じゃあ降りるか?」と言われ、日中便はこれ以降ないのと日程が押していたので、泣く泣く乗ることにしました。

私は乗り物酔いはしないほうで、バスでも10歳頃以降、一度も吐いたことがないのですが、最後部座席はあまり好きではない。動物の尻尾のように、時間をおいて変な遠心力がかかるのが気持ち悪いのです(ほとんどの人がそうだと思いますが)。
ラオスの曲がりくねった道で、11時間も耐える自信はありませんでした。
走り出してみてわかったのですが、スーパーハイデッカーでサスペンションが柔らかいので、最後部席は余計に揺れるのです。
右に左に、上に下に。

山道を走り始めて1時間足らずで、「これは酔うに違いない」感覚がしたので、運転席脇の階段に移動しました。そこにクッションを借りて座ったのです。
事故が起きた時に危険ですが、ルアルパバーンからの道は対向車とすれ違える幅があったので、「何とかなるか」と思いました。

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(バス前方からの眺め)

結果的にこれは正解でした。
前方がよく見えるのでカーブに上手く対応でき(内側方向に体の重心を意識してかける)、窓も開くので新鮮な空気が吸えました(他の席は窓が開かず、車内にはかすかにトイレの臭いこもっていた)。

3時間か4時間して、車酔いして嘔吐していたラオス人女性が、「そこの場所と替わってほしい」と言ったきたので、ようやく普通の席に座ることができました。

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(場所を交換した後のラオス人女性。酔いはかなり楽になったそうでした)

夕方、バンビエンという町で、乗客の3分の1くらいが降りたので、私は別の空いている席に移動し、タイから来ていた観光客(皆、大学出で英語が流暢で、化粧品会社の研究員や、最近まで三菱系の現地法人で働いていた人もいました)や、韓国の国立大学教授(ハノイの学会に参加する前に、アジアを巡っていた)と楽しく話をしながらビエンチャンに着きました(VIPバスなので観光客が多い)。

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(タイからの観光客。歯を見せるのが記念写真の流儀なのかな?)

最後の3時間くらいはとても楽しかったのですが、それでもビエンチャンに着いてみると、かなり疲れていました。

ルアルパバーン

今回のブログは、メコン河畔のオープンカフェでのんびり書いています。

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11月9日深夜、私はほうほうの体でルアルパバーンにたどり着きました。
翌朝、中心部に近くてメコン川が眺められるプチホテルに移動し、2日間、ほとんど何もしないで休養にあてました。

上海からルアルパバーンまで3400キロを、昆明の1泊をはさんで移動し続けたので、体調を整えることにしたのです。

とはいえ、10日の朝食で出されたカットずみフルーツに細菌が付着していたせいか激しい下痢になったり、当地でもなかなか体調が戻らなかったのですが、昨日くらいから街歩きができるぐらいに回復しました。

ルアルパバーンはラオスの古都で、それほど大きな町ではありません。
町並みと史跡群が世界遺産に指定されているそうですが、寺院や博物館に目を見張るものはなく、文化の蓄積度で言えば「鎌倉並み(世界遺産未登録)」というのが実感です。

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それでも物価の安さ、人々の穏やかさが好まれるのか、欧米人向けのリゾートとして急速に発展していました。
とにかく目につくのは欧米人の姿。2週間から1ヶ月間の休暇を過ごす場所として、都合のいい場所らしい。ラオスと、東南アジアのもう1カ国を組み合わせて滞在する人が多いようです。

一昨日の夜、ナイトマーケットをぶらぶら歩いていると、ラオス語で値段交渉している3人連れの日本人がいました。「どうしてラオス語が話せるの?」と聞くと、2人は青年海外協力隊だとのこと。面白そうなので食事に誘いました(旅に出てから日本人と食事をするのは初)。

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ラオス北部で「一村一品運動」を指導している吉江さん(男性)から「中国とタイを結ぶ高規格道路の計画はあります。ただしルアルパバーンは通らない。タイ北部からラオスをほんの少し横切って中国に達するルートです」と教えられました。どうりでラオス国内は悪路だった訳です。向かって一番右の女性は河村さん。保育士で当地に赴任してきたばかりとのこと。

ちょっと面白いと思ったのが、協力隊ではない横山さんという女性。「草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員」という肩書きで、話を聞くと「日本政府がNGOに資金援助する際の窓口の仕事をしている」そうです。

昔、日本の国際援助は箱もの(インフラ整備)一辺倒で、利権の臭いも強く、内外の批判を浴びていました。そこで、たぶん諸外国にならってだとは思いますが、NGOへの援助を始めたようなのです。

ルアルパバーンでは、昨日一緒に夕飯を食べたうちの一人Mathieuというオランダ人男性も「カンボジアで森林を保護しながら産品を生み出し、それを流通に乗せるNGOに参加している」と言ってましたし、今日、パークウー洞窟へのツアーで後ろの席に座っていたオーストラリア人のWilson夫妻も「娘が、スイス企業をスポンサーとする、農業開発事業のNGOに携わっている」と話してました。

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(パークウー洞窟・内に仏像が500体以上の安置されている)


とにかくやたらと、この国には国際援助関係者が多い。
これもある意味、ラオスの状況を物語っているのかもしれません。

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バス地獄

ラオス。
私にとっては、64番目の訪問国です。

バスが中国とラオスの国境に到着したのは、11月9日の午前8時でした。
中国とラオスの出入国管理事務所はそれなりにモタモタしながら通過し、最後にラオスの税関を通ろうとしました。ところがそこでバスは、ぴたりと足止めを食ってしまったのです。

いつ終るとも判らぬ通関手続き。当初は周辺のスナップ写真を撮ったりしていたのですが、時間の経過とともに陽射しがきつくなり、歩き廻るのも大変になりました。

売店で砂糖入り豆乳を買って、軒下の椅子に座り、暇つぶしの最強ツールとして持参した、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(光文社古典新訳文庫)を読み始めました。
この小説を読むのは22年ぶりです。前回は新潮文庫版でしたが、今回のは翻訳が新しい分、読みやすくなっています。

足止めは3時間以上に及びました。
乗客の誰かが違法な物を運び込もうとしたのか、税関職員の気まぐれかはわかりません。
ともあれ国境通過で午前が終わってしまったのです。

そして税関を抜けてまもなく、2車線の道が1車線になり、日本で言えば田舎の町道レベルになりました。
その道は、トンネルという短絡法をまったく知らないかのように、左へ右へと曲がっている。
中国国内を平均時速80キロ以上で走ってきたバスが、いきなり平均時速30キロ未満にスローダウンしました。

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「あちゃー。これは参ったね」
と、私は思いました。

地図上の距離感で言えば、中国の行程が8割強、ラオスは2割弱の見当で、あと5時間もあれば目的地のルアルパバーンに着きそうだったのです。が、のろのろぐにゃぐにゃ走っているバスの様子からは、そのくらいの時間で着きそうな期待が持てない。

さらに困ったことに、舗装が途切れて、土の道になったのです。

「未舗装かいな。中国との交易路なのに。どうなっとるんじゃ、この国は?」
と独り言が口をつきます。平均時速は20キロを割ったでしょう。

しかし、どうなっとるもこうなっとるも、人々の暮らしを見れば「仕方ない」と思える。

良し悪しは別として、ラオス北部はかなり貧しい。
農業と小商いの他に産業はなさそうで、山がちの土地ゆえに農業も細々とやっている印象です。農地で、耕運機などの機械はまったく見られない。
電気は通じていますが、水道とガスはなさそうでした。

けっして「貧しい=不幸」ではないと思います。が、彼らにトンネルを掘る余力はなさそうです。道路が舗装されていなくても、仕方がない気がします。
結局、ルアルパバーンまでの道は、4分の1くらいが未舗装でした。

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そして、ますます困ったことに、バスが故障したのです。
このバスは中国国内を走っていたときから、あまり調子が良くなくて、モンラーの修理場で盛んに点検をやっていました。

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バスに乗るとき、ターミナルに「大宇」と車種の表示があったので、韓国製だと思って安心していたのですが、これが甘かった。バスのエンブレムをよく見ると「桂林大宇」とあり、中国製だったのです。

韓国メーカーには、しっかり技術指導と品質管理をしてほしかった。

乗務員が作業着になって、バスの下に潜ります。

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30分、40分と作業してようやく復旧したらしく、再出発します。

ラオスに入って最初の町、ウドムサイに入ったのは午後5時でした。
この調子では、ルアルパバーン到着は早くて深夜。

すでにかなり疲れていたので、「残り区間の切符を捨てて、降りようか」と思いました。降りてウドムサイで宿泊し、翌日のバスでルアルパバーンに移動する方法が頭をよぎりました。

バスの車掌も「ルアルパバーン、明天(明日)」と、降車を促しているようでした。

ただ、疲れで判断力が鈍っていたのか、元バックパッカーの意地のようなものが出たのか、ある雑誌社から乗車記の執筆を打診されていて「乗り続けたほうが話のネタになる」と、よこしまな計算が働いたのか、ともかくウドムサイで降りられなかったのです。

ウドムサイを通り過ぎて、すぐ後悔しました。
「旅程68日のうち、まだ9日目だよ。ここで消耗してどうする? 自分の年齢を考えろ」と。

さらに後悔は続きます。
ラオスの道が相当悪いことは、下川裕治さんの著書「歩くアジア」(双葉社文庫)を読んで知っていました。
にもかかわらず、「あの本の執筆から10年以上が経っているんだ。東南アジアへの交易路として重要なこのルートは、中国のテコ入れで整備が進んでいるに違いない」と思いこんでいたのです。

それは中国の高速道路網の発達を見ての、憶測でした。
しかしよく考えてみると、中国沿海部の工業地帯と東南アジアを結ぶなら、船舶が一番効率的な輸送手段です。
ラオスの九十九折の道を見て、ようやくそのことに気付きました。

かようにどんなに後悔しても、ウドムサイに戻る方法はありません。
運転手も焦っているようで、ろくに休憩も取らず走り続けます。

そして日が暮れた直後に、また故障です。
今度も修理に30~40分。無為に時間が通り過ぎました。

私の場合、もうひとつ大きな問題がありました。
食べるものが、ほとんどなかったのです。

中国国内と、ラオス国境で食事の機会はありました。
ところが食堂で出されるのは辛いものばかり。

私は、体質的に辛いものが食べられないのです。
喉を通らなくはないのですが、必ず下痢をします。
だから海外旅行が好きな割に、タイなど食事が辛い国へはあまり行きません。韓国に行っても、韓国料理は避けるのです。

この国際バスは、日本の高速バスのように車内トイレはありません。
辛いものを食べて下痢になったなら、便意ごとに車を止めてもらって、その辺で排便しなくていけない。
結構、切実な問題です。

なので、食堂でほとんど食べられず、昆明で買った2本のバナナと5個のパン、途中で買ったクラッカーでしのいでいました。

空腹は、「レイテ島や硫黄島の日本兵のことを考えたら、まだマシだ」と考えて我慢することにしました。そのうち、疲労でお腹が空いたという感覚も鈍ってきました。

まがいなりにも先進国で懸命に働き、旅行資金も充分持っている私が、なぜこんな悲惨な状況に陥るのでしょうか?

自分でも、さっぱり訳が分からなくなってきました。
馬鹿さ加減が嫌になりました。

もう何も考えず、何も感じず、車内のモニターで流される中国のアクション映画をぼーっと観ることにしました。中国語のテロップが流れるので、おおよその筋がわかるのが幸いでした。

しかし、まだまだ不幸は続きます。

アクション映画を観ていた私が、体勢を変えようと腕を上げた途端、引っかかりを覚えたのです。
「何だろう?」と思ってみると、前の乗客が残したガムの噛みかすが、窓枠と私のフリースをくっつけているのです。
このバスは、通風口(ものすごい勢いで冷気が流れる)の位置や、直射日光の向き、寝台の形状に微妙な当たり外れがあって、私は何度か席を替えていました。当たり席を国境で新しく乗ってきた乗客に取られて、次善の席に座りなおしていました。
この次善の席の前の乗客が、ガムの噛みかすを紙に包まないで、窓枠に置いて降りたようなのです。

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別にバス会社の責任ではないから文句も言えないし、フリースに付いたガムは100%取れないでしょう。とにかく、このフリースは今後アウター(外着)としては使えなくなりました。
パリで、カルフールのようなスーパーが見つかれば、買い直そうと思います。

その約30分後、今度は未舗装路で乗客の体が浮くくらい、バスが大きな窪みにはまりました。
夜で視界が悪いのと、運転手の疲れと焦りのせいか、あまりスピードを落とさずに、窪みに入っていったようなのです。
その時、カメラやパソコンなど機械類の入った私のバッグが、寝台上段から1メートル50センチ下の、床に向かって落ちていったのです。
幸い、落ちた先には他の乗客の穀物袋のようなものが置いてあり、大事には至りませんでした。ただ、一眼レフレンズの光軸ずれなど見えないところでダメージがあるかもしれません。

結局、ルアルパバーン郊外のバスターミナルに着いたのは午後11時。
市内に移動してホテルを探す余力もなく、バスターミナルに併設された中華系旅社に転がりこみました。シャワー、トイレ共同で40元(600円)の安宿でした。

今回は、もっと優雅な旅行をするはずでした。

それが、ルート選択のミス、つまりは情報不足のため、とんだ「苦行」になってしまったのです。

疲労が相当蓄積したので、ルアルパバーンで少し休息することにします。

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北極星は山の彼方

昆明から出ることを決めたとき、私は考えました。
シーサンパンナ地方の田園風景を眺めながら、のんびり南下できないものだろうかと。

中国の雲南省からラオスに向かう経路は、シーサンパンナ自治州を通ります。
ここは風景が美しく、「日本の原風景」と呼ばれることもあります。

話がまた20年前の旅行に戻って恐縮ですが、上海や北京を起点に昆明まで辿り着いたバックパッカーたちは、その後2方向に分かれました。
雲南省の大理を目指す者と、シーサンパンナの景供を目指す者に。
大理へは片道8~10時間、景供へは2泊3日の道のりです。
シーサンパンナがいくら美しいと言っても、当時の中国のバス(狭い、遅い、揺れる、故障する)で片道2泊3日の旅は過酷でした。昆明に辿り着くまでに疲弊していた私は、大理行きを選んだのです。

大理はとても美しい場所で、少数民族の人々も素朴。
パゴダのような塔を有する「三搭寺」と呼ばれるお寺。石作りの町並み。
湖もあって、ちょっとした桃源郷のようでした(その後、7年前に再訪したのですが、見事に観光地化していました)。
出会った日本人たちも個性的で面白い人が多かった。

あれから幾星霜。
「シーサンパンナに行ってみたい」という思いは残っていたわけです。

昆明からシーサンパンナ経由でラオスに向かうためには、モンラーという町に行かなくてはいけません。ところがモンラー行きの昼行便が見当たらない。
中国の長距離バスでは寝台付きが一般的で、つまりほとんどが夜行便なのです。
昼行便のある景供経由でも行けなくはないのですが、少し遠回りになって乗換えが多くなり、日程に制約があるサラリーマン旅行者には辛い。

バスターミナルで散々悩んだ挙句、選んだのはラオスのルアルパバーン行きの、国際長距離バスでした。
シーサンパンナの風景は諦めたのです。

11月8日の夕方、私はバスに乗り、南へと向かいました。
中国の寝台バスというのはこんな感じです。

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出発後40分弱で昆明市内の渋滞や喧騒とも別れ、高速道路をひた走ります。

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中国の高速道路の発達はすごい。
元々土地は国家のものですから、日本のように用地買収で膠着することもない。
ラオス国境の手前まで、ほとんど高速道路が通じていました。
寝台バスの乗り心地もなかなか良くて、ごろごろしながら車窓から星を見ていました。

オリオン座とカシオペア座って同時に見られるのですね。
東京に住み始めてから、旅行中以外は星を見なくなっていたので、久しぶりに気付きました。
カシオペア座のW形の角から北極星を探したのですが、これが空の低い場所、山の彼方といった感じのところにある。
北極星が低く見えるのは、南に来ている証拠です。
「北回帰線は越えたかな?」なんて考えながら眠りに就いたのです。

なかなか快適なバス旅でした。
国境を越えるまでは。

この後、ラオスの行路で地獄を見るとは思いもしませんでしたが……。

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昆明脱出

昆明に到着した翌日に、ラオスに向けて出発しました。

昆明には2泊するつもりだったのですが、道ゆく自動車の排気ガスがあまりにひどくて、逃げ出したのです。

中国は経済が急発展して自動車が増えている割に、排気ガスを浄化する技術が追いついていないのか、都市の大気汚染は深刻です。
当局にも問題は認識されているようで、たとえばスクーターは電動式をかなり普及させるなど対策は練っているようなのですが、いかんせん焼け石に水。

最初の訪問地である上海には地下鉄があったので、乗ればある程度難を避けられたのですが、昆明ではどこに行くにもタクシーかバスに乗らなくてはいけない。そして道路は慢性的に渋滞しています。タクシーもエアコンを使わないで窓全開で走るから、結局、排気ガスを目一杯吸い込んでしまうのです。

そうやって考えてみると、東京はよく出来ています。
鉄道とバスの路線網が充実している。
駐車場代が高いから、自動車の普及率は低い(環境政策とは別問題ですが…。私も自動車を保有したことがありません)。
トラックの排ガス規制がきわめて厳しい(石原都政ほとんど唯一の成果)。
近郊を含めると2000万人以上が生活している大都市圏にしては、かなり空気が綺麗なことを再認識しました。


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昆明行き「空調快速」

私は昔から陸路移動が好きで、ユーラシア大陸とオーストラリア大陸は鉄道で、北アメリカ大陸はバスで横断したことがあります。

今回も、日程の制約のなかでなるべく陸路で移動してみたいと思い、上海から昆明まで約2400キロの長距離列車に乗りました。

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2400キロというと鹿児島-青森間の距離よりも長い。11月5日の午後4時すぎに上海を出て、7日の午前10時に昆明に到着するまで、40時間以上列車に揺られました。

と書くと大変な移動のようですが、軟臥(1等寝台)を使ったため、結構快適だったのです。これは2段ベッドの4人相部屋なのですが、ベッドのクッションがよく、内装も上品な感じです。中国の鉄道はもともと軌間(ゲージ)が広く、さらに線路の改良が進んでいるので、今では日本のブルートレインよりも乗り心地がいい。

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さて、5日夕方に上海を出て、しばらく車窓を見ていました。出発して20分くらいで市街を抜けると、30分以上ずっと工場や倉庫のような建物群が見えます。私は世界の様々な街を眺めてきましたが、これほどまでに近郊の工業地帯が続くのを見たことがありません。上海は広東省や福建省と並び、「世界の工場」中国の一大拠点。今回の私の持ち物は、衣類は言うに及ばず、デジカメやパソコンも中国製です。これらのいくつかはこの辺りで作られたのかもしれません。

日が暮れて食堂車で夕飯。私は食堂車が好きで、以前、東海道新幹線に二階建ての食堂車があった頃、よく使っていました。今、日本では寝台特急「北斗星」などごく一部しか食堂車が残っていません。

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この日の夕飯は「木耳焼肉」と「白飯」を注文。文字から推察した通りキノコが入った焼肉だったのですが、なかなかの美味でした。

夕飯の後、寝台車に戻ると李さんというおばさんが入っていました。彼女はソファーの販売員です。カタログを見せてもらったのですが、日本ではあまり見られない豪華で大きなソファーの写真が並んでいました。彼女は商魂たくましく「あなたもソファー買わないか?」と勧めてきたのですが、私は「不要、不要。私も日本で持っているよ」と笑ってお断りしました(ただし私の家で使っているソファーは、イケアで買った安物です)。

ひとしきりの筆談が終わったあとは、ベッドに横になって読書。松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」(文春文庫)と、村上春樹「ノルウェイの森」(講談社文庫)を読んでいました。
松原さんの本を読むのは初めてですが、欧米諸国がいかに自分たちに都合のいい理屈で非欧米諸国を制圧・収奪してきたかが、きちんと検証されていて面白い。と、同時に自給自足で静かに暮らしていた江戸時代の日本が、欧米諸国の収奪に巻き込まれ、明治維新の後、自身も征服者側に廻った経緯も、自戒をこめて描かれています。
「ノルウェイの森」を読むのは久しぶりでしたが、しばし心が青春時代に舞い戻りました。

翌朝、目が覚めると、列車はのどかな田園風景のなかを走っていました。ここにきてやっと中国の原風景に出会えたのです。この日はほぼ一日中、車窓風景を見ていました。中国も沿海部の都市近郊を除けば、まだそれほどは発展していなくて、昔ながらの建物や人々の素朴な暮らしが見えてきます。

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前日の真夜中かこの日の明け方、2人の男性が乗り込んできました。多さん(写真向かって右)と安さん。多さんは経済公安の職員で、安さん(先ほどの寝台の写真で出ている寝ている男性)は建設師(施工)だそうです。

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多さんは43歳で、25歳の妻がいることをしきりに自慢していました。で、それを誇示するためか「結婚証」というのを見せてくれたのですが、なぜか彼の出生が1968年になっている。「あなた43歳でしょう?」と聞くと、「出生年月日なんて偽でもいいんだ、ガハハハ」と笑い飛ばすのです。日本でも何日か実際より出生日をずらす話は聞いたことがありますが、4年も誤魔化すことはありえない。学校はどうしたのだろうか、よくそれで公安職員になれたな、などと不思議に思ったのですが、安さん(41歳)も「そんなものさ」と言っていたので、中国では戸籍はアバウトなもののようです。

中国の長距離列車が日本の寝台特急と一番違う点は、服務員(乗務員)の多さです。昼夜交代で任に当たって起点から終点まで乗り通すのですが、23人もいるとのこと。これに列車公安(鉄道警察)や食堂車の担当もいるので、全部で30数人はいたと思います。

私の乗っていた軟臥車の担当で、ひとりだけ英語が少し話せる服務員がいました。胡さんという西南交通大学の学生で、実習で服務員をやっているそうです。彼女の出身が峨眉山の近くだとか、私が中国のどこに行ったことがあるかだとか、他愛もない話でしたが、おかげで退屈しないですみました。

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2日目の午後、列車は桂林に到着。列車内からも桂林らしいカルスト地形が見えました。

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その後は美しい夕焼けを見たり、隣室の小さな子供と遊んだり、隣室の中国系カナダ人と話をしたりしているうちに夜になり、食堂車でまた「木耳焼肉」を食べて、就寝。

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翌朝、目を覚ますと午前8時で、そこから昆明までの2時間はあっという間でした。

私は今まで何度か中国の長距離列車に乗ったことがあります。20年前、乗客は所構わずタバコを吸いまくり、ゴミは床や窓の外に投げ捨てたりで、マナーの悪さに驚いたものです。それが10年前にウルムチから西安までシルクロード特快に乗った頃から、マナーがよくなったことを感じました。今回、硬臥(2等寝台)や硬座(2等座席)も見てみましたが、20年前とは別世界でした。

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(硬臥)

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(硬座)

日本でも昭和30年代、終着駅に着いた列車の車内では、床にゴミが散乱していました。「衣住足りて礼節を知る」という言葉が中国伝来なのかは知りませんが、車内の快適さは生活レベルに比例するようです。

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人間の性(さが)

「近未来都市」の探訪にも少し飽きたので、上海の街歩きをしました。

まずは、バスの「でまかせ乗り」。
これはバックパッカーがよくやる遊び(沢木耕太郎『深夜特急』の影響かも)で、行き先のわからない路線バスに飛び乗って終点まで行き、同じ路線のバスで戻ってくるのが基本。
まったく知らない街路で、現地の生活を眺められるのが楽しい。
終点もたいてい観光地ではないから、外国人がもの珍しく、店のおばちゃんなどから歓迎されます。

ところが上海では、この遊びは駄目でした。
自動車の排気ガスに、参ってしまったのです。

北京オリンピックで大気汚染を理由に参加しない選手がいましたが、上海も相当なもので、公害全盛期の昭和40年代を大阪市内で過ごし、排ガスに慣れているはずの私も、バスに1時間弱乗っているだけで、眼がチカチカして頭が痛くなってきたのです。

あわててバスを降りて、中層アパート街を散歩しました。

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ここには小さな店が軒を連ねていたり、出店があったりで、アジアらしい雰囲気が満ちています。

そこで目にしたのがこんな光景です。

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何だかわかりますか?

実はトラックの荷台で、トランプ博打をやっているのです。
だけど、路地でも堂々とトランプをやっている人がいるのに、なぜ彼らはトラックの荷台でやっているのでしょうか?

怖くて話を聞けなかったので、想像ですが、
1、賭ける額が大きいので違法性が高く、一応、目立たぬようにやっている。
2、雨が落ちてきても場所を替えずに続けられるので、賭場としての安定性が高い。
のどちらかでしょうね。

賭博が違法かどうかの判断は日本でもあいまいで、1回数万円までの賭けマージャンや賭けゴルフは、実際にはほとんど処罰の対象になりません。昔、元スポーツ選手が捕まった数十万、数百万単位の賭けマージャンは、社会の安定を損なう原因になる(負けた人がヤケになる)ので、時々摘発されます。

中国でも路上でマージャン、トランプ、将棋などをやっている光景はよく目にしますが、たぶんお金は賭けているでしょう。それもやはり少額なら「人間の性」だからお目こぼし、社会の安定を損なうような大金なら摘発ということではないかと思います。

あくまで想像ですが……。
でも、トラックの荷台でやっているとかえって目立つので、理由は2、かもしれません。

ところで、上海の滞在は今日までです。
この後、2泊3日の長距離列車で雲南省の昆明に向かいます。

次の更新は昆明からになるでしょう。

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森ビル

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リニアの次は、超超高層ビルです。

お上りさんみたいだけど、「近未来都市」を見たくて上海に来たので、そういう順番になります。

「上海環球金融中心」は100階建てで、尖塔部を除いて492mあり、実質的には現在、世界一高いビルです(尖塔部を含めれば、台湾のTaipei101が509mでトップ)。

私は、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディング(381m)を見たことがありますが、それより高いことはすぐに判りました。

お上りさんは高い所に昇るのが基本ですから、展望台まで行きました。

ですが、期待していたほどの眺めではありませんでした。
天気のせいか、大気汚染のせいか、「もや」がかかって遠くがよく見えないのです。

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展望台に流れるプロモーションビデオでも、風景はかすんでいたので、これが普通なのかもしれません。

このビルの施主は森ビルグループです。
プロモーションビデオでは、「ビルを高層化して、空間を効率的に使いましょう」云々のメッセージが流れていました。

これは森ビルまたは創業者森一族の、信念、信仰みたいなものです。

が、私は「本当か?」と思いました。

効率的に使っているはずなのに、なぜ、賃料が高くなるのでしょうか?

ビルを高層化すればするほど、建設コストがかさむからです。

賃料が高いので、六本木ヒルズなどの入居者も、IT、コンサル、外資系金融などが中心となります。背伸びして入居する企業が多いから、トラブルも多い。最近はショッピングゾーンでの閉店も多いと聞きます。

「上海環球金融中心」も、夕方見ると、照明の入っていないフロアが目につきました(一部がホテルだからなのかもしれませんが)。

私は、ビルを高層化して効率的になるのは、その地域の土地代が目茶苦茶高い場合(東京都港区、ニューヨークのマンハッタン島など)の話ではないかと思います。

上海の経済発展が著しいといっても、492mは背伸びという気がします。年率9%で成長する中国のことだから、そのうちテナントは埋まるかもしれませんが……。
ただ、周辺の30~50階の高層ビルとの賃料競争に勝てるのか? つまり実利を重んじる中国人が、超超高層ビルという理由で高家賃を受け入れるのかという疑問はあります(中国人は見栄も張りますが)。

ちなみに、この旅では、ドバイでもっと高いビル「ブッシュ・ドバイ(建設中)」を見る予定です。

結局、私も超高層ビルが好きなのかもしれません……。

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リニアモーターカー

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上海は、20年前とはまるで別の街でした。

人々の服装、自動車の多さ、ビルの高さ。
日本とあまり変わりがありません。

20年前はまだ社会主義国で、ホテルや店の従業員の態度が横柄だったのですが、今はサービスもよくなっています。
たとえば地下鉄で切符売り場が見当たらず、「服務中心」で行き先を書いた紙を出したところ、その服務員がわざわざ切符売り場まで買いに行ってくれた時には、日本でもないサービスなので、面食らいました。

とりあえず最初は、龍陽路と上海空港を結ぶリニアモーターカーに乗りに行きました。
これは営業路線としては世界唯一の高速リニア鉄道で、最高速度431キロで走行しています。

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100キロ、200キロ、300キロと加速して、400キロを超えたのですが、日本の新幹線より明らかに速い。
併走する高速道路の自動車が、一瞬止まって見えるほどです。

システムの多くはドイツのシーメンス社によるもので、新幹線のように国産技術(といっても、欧米の技術も入っていたと思うが)ではないけれど、これを導入する思い切りは、さすが中国です。

上海の後で東京に来た人が、成田エクスプレスや京成スカイライナーに乗って「何だこれは、遅れている国だな」と思うのが心配なほど、落差がありました。




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上海到着

20年ぶりの上海に着きました。

昨夜は夜9時に上海国際空港に着いて、エアポートバスとタクシーを乗り継いで、「良友飯店」というビジネスホテルに投宿。今日、「船長青年酒店浦東店」に移りました。

今回の旅行は、あわてて荷造りしたためか、ペンを持参し忘れて、成田空港で買う暇もなかったので、中国の入国カードも飛行機の隣席の日本人にペンを貸してもらって書く始末でした。

上海空港からエアポートバスで市内に向かっているとき、バスの降車場からタクシーの運転手に見せるメモ(ホテル名と住所)を作ろうと思ったのですが、またペンがありません。
で、隣の中国人に英語で「ペンを貸してもらえませんか」と頼んだのです。

私が「楽天トラベル」の予約確認メールからメモを作っていると、「どこから来たの?」みたいな話になりました。
すると、隣の中国人も「日本から来た」と言うのです。

日本語も交えて話を聞くと、夫(中国人)が日本の富士市かその周辺で、自動車のデザインの仕事をしているらしく、彼女(葛さん)も2年前から日本に住んでいるとのこと。
具体的には「モード・デザイン」をやっているらしいのですが、私にはその意味がいまいち分からず、私の仕事も説明したのですが、きちんとは伝わらなかったようです。

英語と日本語をあやつる彼女の話し方から察するに、夫も高い技能を持ったデザイナーのようです(研修生とか、そういうニュアンスではなかった。夫は日本に5年住んでいるらしい)。

私は、日本車のデザインに中国人が参画していることに驚きました。
中国への市場対策なのかもしれませんが、日本と中国の人的交流は、そこまで進んでいるのかと。

メーカーの方が読むと「何を寝ぼけたことを言ってるのか」と笑うかもしれませんが、超国内産業の従事者(といっても、中国製品を大量に日本に売りさばくビジネスを手がけていたのですが)には新鮮でした。

あとは私の旅の話をしたり、中国語の即席レッスン(出発前に中国語のレッスンを受けられなかったので。私の発音チェックが主ですが)を受けたりして、市内までの約30分を楽しく過ごしたのです。

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プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は書誌情報の管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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