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続・苦難のバス道中

ルアルパバーンから、バスに乗って首都のビエンチャンに向いました。

ラオスのバス道中が苦しいことは先刻承知だったのですが、陸路でバンコックを目指す意地のようなものでしょうか。

一番設備の良い(トイレ付きの)「VIP」というバスを予約しました(実際は日本の昼行高速バス程度)。

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予約を入れたのは9番という前方窓側の席。
ところがその席がダブルブッキングされていたのです。

出発前にトイレに行った隙に、私の荷物はどけられて、唯一空いていた「最後部中央の席に行け」と係員が言うのです。
抗議しましたが、「じゃあ降りるか?」と言われ、日中便はこれ以降ないのと日程が押していたので、泣く泣く乗ることにしました。

私は乗り物酔いはしないほうで、バスでも10歳頃以降、一度も吐いたことがないのですが、最後部座席はあまり好きではない。動物の尻尾のように、時間をおいて変な遠心力がかかるのが気持ち悪いのです(ほとんどの人がそうだと思いますが)。
ラオスの曲がりくねった道で、11時間も耐える自信はありませんでした。
走り出してみてわかったのですが、スーパーハイデッカーでサスペンションが柔らかいので、最後部席は余計に揺れるのです。
右に左に、上に下に。

山道を走り始めて1時間足らずで、「これは酔うに違いない」感覚がしたので、運転席脇の階段に移動しました。そこにクッションを借りて座ったのです。
事故が起きた時に危険ですが、ルアルパバーンからの道は対向車とすれ違える幅があったので、「何とかなるか」と思いました。

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(バス前方からの眺め)

結果的にこれは正解でした。
前方がよく見えるのでカーブに上手く対応でき(内側方向に体の重心を意識してかける)、窓も開くので新鮮な空気が吸えました(他の席は窓が開かず、車内にはかすかにトイレの臭いこもっていた)。

3時間か4時間して、車酔いして嘔吐していたラオス人女性が、「そこの場所と替わってほしい」と言ったきたので、ようやく普通の席に座ることができました。

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(場所を交換した後のラオス人女性。酔いはかなり楽になったそうでした)

夕方、バンビエンという町で、乗客の3分の1くらいが降りたので、私は別の空いている席に移動し、タイから来ていた観光客(皆、大学出で英語が流暢で、化粧品会社の研究員や、最近まで三菱系の現地法人で働いていた人もいました)や、韓国の国立大学教授(ハノイの学会に参加する前に、アジアを巡っていた)と楽しく話をしながらビエンチャンに着きました(VIPバスなので観光客が多い)。

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(タイからの観光客。歯を見せるのが記念写真の流儀なのかな?)

最後の3時間くらいはとても楽しかったのですが、それでもビエンチャンに着いてみると、かなり疲れていました。
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ルアルパバーン

今回のブログは、メコン河畔のオープンカフェでのんびり書いています。

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11月9日深夜、私はほうほうの体でルアルパバーンにたどり着きました。
翌朝、中心部に近くてメコン川が眺められるプチホテルに移動し、2日間、ほとんど何もしないで休養にあてました。

上海からルアルパバーンまで3400キロを、昆明の1泊をはさんで移動し続けたので、体調を整えることにしたのです。

とはいえ、10日の朝食で出されたカットずみフルーツに細菌が付着していたせいか激しい下痢になったり、当地でもなかなか体調が戻らなかったのですが、昨日くらいから街歩きができるぐらいに回復しました。

ルアルパバーンはラオスの古都で、それほど大きな町ではありません。
町並みと史跡群が世界遺産に指定されているそうですが、寺院や博物館に目を見張るものはなく、文化の蓄積度で言えば「鎌倉並み(世界遺産未登録)」というのが実感です。

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それでも物価の安さ、人々の穏やかさが好まれるのか、欧米人向けのリゾートとして急速に発展していました。
とにかく目につくのは欧米人の姿。2週間から1ヶ月間の休暇を過ごす場所として、都合のいい場所らしい。ラオスと、東南アジアのもう1カ国を組み合わせて滞在する人が多いようです。

一昨日の夜、ナイトマーケットをぶらぶら歩いていると、ラオス語で値段交渉している3人連れの日本人がいました。「どうしてラオス語が話せるの?」と聞くと、2人は青年海外協力隊だとのこと。面白そうなので食事に誘いました(旅に出てから日本人と食事をするのは初)。

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ラオス北部で「一村一品運動」を指導している吉江さん(男性)から「中国とタイを結ぶ高規格道路の計画はあります。ただしルアルパバーンは通らない。タイ北部からラオスをほんの少し横切って中国に達するルートです」と教えられました。どうりでラオス国内は悪路だった訳です。向かって一番右の女性は河村さん。保育士で当地に赴任してきたばかりとのこと。

ちょっと面白いと思ったのが、協力隊ではない横山さんという女性。「草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員」という肩書きで、話を聞くと「日本政府がNGOに資金援助する際の窓口の仕事をしている」そうです。

昔、日本の国際援助は箱もの(インフラ整備)一辺倒で、利権の臭いも強く、内外の批判を浴びていました。そこで、たぶん諸外国にならってだとは思いますが、NGOへの援助を始めたようなのです。

ルアルパバーンでは、昨日一緒に夕飯を食べたうちの一人Mathieuというオランダ人男性も「カンボジアで森林を保護しながら産品を生み出し、それを流通に乗せるNGOに参加している」と言ってましたし、今日、パークウー洞窟へのツアーで後ろの席に座っていたオーストラリア人のWilson夫妻も「娘が、スイス企業をスポンサーとする、農業開発事業のNGOに携わっている」と話してました。

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(パークウー洞窟・内に仏像が500体以上の安置されている)


とにかくやたらと、この国には国際援助関係者が多い。
これもある意味、ラオスの状況を物語っているのかもしれません。

theme : 海外旅行記
genre : 海外情報

バス地獄

ラオス。
私にとっては、64番目の訪問国です。

バスが中国とラオスの国境に到着したのは、11月9日の午前8時でした。
中国とラオスの出入国管理事務所はそれなりにモタモタしながら通過し、最後にラオスの税関を通ろうとしました。ところがそこでバスは、ぴたりと足止めを食ってしまったのです。

いつ終るとも判らぬ通関手続き。当初は周辺のスナップ写真を撮ったりしていたのですが、時間の経過とともに陽射しがきつくなり、歩き廻るのも大変になりました。

売店で砂糖入り豆乳を買って、軒下の椅子に座り、暇つぶしの最強ツールとして持参した、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(光文社古典新訳文庫)を読み始めました。
この小説を読むのは22年ぶりです。前回は新潮文庫版でしたが、今回のは翻訳が新しい分、読みやすくなっています。

足止めは3時間以上に及びました。
乗客の誰かが違法な物を運び込もうとしたのか、税関職員の気まぐれかはわかりません。
ともあれ国境通過で午前が終わってしまったのです。

そして税関を抜けてまもなく、2車線の道が1車線になり、日本で言えば田舎の町道レベルになりました。
その道は、トンネルという短絡法をまったく知らないかのように、左へ右へと曲がっている。
中国国内を平均時速80キロ以上で走ってきたバスが、いきなり平均時速30キロ未満にスローダウンしました。

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「あちゃー。これは参ったね」
と、私は思いました。

地図上の距離感で言えば、中国の行程が8割強、ラオスは2割弱の見当で、あと5時間もあれば目的地のルアルパバーンに着きそうだったのです。が、のろのろぐにゃぐにゃ走っているバスの様子からは、そのくらいの時間で着きそうな期待が持てない。

さらに困ったことに、舗装が途切れて、土の道になったのです。

「未舗装かいな。中国との交易路なのに。どうなっとるんじゃ、この国は?」
と独り言が口をつきます。平均時速は20キロを割ったでしょう。

しかし、どうなっとるもこうなっとるも、人々の暮らしを見れば「仕方ない」と思える。

良し悪しは別として、ラオス北部はかなり貧しい。
農業と小商いの他に産業はなさそうで、山がちの土地ゆえに農業も細々とやっている印象です。農地で、耕運機などの機械はまったく見られない。
電気は通じていますが、水道とガスはなさそうでした。

けっして「貧しい=不幸」ではないと思います。が、彼らにトンネルを掘る余力はなさそうです。道路が舗装されていなくても、仕方がない気がします。
結局、ルアルパバーンまでの道は、4分の1くらいが未舗装でした。

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そして、ますます困ったことに、バスが故障したのです。
このバスは中国国内を走っていたときから、あまり調子が良くなくて、モンラーの修理場で盛んに点検をやっていました。

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バスに乗るとき、ターミナルに「大宇」と車種の表示があったので、韓国製だと思って安心していたのですが、これが甘かった。バスのエンブレムをよく見ると「桂林大宇」とあり、中国製だったのです。

韓国メーカーには、しっかり技術指導と品質管理をしてほしかった。

乗務員が作業着になって、バスの下に潜ります。

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30分、40分と作業してようやく復旧したらしく、再出発します。

ラオスに入って最初の町、ウドムサイに入ったのは午後5時でした。
この調子では、ルアルパバーン到着は早くて深夜。

すでにかなり疲れていたので、「残り区間の切符を捨てて、降りようか」と思いました。降りてウドムサイで宿泊し、翌日のバスでルアルパバーンに移動する方法が頭をよぎりました。

バスの車掌も「ルアルパバーン、明天(明日)」と、降車を促しているようでした。

ただ、疲れで判断力が鈍っていたのか、元バックパッカーの意地のようなものが出たのか、ある雑誌社から乗車記の執筆を打診されていて「乗り続けたほうが話のネタになる」と、よこしまな計算が働いたのか、ともかくウドムサイで降りられなかったのです。

ウドムサイを通り過ぎて、すぐ後悔しました。
「旅程68日のうち、まだ9日目だよ。ここで消耗してどうする? 自分の年齢を考えろ」と。

さらに後悔は続きます。
ラオスの道が相当悪いことは、下川裕治さんの著書「歩くアジア」(双葉社文庫)を読んで知っていました。
にもかかわらず、「あの本の執筆から10年以上が経っているんだ。東南アジアへの交易路として重要なこのルートは、中国のテコ入れで整備が進んでいるに違いない」と思いこんでいたのです。

それは中国の高速道路網の発達を見ての、憶測でした。
しかしよく考えてみると、中国沿海部の工業地帯と東南アジアを結ぶなら、船舶が一番効率的な輸送手段です。
ラオスの九十九折の道を見て、ようやくそのことに気付きました。

かようにどんなに後悔しても、ウドムサイに戻る方法はありません。
運転手も焦っているようで、ろくに休憩も取らず走り続けます。

そして日が暮れた直後に、また故障です。
今度も修理に30~40分。無為に時間が通り過ぎました。

私の場合、もうひとつ大きな問題がありました。
食べるものが、ほとんどなかったのです。

中国国内と、ラオス国境で食事の機会はありました。
ところが食堂で出されるのは辛いものばかり。

私は、体質的に辛いものが食べられないのです。
喉を通らなくはないのですが、必ず下痢をします。
だから海外旅行が好きな割に、タイなど食事が辛い国へはあまり行きません。韓国に行っても、韓国料理は避けるのです。

この国際バスは、日本の高速バスのように車内トイレはありません。
辛いものを食べて下痢になったなら、便意ごとに車を止めてもらって、その辺で排便しなくていけない。
結構、切実な問題です。

なので、食堂でほとんど食べられず、昆明で買った2本のバナナと5個のパン、途中で買ったクラッカーでしのいでいました。

空腹は、「レイテ島や硫黄島の日本兵のことを考えたら、まだマシだ」と考えて我慢することにしました。そのうち、疲労でお腹が空いたという感覚も鈍ってきました。

まがいなりにも先進国で懸命に働き、旅行資金も充分持っている私が、なぜこんな悲惨な状況に陥るのでしょうか?

自分でも、さっぱり訳が分からなくなってきました。
馬鹿さ加減が嫌になりました。

もう何も考えず、何も感じず、車内のモニターで流される中国のアクション映画をぼーっと観ることにしました。中国語のテロップが流れるので、おおよその筋がわかるのが幸いでした。

しかし、まだまだ不幸は続きます。

アクション映画を観ていた私が、体勢を変えようと腕を上げた途端、引っかかりを覚えたのです。
「何だろう?」と思ってみると、前の乗客が残したガムの噛みかすが、窓枠と私のフリースをくっつけているのです。
このバスは、通風口(ものすごい勢いで冷気が流れる)の位置や、直射日光の向き、寝台の形状に微妙な当たり外れがあって、私は何度か席を替えていました。当たり席を国境で新しく乗ってきた乗客に取られて、次善の席に座りなおしていました。
この次善の席の前の乗客が、ガムの噛みかすを紙に包まないで、窓枠に置いて降りたようなのです。

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別にバス会社の責任ではないから文句も言えないし、フリースに付いたガムは100%取れないでしょう。とにかく、このフリースは今後アウター(外着)としては使えなくなりました。
パリで、カルフールのようなスーパーが見つかれば、買い直そうと思います。

その約30分後、今度は未舗装路で乗客の体が浮くくらい、バスが大きな窪みにはまりました。
夜で視界が悪いのと、運転手の疲れと焦りのせいか、あまりスピードを落とさずに、窪みに入っていったようなのです。
その時、カメラやパソコンなど機械類の入った私のバッグが、寝台上段から1メートル50センチ下の、床に向かって落ちていったのです。
幸い、落ちた先には他の乗客の穀物袋のようなものが置いてあり、大事には至りませんでした。ただ、一眼レフレンズの光軸ずれなど見えないところでダメージがあるかもしれません。

結局、ルアルパバーン郊外のバスターミナルに着いたのは午後11時。
市内に移動してホテルを探す余力もなく、バスターミナルに併設された中華系旅社に転がりこみました。シャワー、トイレ共同で40元(600円)の安宿でした。

今回は、もっと優雅な旅行をするはずでした。

それが、ルート選択のミス、つまりは情報不足のため、とんだ「苦行」になってしまったのです。

疲労が相当蓄積したので、ルアルパバーンで少し休息することにします。

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プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は書誌情報の管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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