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カタール、ルワンダ、ウガンダ、エチオピア

年末年始は、中東のカタールと、東アフリカの3ヵ国を廻ってきました。

まずは、カタール。
東京からカタール航空に乗って、ドーハ乗り継ぎで東アフリカを目指したので、往路ドーハに1日滞在したのです。

カタールは、前回「世界陸上」の開催国になったり、次回サッカーW杯の開催国になったりで、アラビア半島の「新興金満国家」というイメージがあります。
サッカーの前回アジア杯で、日本が決勝でカタールにあっけなく敗れた時も、金の力で集めた出稼ぎ選手の個人パフォーマンスに敗れた印象がありました。

ドーハ国際空港に降り立ち、地下鉄で市内に向かいます。

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地下鉄は開通して間がなく、車内もクリーン。
乗客は、インド系などの出稼ぎ労働者が目立ちます。

ドーハは「世界一、退屈な首都」と、呼ばれているそうです。
おそらく、昔は遊牧民の小さな首長国だったので、歴史や文化の蓄積がないのでしょう。

一応、ドーハ最大の観光地と言われる、スーク・ワキーフを訪ねました。

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ここは、元々地元民向けの市場だったものが、次第に観光客向けの商品も扱うようになった場所だと思います。

まあ、雰囲気が中東っぽいと言えば、中東っぽいですが。
これくらいの市場は、他のアラブ諸国にもあるような気もします。

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その後、路線バスに乗って、ドーハから60キロほど離れたアル・ホールという町にも行ってみたのですが、乾燥した土地と工事現場があるばかりで、これと言った見どころはありませんでした。

ドーハに1泊後、再びカタール航空に乗って、ルワンダの首都キガリに向かいます。
キガリ到着前に地上の様子を見ると、緑豊かな大地が広がっていました。

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キガリの住宅街にあるゲストハウスに宿泊し、翌日、乗り合いマイクロバスに乗って、日帰りでキブ湖畔のキゼニという町を訪ねます。

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(キガリのバスターミナル)

マイクロバスの補助席で揺られること3時間半、キゼニに到着。

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キゼニの街並みは、これと言った特徴がないのですが、町を歩く女性が原色の民族衣装を着ていたのが印象的でした。

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バイクタクシーに乗って、キブ湖畔にも行ってみたのですが、湖畔の風景はさして美しくありません。
代わりに見つけたのは、ユーラシア大陸では見たことのないような木々。

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この木は、葉がシダのような形をしています。
枝から同じ大きさの葉が、左右各10葉ほど並んでいるイメージ。

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その隣にあった木は、葉がサボテンのようになっています。

昨年、中米のコスタリカで森歩きをした時は、アジアと植生の違いはあまり気にならなかったのですが、アフリカの樹木はずいぶん形が異なるようです。
そういえば、今回は見なかったけれど、バオバブなども、アジアの樹木とは異質な印象を受けます。

あまり植物に詳しくないので、アフリカの木がなぜ独特なのか分からないのですが、機会があれば調べてみたいと思いました。

キガリで2泊した後、ローカルバスを乗り継いで、ウガンダのカバレを目指します。

バスで窓側の席に座れたので、車窓風景を撮ります。

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これは、キガリの町を出るところ。
発展途上国でよくある街並みです。

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そこから、沿道の村になると、もう生活道路は舗装されていません。
これが、だいたい1人当たりのD.G.P.が世界170位台の国の状況です。

ただし、富の再配分が割と上手くいっているようで、物乞いのように極端に貧しい人は、ほぼ見ませんでした。

村に入ると、自転車タクシーをよく見かけます。
ちょっと目を引いたのが、綺麗にデコレートされた自転車。

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昔の日本や、インドだと派手な色彩の「デコトラ」(大型トラック)は見られますが、「デコチャリ」はあまり見たことがないような……。
運転手の営業努力とも言えますし、自己満足と言えるかもしれません。

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キガリから3時間ほどバスに乗って、ルワンダ-ウガンダ国境の町に到着。
徒歩で国境を越え、乗り合いタクシーに30分ほど乗って、カバレという町に入ります。

翌日、カバレからバイクタクシーに30分乗って、ブニョニ湖を訪ねます。
この辺りは、アフリカ大陸の「大地溝帯」で、地殻変動で島がやたらとある湖があるのです。

大地溝帯というのは、地球内部のマントル上昇流が地殻にぶつかって流れを変える場所。
遠い未来にアフリカ大陸はこの辺りで分裂するそうです。
日本に近い太平洋の深海で、プレートが折り重なって潜り込んでいますが、それとは逆の場所です。

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私も今まで世界で様々な風景を見てきましたが、これは結構不思議な風景かと思います。
湖全体で29の島、水深が最大900メートルもあるそうです。

ブニョニ湖形成の歴史が分かるイラストやジオラマを見てみたいものですが、付近に博物館や資料館は見当たりませんでした。

カバレからブニョニ湖への道は、未舗装の生活道路です。
沿道には、村人の素朴な生活がありました。

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ところで、この辺りの食事事情ですが、カバレで地元民向けの食堂に入ってみました。
地元の人が食べていた料理を指さし、私も注文。

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まあ、一応、肉と芋と野菜という組み合わせにはなっているのですが……。
生野菜はお腹を壊す細菌が怖くて食べられず、いつも肉と芋の単調な食生活になるのでした。

今回訪ねた東アフリカ諸国の食事は、どこも炭水化物に偏っていて、野菜と肉類が不足している印象。
まだ、人々が食べていくだけで精一杯で、料理のバラエティにまで手が廻らないのかもしれません。

もっとも、アフリカの人々が肉をまともに食べ始めると、もっと飼料用の穀物を栽培する必要があり、農地がますます足りなくなるかもしれません。

2泊したカバレの宿では、宿のフロントに頼んでおいた衣服の洗濯がなされておらず、2セット手洗いして、急場をしのぎます。
フロントに理由を聞くと「今朝、洗濯屋に取りに行ったら、洗濯をやっていなかった」と、無責任な答え。

どうも、日本や欧米では当たり前の「請け負ったらきちんとやる、できないならできないと事前に言う」ことが、アフリカでは常識ではないようです。

カバレから、ウガンダの首都・カンパラに向かうバスも、何の説明もなく、1時間半遅れてやってきました。

カバレから約7時間で、カンパラに到着。

カンパラは、首都とは思えないほど街並みが汚なかった。
ウガンダには、民主的な政権があった時期がほとんどなく、汚職がはびこっているので、外国資本も積極的に投資しようとせず、アフリカの「駄目な国」の典型になったようです。

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カンパラ近郊のエンテベからエチオピア航空の飛行機に乗り、エチオピアの首都・アディスアベバに入ります。
さらに、エチオピアの国内線でラリベラという町に。

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(飛行機の窓から見るエチオピアの大地は、ダイナミックな地形)

ラリベラには、キリスト教の岩窟教会群があります。
エチオピアは、地理的にエルサレムが近いこともあって、ヨーロッパ人がアフリカに進出する前から、キリスト教が信仰されていました。

岩窟教会巡りに先立って、宿にチェックインするなり真っ先に頼んだのが、洗濯です。
何せカンパラで、ランドリーサービスの無断キャンセルに遭ってから、清潔な衣類が払底しておりました。

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幸い、宿泊先の「Mini Lalibela Guest House」は、スタッフがきちんとしており、すぐに洗濯をしてくれました。

もっとも、チェックインしてから約28時間、宿周辺が停電していて、充電も読書も何もできなかったのですが…。

充電ができないことが判明した場合、とりあえずスマホの電源を切って、連絡手段の保全を図ります。
夕食は宿のスタッフが作ってくれたので、蝋燭の灯りの下で食べ、あとは寝るだけ。

「まあ、ここはエチオピアだから、しかたない」という感覚でした。

翌朝、インドから輸入されたような三輪タクシーに乗り、岩窟教会群を訪ねます。

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ラリベラの岩窟教会群は、一枚岩をくりぬいて造られています。
エジプトのアブ・シンベル神殿や、ヨルダンのペトラ遺跡のように岩肌の片側をくりぬいて造った構築物は、世界各地にあるのですが、四方をくりぬいて造られた建造物は、あまりないと思います。

最初に、もっとも有名なキルギオス教会を訪れます。
上から見ると、十字の形をしています。

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教会を横から見ると、ビルの7~10階くらいの高さがありました。

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ラリベラの岩窟教会群は、12世紀から13世紀の建造です。
周辺国との関係で、エチオピアからエルサレムへの巡礼路が絶たれる事態になり、王がエルサレムに代わる聖地を設けようとしたのだとか。

周辺の岩は火山灰からできた凝灰岩で、どちらかと言えば柔らかい岩だそうですが、どうやって一枚岩からこれほどの建造物をくりぬいたのか、工法や工期は今でも判っていないそうです。

かろうじて判っているのが、エジプトやパレスチナから岩や石を彫る職人が呼ばれていること。
人海戦術でノミや木槌などを使って、彫り進めたのでしょうか。

それにしても、一枚岩から彫っている、上から見ると十文字に見えるなど、建築物としてかなりユニークです。
奇想天外というか……。
見た目のインパクトは、マチュピチュに匹敵するものがありました。

ギルギオス教会以外にも、岩窟教会はいくつもあります。

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ただ、建物の劣化を防ぐためか、現代的な覆い屋根が設置されていて、見栄えは今イチでした。

と、まあ、そんな感じで、中東と東アフリカの国々を訪ねた訳ですが、アフリカの3ヵ国は世界でももっとも貧しい部類の国々です。

現代は、最貧国といえども、物乞いであふれているとか、餓死者が出るようなことはありません。
何だかんだいっても、世界全体では豊かになっているようです。

ただ、先進国や中進国を旅するのと比べて、疲れるのはたしか。
たとえば、走っている自動車が、30~50年くらい前に作られた日本車が多い。

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「日本車って、修理すれば40年でも乗れるんだな」
と感動するのですが、排ガス規制がほぼない時代に作られたので、都市部の大気は東京などよりもはるかに汚れています。

おまけにエアコンがあっても、ガソリン節約のためか、エアコンをかけずに窓を開けて走るのがふつうで、乗客は汚れた空気を吸うことになります。

食事も炭水化物に偏っていて、長生きは難しそう。
私は、缶入りの野菜ジュースと、粉末の青汁と、ビタミン剤で栄養を補っていましたが。

私も年齢的に最貧国の旅は厳しいと思いつつも、3月にはバングラデシュに行く予定を入れてしまいました。

さて、どうなることでしょう?
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紅の京都

今年は、10月初旬に父が亡くなったため、夏休みの海外旅行はありませんでした。

亡くなる前も、緊急手術や半危篤状態があって、頻繁に関西に帰っていたからです。
私の年代的に、そういう年もあります。

先日、父の五十日祭(仏教で言うところの、四十九日法要)があり、紅葉シーズンと重なっていたので、京都に立ち寄ってきました。

京都は近年、観光客が増えすぎて、「オーバーツーリズム」(≒観光公害)状態と言われています。
とりわけ紅葉シーズンは、訪日客が急増する以前から大混雑だったのに、内外の観光客が押し寄せると一体どうなるのか?

おそらく路線バスは、定員超過で何本も乗り過ごすことになり、紅葉の名所や神社仏閣付近では、道路の大渋滞に巻き込まれるでしょう。

そう考えると、鉄道だけでアクセスできる場所を目指したほうがいいと思ったのです。
鉄道なら車内が混んでいても、遅れることはほとんどないですから。

京都駅からJR奈良線の電車に乗り、次の東福寺駅で下車。
朝の9時前に行ったのですが、すでにかなり多くの人で賑わっていました。

駅から5分ほど歩いて、東福寺に到着。

東福寺は、本堂と開山堂の間に、川と谷があって、その上に「通天橋」という屋根付きの橋が架けられています。
谷には落葉樹の林があり、「通天橋」を渡ると、上方から紅葉が眺められるのです。

伽藍の設計者が、ここが紅葉の名所になることを意図していたのかどうかは分かりません。
「通天橋」は、最初は室町時代に架けられ、僧侶の行き来のために使われたのですが、時代が下がると、参拝客も通るようになったと思われます。

川と谷の周辺に、室町時代から落葉樹が植えられていたか否かも不明です。
自生していたかもしれないし、参拝者の目を楽しませるために、次第に植えられていったのかもしれない。

ともあれ結果的に、紅葉を上から眺める「スカイウォーク」ができあがったのでした。

「通天橋」からの眺めは、JR東海の「そうだ京都、行こう。」の広告で紹介されたこともあり、かなり有名です。
境内は、週末の原宿のように混み合っておりました。

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「通天橋」にたどり着くまでも、長い行列。
しかし、橋からの眺めは、それは見事なものでした。

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通天橋を渡り終えて、次はどこに行こうか少し思案したのですが、東福寺は庭園も有名なので、鑑賞のため方丈に入ります。

東福寺の方丈は、明治時代に一度焼失していて、庭も含めて昭和初期の再建になります。

再建時に、作庭家の重森三玲氏が、中世からの枯山水の伝統を尊重しつつも、モダンな要素を取り込んだ庭を再構築したのです。

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枯山水と言えば、龍安寺に代表される古典の名作が素晴らしいのですが、近代以降に作られた庭も、それはそれで趣があるものです。

やはり芸術は、伝統に縛られるだけではなく、時代に即して前に進める「勇気」が、鑑賞者の心を打つのだと思います。

さて、今回の帰省では、京都と大阪を結ぶ阪急の「京とれいん 雅洛」という電車に乗ってみました。

最近、よくある観光列車ですが、阪急の面白いところは、乗車券(大阪梅田-京都河原町400円)だけで乗れること。

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この車両はサロン風ですね。

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この車両は、座席が窓に向かっていて、車窓風景を楽しむことができます。

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そして、枯山水風の小庭がある車両も。
京都の寺院風に、丸窓もあったりします。

まあ、遊び心と言ってしまえばそれまでですが、阪急の「余裕」が感じられます。
こんなのに投資しても、特別料金を取るわけでもないし、ふつうの電車に乗る人が、1本ずらせて乗るだけなのですが。

「実入り」より「ブランド・イメージ」を大切にして、ずっと赤字の宝塚歌劇団を維持し続けている阪急らしい、太っ腹な金の使い方のような気がしました。

「太陽の塔」

8月中旬、大阪へ帰った際に、「太陽の塔」を観てきました。

「太陽の塔」は、1970年に開催された日本万国博覧会の際に制作され、万博終了後も取り壊しを免れて残っていたのですが、近年内部の修復が行われ、昨年3月から内部の再公開が始まっていました。

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ただ、再公開当初は見学の予約を入れるのが難しく、行けるタイミングを見計らっておりました。

開始から1年が経ち、時間帯を選ばなければ予約できるようになったため、足を運んだのです。

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予約された時間に入場すると、岡本太郎さんの描いた塔のイメージ図が展示されていました。

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テーマ館の展示プロデューサーだった岡本さんは、お祭り広場の真ん中に、一目で分かるような造形を置くことを提案したそうです。
しかし、建物の設計を担当した丹下健三氏は、万博のシンボルタワーが別にあることを理由に拒否。
会議の最中、丹下氏と岡本さんの議論が昂じて、各々の弟子を交えた殴り合いの喧嘩になったとのこと。

通産省の官僚だった堺屋太一氏らが調整して、丹下氏の設計する大屋根から「太陽の塔」が突き抜ける形にすることで、実現に漕ぎ着けたのです。

塔の内部には「生命の樹」という作品が収められています。

生物の進化の歴史を、下から上に模型を配置しながら、追体験できる構成になっています。

万博のテーマが「人類の進歩と調和」だったので、進化に絡む展示にしたのでしょう。

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そこは、まさに「岡本太郎ワールド」でした。

私は子供の頃から岡本太郎さんの作品が好きで、高校時代には展覧会に行っていました。
そこからピカソやダリに興味が広がり、現代アート全般が好きになり、瀬戸内や越後妻有の広域芸術祭に足を運んでいます。

雑誌や書籍の編集者として、デザインを考えることもあったのですが、現代アートの影響を受けていると思います。
岡本太郎さんが高く評価をした、ジミー大西さんの絵本を編集したこともありました。

そういう意味で、岡本太郎さんの芸術は私の「原点」のひとつなのですが、今回、その凄さをあらためて実感したのです。

ちなみに、私は彼のオブジェ(造形作品)と、言葉がとくに好きです。

岡本さんの言葉を聞くなら、川崎市の岡本太郎美術館がいい。

久しぶりに、川崎へ行ってみようかと思いましたね。

西安、華山、そして北京

前記事の続きです。

チベットの拉薩から再び青海鉄道に乗って、西寧へ。
西寧駅で高速鉄道に乗り換えて、西安に向かいます。

西安を訪ねるのは、21年ぶり。
前回は、パキスタンのイスラマバードから、ヒマラヤ山脈の峠を越えて、シルクロード経由でたどり着きました。
西安にはいつも、辺境を旅した後、立ち寄っているような気がします。

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西安は旧市街が城壁で囲まれていて、高速鉄道の駅から地下鉄で市内に入った私は、城壁内のゲストハウスに投宿しました。

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城壁の内側に沿って歩くと、心なしか『進撃の巨人』の登場人物になったような気がします。
日本でも、平城京や平安京など、西安(かつての長安)をまねて作った都はありましたが、ここまで強固な城壁には囲まれていませんでした。
せいぜい土壁で囲まれていた程度だと思います。
そう考えると、日本と中国の、そもそもの国力の差を感じてしまいます。
人口やら耕作可能地の差を考えると、当然とも言えるのですが。

西安ではまず、大雁塔を訪れます。

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64メートルの高さがあるこの塔は西暦652年に建てられ、三蔵法師がインドから持ち帰った経典が保存されているそうです。
塔に登ることもできるらしいのですが、入口には長蛇の列で時間がかかりそうだったので、断念しました。

午後は、市街の中心部にある鐘楼を訪ねます。
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日本の平城京や平安京では、都の中心部に時を告げる鐘楼を置くという話は聞いたことがありません。
西安でも、明の時代になってから設置されたようなので、中国古来の伝統的配置ではなく、西洋の影響があるかもしれません。
時間を管理することによって、政権の権威を高める狙いがあるのかも。

鐘楼は、交差点の中央に設置されているので、東西南北の街並みが一望できます。
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まあ、ちょっと「ヨーロッパの都市みたいだ」と感じたのです。

で、夕方には市街を囲む城壁の上を歩きました。
入場料が結構高いので、歩いているのはほとんど観光客だと思われますが、散歩をするにはなかなかよい場所です。

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歩いていると、妙に古びた街並みが残っている一角を発見。
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古い街並みをあえて遺して、一部をリノベーションし、おしゃれな若者と観光客を集めているようです。

翌日は、高速鉄道に40分ほど乗り、景勝地の華山に向かいます。

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華山北という駅から、バスとロープウェイを乗り継ぎ、山頂付近の駅から山歩き開始。

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岩山が屹立していて、中国らしい風景です。
山水画っぽいと言うべきか。

それはいいのですが、山道は中国人観光客であふれています。

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中国の「人口圧」を感じてしまいます。

華山の周遊ルートに、「長空桟道」という、スかなりリリングなスポットがあり、事前のリサーチで次のような写真を見ていたので、楽しみだったのですが……。

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さすがにこの観光客数で、こんな冷や汗ものの通路を歩かせると大渋滞するからか、きちんとコンクリートで固められた歩道に、改修されておりました。

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しかしこれでは、高所恐怖症ではない私にとって、楽しくもなんともないのですが……。

そんなこんなで、アップダウンのある周遊コースを4時間ほど歩きます。

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そして、40分待ちのロープウエイに乗り、バスと高速鉄道を乗り継いで、夜に西安へ戻ったのでした。

西安で3泊した後、高速鉄道で北京に向かいます。

今回、北京は帰国の飛行機に乗るため、1泊しただけでした。
たまたま、予約しておいた宿が、胡洞(フートン)と呼ばれる旧市街にあり、路地の散策が楽しめました。

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中国でも近年はこういう街並みがなかなか見られなくなり、レトロな風景を活用した町おこしがなされているようです。

日本でも「昭和の街並み」が観光資源になるようなものなのでしょうね。

そんな訳で、成都から始まったゴールデン・ウイーク中国の旅は、西寧、ラサ、西安、華山、北京を経て終わりました。
主な目的はチベットのラサと西蔵鉄道だったのですが、チベットに関わる部分のコストが割高なため、結果的にはあちらこちら行くことになったのでした。

いつものように移動ばかりの旅になりましたが、現代中国の様々な面を垣間見られて、面白かったような気がします。

まあ、どう見ても、チベットは漢民族に浸食されているように見えるのですが。……

チベット

ゴールデン・ウィークに、中国のチベット自治区などを巡ってきました。

チベットは、ラサへの鉄道が開通した2006年から訪れる機会をうかがっていたのですが、鉄道チケットが入手困難だったり、グループでないと入域許可証が出ない時期があったりで、延び延びになっていました。

それがここ数年、中国の鉄道チケットがインターネットで購入できるようになったので、行ってみることにしたのです。

中国本土は現在、日本人は基本自由に旅行ができるのですが、チベット自治区は別扱い。
宿泊先とガイドの手配をしたうえで、旅行会社経由で入域許可書を発行してもらう必要があります。

日本の旅行会社で手配すると料金が高くなるので、成都にある「四川省中国省青年旅行社」に手配を依頼します。
チベット手配に慣れている会社で、日本語での相談ができます。

ラサに夜到着、2日目は市内観光、3日目の朝にラサ出発という旅程で、ホテル代、食事3食、ガイド代と観光地の入場料、チベット自治区の入域許可証発行手数料込みで10万8000円でした。
ふだんの旅行と比べると、割高な出費となります(ちなみに何人かで一緒に行けば、一人当たりの費用はもう少し安くなる)。
が、こうしないとチベットには行けないので、出費は仕方ないかと。

4月27日、成田から成都に向かいます。
成都で、旅行会社から入域許可書を受け取り、少し市内を観光します。

訪れたのは武候祠。蜀の軍師・諸葛亮を祀った場所ですが、劉備、関羽、張飛も祀られています。
日本でも、漫画などで『三国志』の知名度は高いですが、本国でももちろん有名で、多くの来場者で賑わっていました。
ちなみに、諸葛亮や劉備の像に祈っている人はおらず、信仰の対象にはなっていないようでした。

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(諸葛亮の像)

その夜、成都から夜行列車に乗って、青海省の西寧に向かいました。
青海省はチベット自治区の手前にあり、西寧も2300メートルの高地にあります。
西寧の後、標高3700メートルのラサに行くので、準高地の西寧で身体を慣らしておこうと思い、日中9時間ほど過ごしたのです。

西寧は、シルクロードの中継地でもあり、イスラム教徒である回族も多数暮らしています。
市内にはイスラム寺院もあり、なかなかエキゾチックな雰囲気が漂っていました。

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西寧の安宿でシャワーを浴びてひと休みした後、ふたたび列車に乗ってラサを目指します。

西寧→ラサ間の路線は「青蔵鉄道(青蔵鉄路)」と呼ばれ、標高5000メートルの世界最高所を走る旅客列車として、人気があります。私がこれまでに乗車した鉄道でもっとも高所を通っていたのが、ペルーのプーノとクスコ間の鉄道で、標高4300メートルだったので、今回、「究極の高原鉄道」を楽しみにしていたのです。

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標高が高く、雨が少ないせいか、樹木はほとんどなく、草原が多くの面積を占めます。
4月末というのに、池や川は氷結していることもままあります。
さすがに日中は氷点下ということはないのですが、冬の寒さが厳しいせいか、氷がなかなか溶けないようです。

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延々と続く高原の車窓を眺めて思ったことは、「こんな場所に、よく鉄道を通したな」ということです。
どう見ても人口密度は低いし、これといった産業もないせいか、貨物列車もそれほど見ません。
中国本土からの観光客は1日6~7本の列車に数多く乗っているので、それで採算を取っているのかもしれません。

ちなみに、往路は2等寝台(硬臥)が取れず、1等寝台(軟臥)を使ったのですが、乗客はほぼ漢民族でした。
どちらかと言えば、漢民族によるチベットへの同化政策で、鉄道が通されたような気もします。

列車は4月29日の夕方に、ラサ到着。

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ラサ駅でガイドにピックアップしてもらって、ホテルに送ってもらいました。

30日はガイドと一緒にラサ市内観光。
ポタラ宮、ジョカン(大招寺)などを訪ねます。

ポタラ宮は、チベットの象徴的な建物として有名ですが、小高い丘を覆うように建てられた複雑な造形は、やはり見応えがあります。

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標高3700メートルの空気の薄いラサで、さらに全高110メートルのポタラ宮を登っていくのは、息苦しかった。
登った先の宮殿内部もチベットらしい雰囲気に満ちていたのですが、残念ながら撮影禁止でした。

思ったのが、ポタラ宮が王宮なのか宗教施設なのか、判然としないこと。
元々チベットの最高指導者は、ダライ・ラマなのですが、世襲ではなく、域内で宗教指導者として選ばれた人が就任するので、ふつうの王族とは異なります。
政教一致というか、ローマ法王がバチカン市国の元首も兼ねるようなイメージかもしれません。
で、ポタラ宮も、政務を行う場所と、祈りや修行を行う場所が、混在しているのです。
宗教的権威と、政治的権威が一体化するのは、昔はよくあったので、それほど不思議ではないかもしれませんが……。

午前にポタラ宮を見た後、旧市街で昼食。
ラサの旧市街は、一見チベット風の装飾が施されています。
チベットの伝統的な町並みのようにも見えるのですが、実際には鉄筋コンクリートのビルに、チベット風の装飾が施されているだけでした。

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中国でもカシュガルや麗江などの旧市街は、ずっと昔からの景観を保っているのですが、ラサの場合は、たんにチベットをイメージした町並みなのかもしれません。

チベット料理も食べました。
チベット風焼き飯と、アラカルトを1品頼んだのですが、正直、あまりおいしくはありませんでした。
作物が限られるので、料理文化が深化しなかったのかもしれません。

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午後はジョカン(大招寺)へ。
ラサのチベット仏教寺院として、もっとも歴史と格式があります。

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ここも建物内部は撮影禁止でした。
ただ、一般のチベット民族が礼拝している堂宇だけは、特に規制がなかったようなので、写真を撮ってきました。

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チベット仏教の礼拝は、「五体投地」といって、立礼から身前に体を投げるように倒して伏します。
私も世界のあちこちで人々が礼拝する姿を見てきましたが、チベット仏教の礼拝は、相当激しい部類に入るような気がします。

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たまたま居合わせた団体旅行の日本語ガイドの話では、チベットの他の地域から、五体投地をしながらラサのジョカンを目指す巡礼者もいるそうです。
私も実際にラサ市内で、五体投地をしながら、尺取虫にように前進している巡礼者を見ました。

2年前に、同じようにチベット仏教を信仰しているインドのラダックを訪ねたことがあったので、ラサの建物には既視感があったのですが、ラダックでは人々が五体投地している姿はあまり見ませんでした。
なので、ジョカンで多くの人々が五体投地をしている姿を見て、ようやくチベットに来たという感慨が湧いてきたのです。

ただ、最初に述べたように、ガイド付きのチベット滞在は、かなりの費用を要するので、感慨に浸る余裕もあまりなく、翌朝にはラサを離れた訳なのですが。

話が長くなるので、この旅の後半部分は、稿をあらためることにしたいと思います。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は書誌情報の管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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