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お水取り

以前から一度は訪ねてみたいと思っていた、東大寺二月堂のお水取りを参観してきました。

私は、5歳から18歳まで奈良県で育っているのですが、住んでいたのは奈良盆地南部の當麻町(現・葛城市)と橿原市で、北部にある奈良市とはやや距離がありました。

奈良県在住者にとって、買い物や通学で身近な都会は大阪で、県庁所在地の奈良市は遠足やパスポート申請のために訪れる町というイメージ。
さすがに有名な社寺にはほとんど行ったことがありますが、行事はあまり見たことがなかったのです。

お水取りは毎年、この季節になると「奈良に春を告げる風物詩」として、テレビニュースなどで紹介されることもあり、県出身者として一度は生で見ておこうと思ったわけです。

例によって、ふるさと納税で獲得したピーチポイントで、関空行きのチケットを買い、大阪経由で奈良へ。

最初は、三脚は立てられるが二月堂からはやや遠い「カメラマン席」から写真を撮るつもりで、中型の三脚を持っていきました。

しかし、奈良行きの近鉄電車の中で「写真が多少ぶれてもいいので、行事そのものを間近で見よう」と思い直し、三脚を駅のコインロッカーに放り込み、荷物を軽くして二月堂に向かいます。

「お水取り」は夜間行事なので、写真機材の選択がなかなか難しい。

フィルムカメラの時代なら、手持ちでお水取りを撮るのは、ほぼ不可能だったのですが、デジタルカメラと手ぶれ補正機能の進化で、完璧にではないにせよ、撮影できるようになったからです。

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二月堂前には、松明上げの1時間半前に到着します。
よくテレビニュースなどで放映される3月12日には、「籠松明」という通常より大きな松明が用いられ、二月堂前にも入場規制がかかるのですが、それ以外の日なら、1時間半前到着で大丈夫のようです。
この日も、まずまず二月堂に近い場所を確保できました。

その後、日が暮れるにつれ、参観者が増えてきます。

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だいたい開始40~50分前で、二月堂前の広場は人で埋まるようです。

そして日が沈んでいくとともに、寒くなってきます。

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待ち時間の途中にトイレに行くことはできる(周囲の人に声をかけておけば、元の場所に戻って来られる)そうなのですが、ゆるやかな傾斜地に立ちっぱなしなのは結構大変。
開始40分くらい前から、東大寺による行事の案内、奈良県警による注意喚起のアナウンスが、日本語、英語、中国語で入ります。

そろそろ寒さが辛くなってきた午後7時から、松明上げが始まります。

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僧が大きな松明を持って、時に廊下を走り、時に振りかざします。

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やはり炎というのは荘厳さがありますし、一歩間違えば堂宇に火が燃え移る緊張感の中、松明が様々な動きをするというのは、スリリングでもあります。

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午後7時から30~40分の間に、10本の松明が上がります。
開始を待っている間は少し辛いですが、松明が上がると多少熱気にあおられて、寒さは感じなくなります。

「籠松明」が上がる12日は、松明1本ごとに参観者を入れ替えるらしいので、それ以外の期間に拝観したほうが、充足感があるかもしれません。

何年か前に京都の祇園祭を見た時にも思ったのですが、日本の伝統行事を見ていくのも、年齢相応で面白いような気がします。
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姫路

「平成の大修理」を終え、3月27日から天守閣への入場が再開された姫路城に行ってきました。

漆喰を新調したことで「白すぎる」と言われる壁や屋根(創建時もこうだったらしい)も、曇り空だったせいか、それほど違和感はなし。

大混雑は承知のうえだったのですが、やはり天守閣の前には長蛇の列ができていました。

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といっても、天守閣に入るまでの待ち時間は30~40分ほどで、TDLやUSJに比べると、たいしたことはありません。

ちなみに天守閣に入ってからも混雑は続いていて、階段の通行規制などで最上階にたどり着くまで、さらに30~40分ほどかかりました(曜日や天候、時間帯によって混雑状況は異なる)。

天守最上階からの眺めはよく、城郭の様子も往時を忍ばせます。

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まあ、日本の城で、天守閣、城郭を含め、もっとも往時の姿をとどめているのは姫路城で間違いないでしょう。

これだけ大規模な建物を、木造で建築するのも日本ならでは。
この日も、外国人観光客が大勢訪れておりました。

さて、以前にこのブログでも紹介したことがあるのですが、姫路には市営モノレールの廃線跡がよく残っています。

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(飲食店街を貫いていて、撤去が容易ではない)

途中駅の「大将軍」駅跡は、集合住宅と一体化しています。

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この集合住宅には、まだ若干の人が住んでいるのですが、まもなく賃貸借契約が切れて立ち退く予定らしく、その後は老朽化のため取り壊し。
「廃駅+集合住宅」のシュールな組み合わせも、そろそろ見納めになるようです。

廃線になったモノレールの終点は、手柄山公園。
昭和40年代に「姫路大博覧会」という、地方博覧会が開催された場所で、そこここに昭和レトロな建物が残っています。

私のお気に入りは、回転展望台。

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子どもの頃に見た「未来予想図」から、そっくり抜け出たようなフォルムで、今でも展望台には回転カフェがあり、姫路市内を一望しながら、飲食ができるのです(カレーライスがそれなりにおいしい)。

姫路というと、姫路城が一押しであることに異論はありませんが、個人的には、「昭和レトロな」姫路も好きなんですよね。

石畳の国道

近年、「国道」がちょっとしたブームになっています。

きっかけは、サラリーマン旅行家の松波成行さんが提唱した「酷道(こくどう)」探訪でしょうか。

青森県の津軽半島(竜飛岬)にある「階段国道」など、とてもクルマが走れるとは思えない国道が全国あちこちにあります。そういう「国道」らしからぬ道を探して、「酷道」と命名して世に広めたのです。

そんな国道(酷道)愛好家の間で、評価の高い道が、大阪と奈良を結ぶ国道308号線「暗峠(くらがりとうげ)」です。

名称も意味深ですが、県庁所在地間を結ぶ国道でありながら、ところどころ1車線のか細い道になり、最大勾配が30%を超えるという、なかなかワイルドな道とのこと。

私も、道路には興味があるので、走行してみました。

まずは奈良県側からレンタカーで、峠にアプローチ。
田畑や集落の中に中にある細い道(これも国道308号線)を辿って、峠に行き着きます。

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府県境では、道が石畳になっています。

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全国的に見て、国道が石畳なのはここだけと言われています。
しかも、この石畳、観光客目当てで設置されたものではなく、江戸時代に幕府の命で、(大和)郡山藩が敷き詰めた歴史遺産なのです。

峠を大阪側に下っていくと、もの凄いペアピンカーブがあります。

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このカーブを下から撮るとこう見えます。

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一説には、ここが最大傾斜の30度以上とも。

道を下っていくと、大阪平野が見えてきます。

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大阪と奈良の間にある生駒山脈を、一直線に登って降りてくるのが、この峠のルーティングなので、景色はなかなか見ごたえがあるのです。

この道が国道に指定されたのは、並行する有料道路「第二阪奈道路」(これも国道308号線)の建設を促進させるためにダミーとして国道指定されたなど、諸説あるのですが、辿ってみると、歴史的な「格」を評価されたのではとも思えてきます。

何せ、古都奈良と、海の玄関口だった大阪を繋ぐ「官道」(奈良街道)だったわけですし、古くは行基、江戸時代には松尾芭蕉が通った記録があるそうです。

先ほどの石畳も、芭蕉が同じ道を歩いたことを想像すると、ありがたく思えてくるのです。

韓国プチ旅行

12月中旬、韓国を訪ねてきました。

LCCのバニラエアが、成田空港―仁川(イチョン)空港間が往復約14000円(燃油サーチャージ・空港使用料込み)のチケットを出していたので購入し、息抜きに出かけたのです。

今回の旅は、ソウルを起点に、朝鮮半島の南西端に位置する木浦(モッポ)、南東端に位置する釜山に各1泊して、三角形を描くように、鉄道で巡るルートを採りました。

木曜日の朝、成田を出発し、昼前に仁川空港へ。
すぐに空港連絡鉄道でソウル駅に向かいます。
ソウルの龍山駅から、高速鉄道KTXで、木浦へ。

木浦は人口20万余りの港町で、かつては中国と日本を結ぶ連絡港でもあったそうです。
木浦駅から南に歩くと、いきなり岩山が屹立し、ここが儒達山(ユダルサン)という公園になっています。

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(街並みの背後に岩山があるのは不思議な風景)

夕暮れ時に登ったのですが、夜景が綺麗でした(ただし寒かった)。

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翌金曜日は、木浦駅発のムグンファ号という急行列車に揺られ、釜山を目指します。

木浦を出てしばらくは雪景色。
この時期、日本も寒かったのですが、北側にある分だけ、韓国のほうが寒かったようです。

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木浦から釜山間は、ほとんどが慶全線というローカル線で、のんびりと車窓に流れる田園風景を眺めていました。

午前9時20分に木浦を出て、午後4時半に釜山着。
約7時間の汽車旅でしたが、ムグンファ号の座席はゆったりしていて、楽なものです。

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(日本の在来線の列車より、車幅そのものが広い)

釜山では、龍頭山公園という小山にある、釜山タワーから、また夜景を観ました。
木浦と違って、釜山は人口360万の大都市なので、ひときわ街の灯りが華やか。

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釜山タワーには、日本語を話せるガイドがいて、日本統治時代に建設された跳ね上げ橋が復旧していることを教えられました。

土曜日、その跳ね上げ橋を見物に行きます。
影島大橋といって、大林組が作ったそうです。

1960年代まで、橋桁部を持ち上げていたものの、交通量の増加で跳ね上げを中止。
しかし近くに新しい橋をもう1本架けたここと、市民の要望で、解体修理して可動部の復活にこぎつけたそうです。

跳ね上げ橋を観たのは初めてなのですが、なかなか面白い光景でした。

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(通行再開直後)

東京でも、隅田川に架かる勝鬨橋(かちどきばし)などは、元々跳ね上げ橋なのですが、1970年以降橋桁を上げた実績はありません。
復活を望む声もあるのですが、「メンテナンスに費用がかかる」「どのみち大型船は航行しない」などの理由で実現していなかったと思います。

日本の統治時代に作られた橋を、整備して再稼動させるあたり、韓国にお金と余裕があるということかもしれません。

一昔前の韓国だったら、日本統治時代の建物は、撤去することが多かった気もするのですが、時代が変わったのか、釜山という土地柄なのか、どうなんでしょうね。

影島大橋は、毎日12時に、跳ね上げを実施しているそうで、多くの観光客で賑わっていました。

その後、釜山駅から、ITXセマウル号という、在来線の特急列車で大田(テジョン)へ。大田駅でKTXに乗り継いで、ソウルに戻ってきました。
釜山と大田の間は、KTXという高速鉄道もあるのですが、シートがあまり良くないこともあり、在来線の特急も賑わっています。私も、人々の生活が垣間見れる在来線のほうが好きで、ITXセマウル号を利用したわけです。

ソウル到着後、明洞(ミョンド)ゲストハウスにチェックイン。
「ミニルーム」という小さな個室を使いました。

広さは3畳くらい、シャワー、トイレも共同なのですが、なかなか快適でした。
宿泊費は3500円くらい。明洞駅徒歩1分の立地もよく、バジェット(節約)ツーリストにはお勧めの宿です。

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(シェアハウスみたいだとの見方もできる)

投宿後、明洞を散策します。
明洞は、ソウルを代表するおしゃれスポットなのですが、なぜか通りの中央には屋台が並んでいます。

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ブランドショップと、バッタ物を売る屋台が並存していて、なんともアジア的。
いくつか土産を買い、夕食をとりました。

日曜日は朝から仁川空港に移動し、ふたたびバニラエア機に乗って成田空港に戻りました。

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(狭いシートですが、片道2時間なら許容範囲内)

何ということもない韓国旅行でしたが、LCCの発達で、韓国はもう国内旅行に近い感覚です。
今回の旅も、総費用で5万円かかっていないと思います。

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(成田空港着陸前に見た九十九里浜は美しかった)

寅さん、青ガエル、軍艦島…

週末プラスαで、九州を歩いてきました。

今年の夏、中国に本拠を置く春秋航空の、日本法人が国内線にも参入し、成田空港と、佐賀、広島、高松を結ぶ路線を開設しました。

就航PRのためか、すごく安い料金設定のバーゲンがあり、11月の日程を考えながら、とり急ぎ往復約4000円の成田~佐賀間のチケットを、予約・購入しておいたのです。

その後、勤務先の会議日程が変更になり、残念ながら往路分は放棄することになりました。
日程を再考し、ジェットスターの福岡行き片道チケット(約8000円)をあらためて購入。

それでも、先に買った春秋航空の往復分を合わせて、約12000円にて、九州まで往復できたのです。

11月中旬の金曜夜、成田から福岡に移動し、そのまま福岡市内で宿泊。
翌朝、高速バスで別府に向かいました。

別府でレンタカーに乗り換えて、湯平温泉を訪ねます。
湯平温泉は、映画「男はつらいよ」シリーズ第30作『花も嵐も寅次郎』の、ロケ地としても有名です。

この作品は、寅さんの映画というより、田中裕子さん演じる榮子と、沢田研二さん演じる三郎の、恋物語としての側面が強い。

当時、大スターだった沢田研二さんが、奥手の男(動物園の飼育係)を演じ、これがとても上手いのです。
田中裕子さんも、清楚で控えめな女性(デパートの販売員)を好演していて、思わず感情移入してしまいます(二人は、のちに実生活でも結婚)。

そんな二人が出会ったのが、湯平温泉。
石畳の細い坂道が、温泉としての長い歴史を物語っているようです。

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螢子と友達が、三郎を偶然見かけた階段もそのまま残っています。

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実は、この訪問で参考にし、持っていったのが、『男はつらいよ 寅さんロケ地ガイド』という本でした。
当ブログでも紹介しましたが、昨年、私が担当した本です。

自分たちで編集したガイドブックを持って旅をするのも、何だか不思議な気分でした。

私は長い間、編集の仕事をやってきましたが、趣味の「旅」絡みの仕事は30分の1もなくて、ガイドブックとしてまとまっているのはこれが唯一。

学生時代はJTBの出版部門(現在のJTBパブリッシング)で働きたいと思っていたのですが、私が就職活動をした当時、JTB本体とJTBパブリッシングはまだ分社化されておらず、JTBに入社してから出版部門に配属になるのは、「異動の希望者が多くて、きわめて難しい」と人事部の人に言われていました。

で、JTBの内定を辞退して、旅の本にあまり力を入れていない総合出版社に入社したわけです。

そんな昔話を思い出し、映画のシーンを思い出し、この本の編集で山田洋次監督のご指導を受けたことなども思い出しながら、階段の下でぼんやり佇んでいました。

土曜日は別府で宿泊し、翌朝、JRで熊本に向かいます。
豊肥本線の特急列車には、結構な数の外国人観光客が乗っていました。
阿蘇のカルデラを横断する勇壮な景観は、外国人にも知られているようです。

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(盆地状の部分がカルデラで、手前と背後の山は外輪山)

ちょっと驚いたのが、客室乗務員による行き先や到着時刻案内の後、英語でも肉声のアナウンスが入ったことです。

日本で、列車の車掌が、英語でアナウンスするのを聞いたのは初めてでした。
JR九州でも、長崎から博多に向かう特急「かもめ」号では、肉声の英語アナウンスはなかったので、豊肥本線の「九州横断特急」での先行的な試みなのかもしれませんが、JR九州もなかなかやるものです。

熊本では、熊本電鉄というローカル私鉄に乗ってきました。
この鉄道の、北熊本駅と上熊本駅の間には、かつて東急東横線などを走っていた「青ガエル」が、現役で使用されています。

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この車両は1954年から東横線で使われ、航空機の技術を応用した曲線的なデザインで親しまれました。

渋谷駅前に、待ち合わせ場所兼展示スペースとして置かれてる車両と同じ型ですが、登場後60年を経て、熊本ではいまだに現役として使われているのです。

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(内装も、昭和っぽいモダンな雰囲気)

日曜日は、熊本から、有明海を横断するフェリーと、島原鉄道とJRを乗り継ぎ長崎へ。
そして休暇を取った月曜日に、軍艦島を訪れるツアーに参加しました。

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軍艦島(端島)に関しては、あらためて説明するまでもないと思いますが、海底炭鉱の採掘のために住宅、学校などが狭い島に整備され、最盛期には約6000人が暮らしていました。
1974年の炭鉱閉山後まもなく、全員が島を去り、島全体が廃墟となっていたのです。

15年ほど前から、写真集などでシュールな景観が話題となり、廃墟ブームと相まって、公開を求める声が次第に大きくなりました。
それで、長崎市が安全策を講じたうえで、2009年から一般公開されることになったのです。

平日にもかかわらず、軍艦島見学の船は、ほぼ満員でした。

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上陸して、40分ほど島内の見学時間があったのですが、見学通路が安全な場所にしか設置されていないので、写真集などで間近に見られた高層アパート跡などには近寄ることができません。

廃墟は絶えず崩落の危険があるそうなので、安全上しかたないのですが、あまり期待して行かないほうがいいと思います。

それよりも驚いたのが、2階のデッキを含めて、客を船一杯に乗せることです。

この日は途中で雨が降ってきて、私は一人旅だったので、一目散に1階の屋根のある場所に避難しました。しかし、グループで来ているお客さんは、すでに満員の1階客室に降りることもままならず、200円のレインコートを船会社から購入し(傘を差すことが禁じられていました)、2階デッキで雨風にさらされることになったのでした。

定員分のライフジャケットは用意されていたようなので、違法航行ではないと思うのですが、「軍艦島クルーズ」という名とは裏腹に、寒い季節に雨が降ると、ほとんど「難民船」の様相でした。

皆さんが軍艦島へ行かれる際にも、「周到な準備」または「困難にめげない覚悟」が、必要かと思いましたね(苦笑)。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は書誌情報の管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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