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チベット

ゴールデン・ウィークに、中国のチベットなどを巡ってきました。

チベットは、ラサへの鉄道が開通した2006年から訪れる機会をうかがっていたのですが、鉄道チケットが入手困難だったり、グループでないと入域許可証が出ない時期があったりで、延び延びになっていました。

それがここ数年、中国の鉄道チケットがインターネットで購入できるようになったので、行ってみることにしたのです。

中国本土は現在、日本人は基本自由に旅行ができるのですが、チベット自治区は別。
宿泊先とガイドの手配をしたうえで、旅行会社経由で入域許可書を発行してもらう必要があります。

日本の旅行会社で手配すると料金が高くなるので、成都にある「四川中国省青年旅行社」に手配を依頼します。
チベット手配に慣れている会社で、日本語でやりとりもできます。

ラサに夜到着、2日目市内観光、3日目朝にラサ出発というプランで、ホテル代、食事3食、ガイド代、許可証込みで10万8000円でした。
ふだんの旅行と比べると、多めの出費となります(何人かで一緒に行けば、一人当たりはもう少し安くなる)。
が、こうしないとチベットには行けないので仕方ないかと。

4月27日、成田から成都に直行便で向かいます。
成都市内で、旅行会社から入域許可書を受け取り、少し市内を観光します。

訪ねたのは武候祠。蜀の軍師・諸葛亮を祀った場所ですが、劉備、関羽、張飛も祀られています。
日本でも、漫画などで「三国志」の知名度は高いですが、本国でももちろん有名で、多くの来場者で賑わっていました。
ちなみに像に向かって祈っている人はおらず、神格化などはされていないようでした。

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(諸葛亮の像)

その夜、成都から夜行列車に乗って、青海省の西寧に向かいました。
青海省はチベット自治区の手前にあり、西寧も標高2300メートルの高地にあります。
西寧の後、標高3700メートルのラサに向かうので、西寧で身体を慣らしておこうと思い、日中9時間ほど過ごしたのです。

西寧は、シルクロードの中継地でもあり、イスラム教徒である回族も多数暮らしています。
市内には回教寺院もあり、なかなかエキゾチックな雰囲気が漂っていました。

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西寧の安宿でシャワーを浴びてひと休みした後、ふたたび列車に乗ってラサを目指します。

西寧→ラサ間の路線は「青蔵鉄道(青蔵鉄路)」と呼ばれ、標高5000メートルの世界最高所を走る旅客列車として、人気があります。私がこれまでに乗車した鉄道でもっとも高所を通っていたのが、ペルーのプーノ-クスコ間の鉄道で、標高4300メートルだったので、今回、「究極の高原鉄道」を楽しみにしていたのです。


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標高が高く、雨が少ないせいか、樹木はほとんどなく、草原が多くの面積を占めます。
4月末というのに、池や川は氷結していることもままあります。
さすがにこの季節は氷点下ということはないのですが、冬の寒さが厳しくて、氷がなかなか溶けないようです。


(つづく)
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「本当に日本へよく来る外国人」はどこの人?

今回は、自分の旅の話ではなく、余談をちょっと。

近年は、東京でも京都でも大阪でも、町中で外国人観光客を数多く見かけるようになりました。

アジアから来る人が多い、と誰もが感じていると思うのですが、ではどの国の人が頻繁に訪れるのでしょうか。

訪日旅行者の絶対数で言えば、中国(838万人)、韓国(753万人)、台湾(475万人)、香港(220万人)、アメリカ(152万人)、タイ(113万人)の順になります。

しかし中国と韓国では、元々の人口が全然違うのですから、どちらの国の人が頻繁に日本に来ているかと言えば、韓国人のほうが来ていることになります。

そういう観点で、そもそもの人口を勘案して、訪日客数を眺めてみます。

・香港(訪日客数220万人-総人口745万人・29%)…人口当たり訪日客数のトップは香港です。これは、香港のエリアが狭く、旅行に行くにせよ、域外に行く傾向が顕著なことと、所得水準が高いのが理由でしょう。

・台湾(訪日客数475万人-総人口2362万人・20%)…2位は台湾。ここも台湾のエリアがさほど広くなく、所得水準も比較的高いこと。さらに親日的な人が多いこともあると思います。

香港と台湾は、繁体字文化圏なので、日本語の漢字も容易に読み解けることがあるかもしれません。

・韓国(訪日客数753万人-総人口5098万人・14%)…3位は韓国。日本への地理的な近さと、所得水準の高さが寄与していると思います。

・中国(訪日客数838万人-総人口14億951万人・0.5%)…絶対数1位の中国は、総人口が多すぎて、訪日比率は小さい。中国国内に観光資源が多いこともあるかもしれません。

・タイ(訪日客数113万人-総人口6903万人・1.6%)…最近目立つ東南アジア勢は、タイ、マレーシア、シンガポールが3強。人口比で言えば、シンガポール→マレーシア→タイの順になります。

・アメリカ(訪日客数152万人-総人口3億2445万人・0.45%)…絶対数で欧米系トップのアメリカは、総人口が大きいので、訪日比率は高くありません。国内や近隣諸国に、魅力的な観光地が多いこともあると思います。イギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国も約0.5%と、アメリカと同水準です。

・オーストラリア(訪日客数55万人-総人口2459万人・2.2%)…英語圏の国々で訪日客が多いのは、オーストラリア。時差がほとんどないことと、オーストラリアからヨーロッパやアメリカが遠すぎることで、アジアを訪問する傾向が強いのではないでしょうか。季節が逆なので、スキー需要もあると思います。同じ理由でニュージーランド人も多く日本に来ています。

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ともあれ、総人口に対する割合から、今後の「伸び代」を考えると、中国本土からの観光客がもっと増えることが予想されます。
近年、やや経済成長が鈍っていると言っても、年6%はD.G.P.が増しているのですから。

今、中国の観光地を訪れると、中国国内からの観光客でひじょうに混雑しています。
中国人の収入が平均25%増せば(つまり4年後)、もっと多くの中国人が海外を目指すと思われます。
そのうち、何割かは日本に来ると。

何せ総人口が14億人もいるので、いったいどのくらい訪日客が増えるのでしょうか。
タイが人口比1.6%ですから、タイ並みの水準になったとして2200万人。
この水準までは、数年内に上昇するでしょう。

ボトルネックとしては、東京に近い羽田と成田空港がすでに満杯気味であること。
飛行機のドアが閉まってから、滑走路の混雑で、離陸まで40分~1時間かかることが珍しくありません。

一方、関西には、関空、伊丹、神戸と3空港あるので余力があり(関空もまだ満杯ではない)、関西を出入り口に使う中国人が増えるかもしれません。

日本国内の観光地は、好むも好まざるも、中国語対応が必要になると思います。
中国本土の人々は、それほど英語が上手くないからです。
Google翻訳などでも、かなりカバーできると思いますが、筆談の精度を上げるのがスムーズではないでしょうか。
いずれにせよ、今後はさらに中国人観光客をもてなすことが、必要になります。

訪日客による消費は、すでに日本経済の1%を超えているので、もはやインバウンドなしに、経済が成り立たないからです。

中国最北の鉄路

3月9日から13日まで、中国北部を廻ってきました。

このブログでもしばしば取り上げていますが、私は旅行マニアであると同時に、鉄道マニアでもあります。
鉄道マニアにも色々な流派があるのですが、典型的な「乗り鉄」。

30代までに日本の鉄道には9割方乗りつくし、40代までに台湾や韓国の鉄道もほとんど乗ってしまい、日本から週末+αで行ける未乗の鉄道としては中国しかない状況です。

個人的にはタイやインドネシア、ヨーロッパの鉄道も好きなのですが、現地までの往復に時間がかかるのが難。
という訳で、またしても中国へ行ったのでした。

現在、中国の鉄道は予約が楽で、日本からインターネットで決済まで可能です。
日本はJR各社でオンライン予約システムがバラバラで、各社の会員に入会する必要があるので、外国からの旅行者にはひじょうに予約が難しい。実は中国のほうが進んでいるのです。

今回、旅の目当ては、中国最北端の街である、漠河を訪ねること。
中国最北端の漠河駅を目指して、天津から鉄路の旅を始めます。

成田空港から天津空港まで、バックパッカー御用達の春秋航空で飛び、天津駅からチチハル行きの快速列車に乗り込みます。

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たんに、中国最北端の駅を目指すならば、東京から黒竜江省のハルビンまで飛んだほうが楽なのですが、以前に中国東北部を旅行した際、ハルビンの街でタクシーが拾えず、列車に乗り損ねたことがありました。
今回は車窓風景が見られなかった敗者復活戦の意味も込めて、天津から北に向かうことにしたのです。

天津駅から乗った列車は、ウイグル自治区のウルムチ発、黒竜江省のチチハル行きという「3泊4日・66時間」の長距離列車。
日本で言えば、長崎発、博多経由、大阪経由、新潟経由、青森経由、札幌行きと言った感じの、大横断列車になります。

2等寝台の寝具にも、前々夜、前夜の使用感がありました。
まあ、中国の鉄道に「乗客が替わったら、寝具も交換するサービス」を求めるのも無理筋なので、そのまま使います(笑)。

朝、起きると列車は遼寧省の瀋陽周辺を走っていました。
ここから遼寧省、吉林省、黒竜江省の田園風景を見ながら、夕方、チチハル着。

チチハル駅前の、中国式ファミレス「李先生」で夕食を摂ります。

私が中国を旅行するとき、一番よく利用するのが、この「李先生」チェーン。
アメリカで起業したレストランが、中国本土に進出したそうです。

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(挽肉丼セット)

このチェーンで出されるのは台湾料理で、辛くないのがいい。
値段も、町場の食堂よりは高めですが、日本よりは安い。

チチハルのビジネスホテルで1泊した後、漠河に向かう普通列車に乗ります。

中国で面白いのが、普通列車とはいえ、長距離列車には寝台車が連結されていることでしょう。
日本の特急に当たる「特快」には時速160キロ対応車両、急行に当たる「快速」にはエアコン付き車両が充当されることが多いのですが、普通列車はエアコンなしの古い車両が多い。

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といっても、寝台や座席の乗り心地には大差がありません。
日本より線路の幅が広いことと、連結部に油圧ダンパーが装着されているので、かつて日本で走っていたブルートレインより乗り心地がいいのです。

チチハルを午前9時半に出発した列車は、各駅に停まりながら北を目指します。
チチハルの緯度は、稚内より高い北緯47度。

内陸部で夏の気温が上がるためか、耕作地もあるものの、次第に原野のような風景が多くなってきます。

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3月前半だとまだかなり冷え込みため、沿線の水辺も氷結しているのです。

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列車はゆっくりと北上を続け、翌早朝に北緯53度の漠河に着きました。
休息のため市内の宿に入り、昼に漠河市内を少し歩きます。

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ハルビンもそうなのですが、黒竜江省の街並みには、ロシアの影響がかなりあります。
歴史上、黒竜江省全体がロシアに支配されたことはないのですが、日露戦争前は多くロシア人がいたことと、ヨーロッパ建築のほうが寒さに強いことから、中国側が影響を受けたように思われます。

そして昼過ぎの普通列車で、チチハルに向けて引き返します。
車窓から見る白樺林が綺麗でした。

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途中の塔河という街で、いったん列車を降り、駅前で夕食を摂ります。
快速列車に乗り換えて翌朝ハルビンに着き、ハルビンの空港から東京に戻りました。

今回、中国最北端の駅を目指したのは、『中国鉄道大全』(旅行人)という本を読んで、中国最果ての鉄道に興味を持ったからでした。
それ以前、関口知宏さんの「中国鉄道大紀行」(NHKBS)という旅番組を見て、中国の無名なローカル線への憧れがあったこともあります。

日本最北の鉄道は宗谷本線ですが、終点の稚内が陸地の行き止まりになることと、サハリンとの交易が盛んでないこともあって、乗客の少なさや赤字に苦しんでいます。
それに対して、中国のチチハルと漠河を結ぶ鉄道は、チチハル寄りは耕作地、漠河寄りは広大な森林を控えていて、産業資源が豊富にある印象を受けました。ロシアとの交易ルートではないのですが、まずまず栄えています。
列車の本数や、車両の連結数も、こちらのほうが多いようです。

車窓風景はとりたたて美しくもなく、日本の鉄道のように変化に富んでいるわけでもないのですが、何となく中国の勢いを感じる光景が目につきました。

と言いつつ、4月下旬にはふたたび中国に渡ります。
ゴールデンウィークを使っての、チベット旅行。
標高5000メートルを走る青蔵鉄道からの車窓風景は、どんなものなのか。

今、手配を続けています。

「中米」縦断

思えば、このブログのタイトルになっている、68連休世界一周旅行から、ちょうど10年が経ちました。
私も50代になり、歯が痛くなったり、膝が痛くなったり、年相応に衰えを感じる機会も増えたような気がします。

さて、日本のサラリーマンの場合、休暇の基本は1週間+αが相場で、私の場合も、手がけたプロジェクトの大成功という特殊要因があった10年前は例外として、その後はだいたい日程が9~10日程度で収まる旅を続けています。

そうすると、ラテンアメリカ(中南米)というのは、旅行するのが難しいエリアになります。
日本から現地まで、片道で丸1日、往復で丸2日要するので、滞在は8日間が限度。
しかも、エコノミークラスでの丸1日移動はかなり疲弊するので、現地でのフル稼働も難しい。

なのでこの10年間、ラテンアメリカには一度も足を踏み入れていませんでした。
しかし、これまで「中米」と呼ばれるエリアに行ったことがなかったので、思い切って予定を組んでみたのです。

中米の旅行先として人気があるのは、コスタリカとグアテマラ。
旅程を検討した結果、アメリカ経由でコスタリカに入って、グアテマラまで国際バスで駆け抜け、グアテマラから飛行機に乗って、帰国するルートを採りました。

ユナイテッド航空の往復航空券と、アメリカのESTA(入国審査の事前申請のようなもの)を入手したうえで、12月28日、コスタリカのサンホセ目指して出発。

成田空港から、サンフランシスコとヒューストンの乗り継ぎを含めて約21時間。
ヘロヘロになりながらサンホセ国際空港に到着したのですが、機内預けのキャリーバッグが、到着フロアのターンテーブルから出てこない。

「あちゃー。人生初めてのロスト・バゲージだよ」と嘆きながら、航空会社の職員に調べさせると、荷物は乗り継ぎ地のヒューストンに未だあるとのこと。
次の便で、キャリーバックがサンホセ空港に着くと言うので、翌日午前中にサンホセ市内の宿泊先まで届けるよう手配を頼んで、デイバッグひとつでホテルに向かったのでした。

ところが翌朝、宿で待てど暮らせどキャリーバッグが到着しない。
仕方がないので、ユナイテッド航空コールセンターに問い合わせたところ、サンホセ空港には着いているとのこと。

その日は、午後のバスでサンホセからモンテベルデ自然保護区に移動予定だったのですが、もう間に合いません。

航空会社がサンホセ市内の宿に荷物を届けることができないのに、その後に遠く離れたモンテベルデの宿に届けることができる気がしなかった(日本のように宅配便のサービスが整備されていない可能性大)ので、自ら空港まで荷物を引き取りに行くことにしました。

ただでさえタイトな日程が、初っ端から「ぐちゃぐちゃ」です。

空港でキャリーバッグを引き取った後、「今日は午後のバスでモンテベルデに移動予定だったのに、キャリーバッグが約束通り午前中に宿へ届かなかったから、移動できなかった」と航空会社の係員に抗議しました。

荷物係の職員が、チャックインカウンターにいる「シニア・バイザー」(写真向かって左)に話をつなぎ、交渉開始。

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前夜、手荷物担当の係員が対応を打ち込んだドキュメントや、モンテベルデでの宿泊予約確認書など、状況証拠はいくつかあったので、私の抗議は受け入れられ、「それでは、モンテベルデまでタクシー送迎でどうか?」という補償案が出て、合意したのです。

なかなか前向きな解決策にも見えますが、サンホセの2泊目代金が戻ってこなかったり、宿に一部置いていた荷物を空港からタクシーで取りに行ったりと、こちら側の「持ち出し」も多いかった。
正直、前夜キャリーバッグがきちんと届いて、2日目に予定通りバスでモンテベルデに移動できたほうが、安上りでした。
「でもまあ、日程が崩れなかっただけいいや」と思って、3時間半ほどかけてモンテベルデにタクシーで移動したのです。

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で、モンテベルデ自然保護区。
ここは熱帯霧雲林という生態系だそうです。
熱帯の林なのですが、熱帯雨林ほど降水量は多くなく、標高が高いせいか、涼しい時間帯もあります。
どこかしら屋久島の森に雰囲気が似ているような気がします。

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旅行番組やパンフレットでは、ケツァールやハチドリなど、きらびやかな色の鳥が見られるイメージがありますが、私が2日にわたって歩いた範囲では、鳥が見られそうな雰囲気はほとんどありませんでした。
ハチドリが一度、私のリストバンドを花と勘違いをして近寄ってきたのですが、カメラを構えているうちに去っていったのが唯一の鳥との遭遇。
あとは、サルを一度見たきりです。

まあ、時間や場所を工夫して、運が良ければケツァールを見ることができることもあるのでしょうが、あまり期待しないほうがいいようです。
熱帯霧雲林そのものは、気持ちよく森林浴ができて、リフレッシュにはなると思うのですが……。

モンテベルデで2日過ごした後、サンホセに戻って年越し。
1月1日から3日かけて、コスタリカ→ニカラグア→ホンジェラス→エルサルバドル→グアテマラと、国際バスで移動します。

実は移動するだけなら、コスタリカからグアテマラに飛行機に乗ったほうが楽だし、たぶん安いのですが、地上の風景や人々の暮らしを見るのが好きなので、ここはあえて陸路で移動。

コスタリカからエルサルバドルまでは、TICA社という、中米地域でもハイグレードなバスを使用します。
主要都市のバスターミナルに、ホテルが併設されているからです。

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元日は、コスタリカからニカラグアへ。
ニカラグアの車窓で印象的だったのは、火山でした。

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中米の地峡部は、太平洋プレートが大陸プレートに沈み込むところで、造山運動などで形成された地形。
構造としては、日本列島と同じです。
なので、火山もあるし、大地震も起きます。

元旦は、ニカラグアの首都・マナグアで宿泊。
ニカラグアは、コスタリカと比べるとかなり貧しいですが、今はキューバを範とする左派政権で、貧富の差は目立ちませんでした。
マナグア市内の治安も、さほど悪くない印象です。

1月2日、マナグアから、ホンジェラスの国土を通って、エルサルバドルの首都・サンサルバドルを目指しました。
中米でも国境のあり方はまちまちで、ホンジェラスは国境で指紋まで読み取るのに対して、エルサルバドルは国際バスの車内に出入国管理官が乗り込んできて、バス会社が作成した乗客名簿とパスポートを照合しただけでした。

夜にサンサルバドルへ到着し、バスターミナルからタクシーに乗ってホテルに向かったのですが、ダウンタウンにはゴミが大量に散乱していて、ヤバい雰囲気。

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エルサルバドルは、世界経済フォーラムが発表している「世界でもっとも危険な国ランキング」で、堂々の第1位。私がこれまで旅をした中で一番危険な国はイエメンで、外国人旅行者の誘拐が頻発していたのですが、そのイエメンは第4位でした。
エルサルバドルは、食べるもままならない者たちが、ギャング団に入って犯罪に手を染めていて、殺人事件が年に4000件起きているそうです。

私がいくら旅慣れていると言っても、この国で夜歩きする勇気はありません。

タクシーに、ホテルの前に停まってもらい、すぐにチェックイン。
ホテルは玄関に鍵もかかっていて、安全でした。

翌朝、朝食を摂るためにホテルの外に出てみると、ホテル周辺はさほど危ない雰囲気がありませんでした。
市民もふつうに歩いています。

安全を確認して、ホテル近くのバスターミナルまで歩き、グアテマラシティ行きの国際バスに乗車します。

サン・サルバドルから約6時間で、グアテマラシティに到着。
グアテマラも、「世界でもっとも危険な国ランキング」第6位なのですが、エルサルバドルから移動すると安全な気がしました。
夜も、ホテルから歩いて食事に行けたのです。

グアテマラシティで1泊し、地元の人々が利用する「チキンバス」で、アティトラン湖に向かいます。

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このバス、アメリカのスクールバスのお古なのかもしれません。
座席は狭いのですが、パワーはまあまああります。

途中の街で乗り換えつつ、3時間半ほどでアティトラン湖畔のパナハッチェルという街に到着。
アティトラン湖は、昔、月刊「現代」で、【新・世界百景を選ぶ】という記事を制作していた時に、今年初めにお亡くなりになった旅行作家の兼高かおるさんが、強く推されていた場所でした。
それ以来、ずっと憧れていたのですがグアテマラは遠く、四半世紀の時を経て、ようやくたどり着くことができたのです。

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3000メートル級火山の脇に、南北14キロ、東西6~10キロの、大きな湖が広がっています。
その雄大な景色から、「世界でもっとも美しい湖」のひとつと称されることもあります。
実際、富士五胡をスケールアップしたような風景で、世界でも類のない絶景と言えると思いました。

湖の対岸の街では、インディオが派手な民族衣装を着て、生活している姿を見ることができます。

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そんなこんなで、5ヵ国の旅を終え、1月7日の夕方に帰国しました。

それはいいのですが、復路のアメリカ滞在中から、激しい下痢に見舞われ、帰国する頃には熱も出てきました。
成田空港から、時々休みながら帰宅すると、今度は吐き気もしてきたのです。

とは言っても、翌日会社を休む訳にもいかず、8日は最低限やるべき仕事をこなして早々に帰宅。
病院に行くと、「ウイルス性胃腸炎」との診断を受けました。
現地で食べた料理に、ウイルスが入っていたようです。
9日、10日も体調不良で、仕事は午前中のみ。11日にようやく午前午後通しで勤務できました。

私ももう決して若くないので、現地8日間で5ヵ国訪問などは、体力的に無理があったようです。

これで、訪問国総数は88に達し、目標の100ヵ国が少し見えてきました。

ただし、体力的に無理そうな旅はやめておこうというのが今回の教訓で、夏休みにエチオピアとマダガスカルを旅行するつもりだったのを、いったん見送ることにしたのです(笑)。

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genre : 海外情報

中央アジア

8月下旬から約1週間、「中央アジア」に行ってきました。

「中央アジア」と呼ばれるのは、旧ソビエト連邦の一部で、中国ウイグル自治区より西、カスピ海より東、イランやアフガニスタンより北、ロシアより南のエリアになります。
具体的な国名を挙げると、ウズベキスタン、トルクメニスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス。

すべてイスラム教が多数派の国です(ただし共産主義の時代を経ているので、宗教色は強くない)。

私はこれまで、このエリアを訪れたことがありませんでした。

共産党政権のソ連時代、門戸が資本主義国の国民に閉鎖的だった関係で、ソ連崩壊後もキルギスを除くとビザを取るのが煩雑(ホテルや鉄道や旅行ガイドの全日程手配が必要な国もある)なうえに、サマルカンドを除けば、これといった見どころが思い浮かばなかったからです。

あと、日本から距離的に近い割に、モスクワ経由でないと行けない時代があり、アクセスもよくなかった。

それが、時代の流れとともに、独裁政権のトルクメニスタンを除いてビザが緩和され、今年からは観光ビザ不要の国が、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンの3ヵ国になりました。
さらに、アジアとの交易も増えて、韓国や中国を経由しての航空便が充実してきたのです。

そんな状況の変化があり、長年の懸案だった未踏国を、ようやく訪問することに。

初日は成田空港から、ソウル乗り継ぎで、ウズベキスタンの首都・タシケントへ入り、1泊します。

2日目は、タシケントから約3時間列車に乗り、古都・サマルカンドへ。
ウズベキスタンの鉄道は、なかなか快適でした。

サマルカンドは、誰しも地名を聞いたことがあると思いますが、14~15世紀にティムールが興した大帝国の都があったところです。
ティムール帝国は、現在の中国西部から、イラン、パキスタンまで勢力圏を広げた大国でした。
その都があったということで、大きなモスクや廟がその面影を遺しています。

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まあ、建物が壮大なのはいいのですが、デザインの繊細さや緻密さは、イランのエスファハーンにある歴史的建造物のほうが格上という気がしました。

ティムール帝国の全盛期が短かくて建造が拙速だったというべきか、長い時間をかけて成熟させたペルシャ(現在のイラン)の文化が凄いと言うべきか……。

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(レギスタン広場をバックに、結婚記念の写真撮影)

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(ティムールの一族が眠るアミール・ティムール廟)

サマルカンドは1泊で、翌日タシケントに戻り、さらに1泊。
4日目はタシケントから6時間ほど列車に乗って、キルギス国境に近い、アンディジャンへ向かいます。
途中で大きな峠を越えたのですが、分水嶺のトンネルの後、「風の谷のナウシカ」に出てくるような風景を見ました。

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アンディジャンからタクシーで国境に移動し、キルギスに入ります。

キルギスは、山岳風景が美しいことと、人々の顔が日本人に似ている印象があったので、かねてから訪問したい国のひとつでした。

キルギスに入った翌日、オシュという町から首都のビシュケクまで乗り合いタクシーで移動します。
「乗り合いタクシー」というのは、中央アジアではよく見かける交通手段で、町の決まった場所に「タクシースタンド」があって、目的地に行きたい個人客が集まってきます。
で、3人なり4人なり人数がそろえば出発し、料金も割り勘になるという仕組みです。

長距離バスのほうが、一度に多くの人を運べて経済的である(一人当たりの運賃も安くなる)ような気もするのですが、中央アジアではなぜか長距離バスをあまり見ませんでした。

タクシー運転手の雇用を守るためなのか、長距離バスのほうが経済的という概念がないのか、その理由は分かりません。

私がオシュからビシュケクまで乗ったタクシーは、宿泊したゲストハウスが手配した車で、ベンツの旧型車でした。
朝、オシュを出た車は、いくつもの峠を越え、山中を走り続けます。

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車窓から見た山岳風景は、前評判通り美しかった。
山裾のほうには緑が広がり、尾根に近づくにつれ岩山になります。
標高が上がると、山肌は雪を被ります。
日本の山岳地帯のように「山紫水明」というイメージではないのですが、乾いた世界のなかにも清々しさがあって、なかなかいいものでした。

オシュからビシュケクまで、所要12時間、走行距離約600キロ。
タクシーがベンツだったので、思ったほど疲れませんでした。

ビシュケクでも1泊し、6日目はイシク・クル湖へ。
イシク・クル湖は、標高1600mの高地にあり、湖の対岸には天山山脈の雪山が眺められます。
湖北岸にある、チョルポン・アタという街でバスを降り、1泊します。

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ここは中央アジア屈指のリゾート地で、湖岸のビーチは、湖水浴をする人で賑わっていました。
対岸には天山山脈の雪山が眺められ、海のような波もなく、水は青々と澄んでいる。
水温が夏でも20度前後と冷たいのですが、ここで泳ぐのは結構な贅沢かもしれません。

7日目は、イシク・クル湖からビシュケクに戻り、8日目はビシュケクからバスで国境を越え、カザフスタンのアルマトイに移動。
アルマトイの空港から夜行の飛行機に乗って、ソウル経由で帰国したのです。

中央アジア、他の目的地を差し置いて行くほどではないにせよ、旅慣れた人にはなかなか面白いエリアです。
民族的にはアジアですが、ヨーロッパの影響もほどほどに受けていて、しつこい物売りに声をかけられたり、ぼったくりに遭うこともほとんどありません。
街中で地図を見ながら、道を探していると、英語で声をかけて一緒に調べてくれる親切な人もいます。
サマルカンドの遺跡はそれほど美しいと思わなかったけれど、キルギスの山岳風景はなかなかの見もの。

そんなこんなで、私の訪問国数は83になりました。
100ヵ国まであと17ですが、あと17が厳しい。

ま、ぼちぼち行くしかありませんね。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は生産管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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