熊野古道

私たちが子どもの頃、あまり有名ではなかったけれど、ここ10年ほどで脚光を浴びたスポットとして、「熊野古道」があります。
2004年に高野山、吉野山とともに、ユネスコ世界遺産に指定されてから、知名度が上がったのでしょう。

私も関西出身ながら、住んでいた頃には歩いたことがありませんでした。
10年ちょっと前に、歴史雑誌を編集していたことがあって、平安時代の皇族や貴族が盛んに熊野詣をしていた話を知り、「機会があれば訪ねてみたい」と、思っていたのです。

東京から熊野は、結構遠い。

羽田空港から白浜空港まで直行便で飛べば、時間もかからないのですが、日本航空の単独運航路線なので、運賃が割高。
なので、競争の激しい成田-関空線のL.C.C.を利用して、関西空港から鉄道で南下するプランを立てました。

初日は、関空からJRの鈍行列車で田辺市に入り、1泊します。

熊野古道は難波(大阪)から田辺までは、だいたい海沿いルートで南下し、ここから富田川を遡上する内陸ルート「中辺路」で熊野三山に向かいます。
京都から熊野への直線距離で言えば、奈良から吉野、十津川経由のほうが短いのですが、現在でも2車線の国道を作り切れないほど険しい山岳地帯のため、田辺経由がメインルートとなったようです。

JR紀伊田辺駅前からバスで、発心門王子前に移動。
ここから熊野本宮大社までの、約7キロを歩きました。

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参詣道の跡は、車道に拡幅されている部分もあれば、山道もあり、石畳道もあります。
石畳道などは江戸時代に、紀伊徳川家によって整備されたらしい。

周囲は針葉樹林なのですが、天然林なのか人工林なのかは判然としません。
平安時代人が見た景色は、針葉樹林だったのか、照葉樹林だったのか、どうだったのでしょうか?
まあ、植生が気になった以外は、静かで趣のある道でした。

2時間半ほど歩くと、熊野本宮大社に着きます。

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熊野本宮大社は、社殿が三つ並んで見えるのですが、手前の棟は、第一殿と第二殿が併設されているとのことで、都合四殿から構成されています。
私も神社建築に詳しくはないのですが、熊野本宮大社独特の様式だったかと思われます。

もう一度バスに乗り、河原にお湯が湧いていることで有名な、川湯温泉に到着。
高校2年生のときに、初めての長距離バイクツーリングで泊まった宿に、再泊しました。

翌朝、川湯温泉から、八木駅前ゆきの、路線バスに乗車します。

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このバスは、高速道路を使わない路線バスとしては日本でもっとも長い路線で、和歌山県の新宮市から、奈良県の橿原市まで、167キロを6時間半かけて走ります。
距離の割に時間がかかるのは、紀伊半島南部の山岳地帯を蛇行する川に沿って走るからです。

バスは熊野川に沿って北上。
奈良県に入ると、川は十津川と名称を変えます。
十津川村は、奈良県の約5分の1を占める「日本最大の村」で、2011年夏には土砂が川を塞いでダム湖のようになるほどの、大水害に見舞われました。

そんな十津川村を象徴する景観の一つが、「谷瀬の吊り橋」です。
国道168号線から十津川を挟んだ集落が、自ら資金を集めて1954年(昭和29年)に架けた橋で、観光用を除けば、長さ297メートルと日本最長の吊り橋となります。
架橋当時はまだ林業が盛んで、村人が自分たちで橋を架ける経済力があったのだろうと思います。
ちなみに吊り橋ができるまで、対岸住民はいったん河原に降りて、丸木橋を渡っていたそうです。

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(バスは「谷瀬の吊り橋」で、20分ほど休憩する。休憩中に対岸に渡って写真撮影)

写真にあるように、十津川は谷が深い。
川沿いの国道168号線も、まだ3分の1くらい、1車線の部分が残っています。
バスが1車線の道で四輪車と対面すると、どちらかの車がすれ違える場所まで下がります。

私は、高校2年生のとき、50ccのバイクに乗って、この道を北から南へ走っていました。
当時と比べると、改良はされていているものの、今も険しい道なのです。

バスは、紀伊山地から吉野川(紀ノ川の上流部分、奈良県内での呼称)沿いの五條市に出ます。
川湯温泉から、4時間ほどの道のり。
五條市にはJRが通じているので、バスを降りました。

バスは自分が運転する訳ではないので、少し車酔いしました。
が、久しぶりに十津川の深い谷を見られて、懐かしかった。

紀伊半島南部は山が険しく谷が深く、雨が多い気候もあって、何となく霊気が漂っているような。
平安時代の皇族・貴族も、この霊気に惹きつけられて、参詣を続けたのかと。

東日本からは交通の便が悪いのですが、古道を深呼吸をしながら歩けば、いいリフレッシュになると思いましたね。
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ジャワ島

年末年始に、インドネシアへ行ってきました。

インドネシアの旅先と言えば、バリ島を思い浮かべる人が多いでしょうが、以前に行ったことがありました。

今回はリゾートではなく、人々の日常生活を垣間見ようということで、主要都市があるジャワ島を目指したわけです。

成田空港から香港乗り継ぎで、約12時間。
インドネシアは東南アジアでも南方に位置するだけあって、結構時間がかかります。

東京-ジャカルタの直線距離が約5500キロとのことで、東京-大阪の約11倍。
飛行機での長距離移動が久しぶりだったので、ちょっと疲れました。

ジャカルタで1泊して、翌朝の長距離列車でスヤバヤに向かいます。
インドネシアの列車は1等から3等まであるのですが、1等車を予約してあったので、なかなか快適。
田舎町やら田畑やらを見ながら、約9時間でスヤバヤに到着します。

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スヤバヤでも1泊し、翌日の列車でジョグジャカルタへ。前日の路線よりやや鄙びた感じの農村地帯を走ります。

ジャワ島は稲作が盛んで、年中耕作が可能な気候もあって、田植え期、生育期、収穫期など様々な段階の田んぼが混在していました。

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車窓から見ると、浅い水田もあれば、胸まで浸かるような深い田んぼもあります。
で、下手に機械を使うより、人力のほうが安いのか、ほぼすべての農作業が人力で行われていました(耕運機くらいはあるかもしれません)。
実際に農作業をしている人にとっては重労働でしょうが、旅行者からすると、長閑な田園風景に見えるのです。

ジョグジャカルタでは2泊し、ボルブドゥール遺跡を訪ねます。
ツアーバスだと、出発がやたら早くて(午前4時発など)起きられないので、朝はふつうに起きて、路線バスで遺跡に向かいます。

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(ジョグジャカルタの町並み。馬車がまだ走っていました)

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(バスターミナルでは、車上芸人による生演奏が。なかなか上手かった)

路線バスは地元の人との相乗りなのが楽しいのですが、乗り心地が悪く(サスペンションやシートが硬い)、エアコンもなくて、とにかく暑い。
バスが走っていれば、風が入ってきていいのですが、渋滞に嵌まるとサウナ状態。
乗っているだけで、熱中症になりそうでした。

ボロブドゥールは、世界最大の仏教遺跡。

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たしかにスケールは大きいのですが、アンコールワット同様に総石造りで、南国の太陽光をたっぷり浴びて、遺跡全体が焼け石状態。
体脂肪率20%台の私は、ほとんど石焼きカルビのような焼身になったのです。

とりあえず熱中症予防で、大塚製薬が現地生産している「ポカリスエット」を2本飲みます。
地元の人たちのように、傘をさそうかとも思ったのですが、写真が撮りにくくなるので諦め、日焼け止めでしのぎます。

ツアーの出発が早朝なのが、ようやく理解できました。
日中の暑さを避ける意味合いもあると……。

インドネシアはイスラム教徒が多く、仏教徒はほとんどいません。
なので、来場者は宗教的というより、物見遊山的な雰囲気でした。
「聖地」っぽくないということです。
まあ、宗教の盛衰が激しい地域だから、やむを得ないですが。

ジョグジャカルタで年を越し、さらに列車でバンドンに向かいます。
途中は結構な山岳路線。

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インドネシアはスマトラ島からジャワ島、バリ島と南側に背骨のような山塊が貫いています。
これは海洋プレートがぶつかる所にできる地形で、日本や台湾、ニュージーランドと同じ。
なので、大地震や大津波が起こるわけです。
そういう意味で、日本人には親近感のある地形とも言えるかもしれません。

1月2日にバンドンに1泊してから、ジャカルタに戻ります。
ジャカルタでは近郊路線に、山手線や京浜東北線の中古電車が使われているのが、面白かった。

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朝夕ラッシュ対策の6扉車を久しぶりに見かけたのですが、日本では3人掛けのところ、インドネシアでは4人掛けで使われているようで、その窮屈さが、ちょっと可笑しかったです。

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若い女性が、男性と詰め詰めで座っているところを見ると、「イスラム教徒がこんなこと(接触)していいんだったっけ?」と、疑問に思わなくもないですが……。

インドネシアは、中国やタイほど急激に発展していなくて、昔のアジアののんびりした雰囲気を残しています。
時たまテロが起こりますが、旅をしている限り、体感治安は悪くない。
独立の経緯もあってか、割と親日的。
多民族国家なので、他文化に寛容な側面もあります。

これまであまり行ったことがなかったけれど、旅先としていい場所のような気がします。

と言っても、日本から微妙に遠いのが、難点かもしれませんが……。

大正時代に作られた電車

10月下旬に瀬戸内国際芸術祭へ行った際、「ことでん」と呼ばれる電車に乗ってきました。

「ことでん」は高松を起点に、琴平や屋島方面に路線を持つローカル私鉄。
モータリゼーションの進展に伴って経営不振に苦しんだこともあって、新型車両の導入がままならず、戦前に作られた車両を2006年までふつうに使用しておりました。

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さすがに現在では、現役車両としては使っていないのですが、うち4両を保存車両として残し、月に一度「レトロ列車特別運行」と銘打って、記念列車の扱いで走らせているのです。

というような、「生きた化石」的な電車は、かつてはあちこちに残っていたのですが、現在も通常運行に使われている戦前製造の電車は、広島電鉄と阪堺電車という、路面電車のみ。

さらに絞って大正時代に作られた電車が一般の線路を走る例となると、ここ「ことでん」しか残っていないと思います。

瀬戸内国際芸術祭も終盤に差し掛かった10月22日、この特別運行がありました。
昼間は小豆島のアート作品を巡り、夜、長尾駅に向かいます。

この日は、大正15(1926)年製造の120号車と300号車の連結。
同じ年の自社発注車なのですが、メーカーが違うので、やや形が異なります。
300号車は、ドア脇に丸窓があります。

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ボツボツのリベットが時代を感じさせるでしょ?

内装はこんな感じです。

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吊り輪や扇風機は、一、二度入れ替えているかもしれません。
クッション以外の座席廻り、網棚などはたぶん昔のまま。
壁の緑色は、塗装を重ねているかも。
床も昔は板張りだったような気がします。

内装は多少、手直しされているものの、乗り心地は昔のまま。
「吊りかけ式」と呼ばれるモーターがうなりを上げて走り始めます。
とくに戦前製造らしいのは、電車がよく揺れること。
スピードを上げると、縦に横にと、激しく揺れます。

昭和20年代まで、「電車は乗り心地が悪く、長距離列車は客車に限る」というのが常識でした。
蒸気機関車や電気機関車に牽引された、客車列車が主流だった訳です。
それが少しずつ、電車の乗り心地が良くなって、小田急の初代ロマンスカー、国鉄の特急「こだま」号辺りから、長距離列車も電車の時代になりました。

というようなことは、どうでもいいのですが、この電車に乗ると、ちょっとしたタイムスリップ感が味わえて、乙なものなのです。

「現代アート」と「塩飽水軍」

10月下旬に、香川県へ行ってきました。
おもな目的は、瀬戸内国際芸術祭の鑑賞。
3年に一度開催される、この芸術祭には、毎回訪れているのですが、島々を巡る海の旅と、現代アート鑑賞が同時にできるのがいいところ。

私はふだん東京で暮らしていて、電車で自宅と勤務先を行き来しています。
そんな「日常」から離れ、多くの島々の間を船で行き来する時間は、気分転換にもってこいです。

瀬戸内国際芸術祭といえば、直島、豊島あたりがメイン会場と言えますが、会期末近くで混雑しているとの情報があったので、県西の塩飽諸島へ向かいます。

塩飽と書いて「しあく」と読む。私も読み方は知っていたのですが、なぜ知っていたのかは思い出せず。
たぶん、歴史雑誌の編集をしていたときに、覚えたのでしょう。

塩飽諸島の本島(ほんじま)へは、丸亀港からフェリーで渡るのですが、市内に丸亀城があったことを、突如思い出しました。
以前、四国にある江戸時代からの現存天守を巡ったときに、高知城、宇和島城、松山城には登楼したのですが、日程が合わなくて丸亀城には行けていませんでした。

せっかくなので、丸亀城にも行こうということで、フェリーを1本見逃して、城に向かいます。

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(右奥に見えるのが天守閣)

天守閣の最上階はこんな感じです。

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城内部の展示を見て、「へぇー!」と思ったのが、城主が代々「京極氏」だったということ。
京極氏は、室町時代の大名家というイメージがあったので、江戸時代まで生き残っていたとは知りませんでした。

丸亀城を見終わった後、フェリーで本島に向かいます。
本島で鑑賞した作品に、眞壁陸二さんの「咸臨の家」というのがありました。

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(床面に水が張ってある)

幕末に、幕府の保有していた軍艦「咸臨丸」で、太平洋を渡った水夫・横井松太郎の生家に、インスタレーションを施しています。
水面は海、背景の絵は水夫の見た光景をイメージしているとのこと。
しかし、何故、咸臨丸に塩飽本島出身の水夫が乗り込んでいたのでしょうか?

調べてみると、塩飽諸島は「倭寇」など水軍の本拠地としての歴史があったらしい。
江戸時代に入り、軍事力が必要とされなくなると、操船技術などを活かして廻船問屋に転業。
で、幕末に幕府の依頼を受けて、咸臨丸にも水夫を派遣したようです。

塩飽本島の笠島地区には、廻船問屋で栄えた町並みが遺こり、国の「重要伝統的建造物保存地区」にも指定されています。

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一軒一軒の建物がしっかりしていて、かつて栄えたことが偲ばれます。
これといった前知識もなく訪れた瀬戸内の島で、このような古い町並みに出会えるとは……。
瀬戸内の奥深さを、感じましたね。

この日は、丸亀城を訪ねたこともあり、島の訪問はここだけ。
夕方のフェリーまで時間があったので、自転車で島の一周道路を走り始めました。
途中から山道になり、息を切らせながら自転車を押して歩いていると、太陽が海に「光の道」を描いておりました。

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さらに、自転車を走らせると、相当に老朽化した廃校がありました。

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立ち寄ってみると、ここでは映画「機関車先生」のロケが行われたとのこと。

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ロケ地になって、訪ねてくる人もいるので、取り壊しを先延ばしにしているようです。
今まで時々旅先で、廃校舎に入ったことがありますが、机や椅子も揃っているところを見たことはなかったかも。
まさしく映画の一シーンを眺めているようで、“昭和の気分”に浸ることができたのです。

シベリア

遅めの夏休みを取って、シベリアにやってきました。

旅のきっかけは、「タビリス」という旅行情報サイト。
昨年の終り頃、「来年、ウラジオストク空港でアライバルビザが発給される」という情報が流れたのです。

「アライバルビザ」というのは現地で取れるビザのことで、到着空港で申請手続きはありますが、出発前にビザの準備なく旅ができることを意味します。

ロシアはこれまで、すべてのホテル、交通機関の予約を取って、その証明書(バウチャー)を旅行会社に発行してもらわなくては、ビザが発給されない仕組みでした。
冷戦終結後、かなりの年月が流れたのに、旅に関しては旧ソ連時代と同じだったのです。

結局、今に至ってもアライバルビザの話は実現していないのですが、ネットで調べているうちに、ある旅行代理店を通せば、ホテルなどを予約しなくてもバウチャーが発行されることが分かりました。
ロシアの鉄道旅に出ていた旧知の旅行作家・下川祐治さんにもご教示いただき、バウチャーとビザ取得に挑戦しました。

半日休暇を2度取って、ロシア大使館に出向く手間はありましたが、無事に観光ビザを取得。

そんなこんなで成田空港から、ウラジオストク行の直行便に乗ったのでした。
離陸から着陸まで、2時間弱。
沖縄よりも近いかも。
ウラジオストク空港には、旧ソ連時代の設計と思われる、見たことのない飛行機が停まっていました。

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(イリューシン製の輸送機らしい)

ウラジオストク市内には、社会主義っぽいコンクリート製の建物もあるものも、帝政ロシア時代製とおぼしき石造りの建物もあります。

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東京から飛行機で2時間のところに、ヨーロッパの街並みがあるわけです。
実は、長崎のハウステンボスより近かったりして……。

ウラジオストク駅はシベリア鉄道の始発駅。
駅前広場の設計が古いせいか、今はバスが所せましと並んでいます。

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ウラジオストクは軍港としての重要拠点で、冷戦時代の日本人は立ち入り禁止でした。
今は開放されていて、かつての潜水艦が博物館になっています。

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乗組員の就寝スペース(吊り下げ式ベッド)の横に、魚雷が置かれていたのには、ちょっと驚きました。

港には、現役のミサイル艦らしき船が停泊していました。

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冷戦時代に、このような写真を撮っていたら、スパイ容疑で捕まったでしょうが、時代は変わったものです。

ウラジオストクの町中で、縦笛で「ゴッドファーザー」のテーマ曲を吹いている老人がいました。
芸人というより、物乞いに近い雰囲気だったのですが、割とすぐに通行人がお金を渡していました。

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ロシア人というと、終戦前後のふるまいから、「粗暴な民族」というイメージが日本人にはありますが、今回の旅を通じて見ると、実際には親切な人が多かった。
中国人が日本人のことを、戦時体験と反日教育から、「極悪非道な民族」と思い込んでいて、実際に今の日本を旅してみると、皆が礼儀正しいことに驚く、というのと、似たような話かもしれません。

ウラジオストクからシベリア鉄道に乗って、760キロ北にあるハバロフスクへ。
古びたコンパートメント型車両が、なつかしかった。

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車窓は、ほとんど大平原です。
日本人や中国人なら何か作物を栽培したり、牧草地にするのでしょうが、何にも使われておりませんでした。

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ロシアの極東地方は人口が少ないので、たぶん無理して土地を使う必要がないのでしょう。

約12時間でハバロフスク着。

ハバロフスク駅前に、路面電車の電停があるのですが、古びた車両と、無機質な高層アパートが、社会主義だったソ連ぽくて、懐かしかった。

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ハバロフスクは人口約70万人で、ここもそれほど派手ではないですが、ヨーロッパっぽい街並みがあります。

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ハバロフスクでは、駅構内のカフェテリアでロシア風の料理を味わいました。

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ふつうのレストランに入ると、メニューはキリル文字でまったく読めないし、ほぼ英訳もついていないので困るのですが、手差しで注文できるカフェテリアはありがたいものです。
ロシア料理は全体にマイルドで、日本人にもおなじみなのですが、今はルーブル安で腹いっぱい食べて、飲み物つきで約400円でした。

そしてハバロフスクから夜行列車で、ブラゴヴェシチェンスクに。
ここは、アムール河(黒龍江)をはさんで、中国の黒河という街に面しています。

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(奥に見える観覧車は中国領内)

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黒河とは、ビザなしで行き来ができるらしく、道路案内板には中国語が併記されています。

私はこれから、アムール河を船で渡って、中国に越境。
黒河からハルビンまで鉄道で移動して、飛行機で帰国します。

観光をしてそれほど面白いわけでもないけれど、これまで「鉄のカーテン」で閉ざされた印象だったロシアの素顔が垣間見れて楽しかった。
ロシアはいつ、再び自由旅行ができなくなるか分からないので、来年あたり、サハリン(樺太)にも行ってみたいと思っています。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は生産管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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