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中国最北の鉄路

3月9日から13日まで、中国北部を廻ってきました。

このブログでもしばしば取り上げていますが、私は旅行マニアであると同時に、鉄道マニアでもあります。
鉄道マニアにも色々な流派があるのですが、私は典型的な「乗り鉄」。

30代までに日本の鉄道には9割方乗りつくし、40代までに台湾や韓国の鉄道もほとんど乗ってしまい、日本から週末+αで行ける未乗の鉄道としては中国しかない状況です。
個人的にはタイやインドネシアの鉄道も好きなのですが、現地までの往復に時間がかかるのが難。
という訳で、またしても中国へ行ったのでした。

現在、中国の鉄道は予約が楽で、日本からインターネットで決済までできます。
日本はJR各社でオンライン予約システムがマチマチで、かつ各社の会員に入会する必要があるので、外国からの旅行者にはひじょうに利用が難しい。実は中国のほうが進んでいるのです。

今回、旅の目当ては、中国最北端の街である、漠河を訪ねること。
中国最北端の漠河駅を目指して、天津から鉄路の旅を始めます。

成田空港から天津空港まで、バックパッカー御用達の春秋航空で飛び、天津駅からチチハル行きの快速列車に乗り込みます。

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(つづく)


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「中米」縦断

思えば、このブログのタイトルになっている、68連休世界一周旅行から、ちょうど10年が経ちました。
私も50代になり、歯が痛くなったり、膝が痛くなったり、年相応に衰えを感じる機会も増えたような気がします。

さて、日本のサラリーマンの場合、休暇の基本は1週間+αが相場で、私の場合も、手がけたプロジェクトの大成功という特殊要因があった10年前は例外として、その後はだいたい日程が9~10日程度で収まる旅を続けています。

そうすると、ラテンアメリカ(中南米)というのは、旅行するのが難しいエリアになります。
日本から現地まで、片道で丸1日、往復で丸2日要するので、滞在は8日間が限度。
しかも、エコノミークラスでの丸1日移動はかなり疲弊するので、現地でのフル稼働も難しい。

なのでこの10年間、ラテンアメリカには一度も足を踏み入れていませんでした。
しかし、これまで「中米」と呼ばれるエリアに行ったことがなかったので、思い切って予定を組んでみたのです。

中米の旅行先として人気があるのは、コスタリカとグアテマラ。
旅程を検討した結果、アメリカ経由でコスタリカに入って、グアテマラまで国際バスで駆け抜け、グアテマラから飛行機に乗って、帰国するルートを採りました。

ユナイテッド航空の往復航空券と、アメリカのESTA(入国審査の事前申請のようなもの)を入手したうえで、12月28日、コスタリカのサンホセ目指して出発。

成田空港から、サンフランシスコとヒューストンの乗り継ぎを含めて約21時間。
ヘロヘロになりながらサンホセ国際空港に到着したのですが、機内預けのキャリーバッグが、到着フロアのターンテーブルから出てこない。

「あちゃー。人生初めてのロスト・バゲージだよ」と嘆きながら、航空会社の職員に調べさせると、荷物は乗り継ぎ地のヒューストンに未だあるとのこと。
次の便で、キャリーバックがサンホセ空港に着くと言うので、翌日午前中にサンホセ市内の宿泊先まで届けるよう手配を頼んで、デイバッグひとつでホテルに向かったのでした。

ところが翌朝、宿で待てど暮らせどキャリーバッグが到着しない。
仕方がないので、ユナイテッド航空コールセンターに問い合わせたところ、サンホセ空港には着いているとのこと。

その日は、午後のバスでサンホセからモンテベルデ自然保護区に移動予定だったのですが、もう間に合いません。

航空会社がサンホセ市内の宿に荷物を届けることができないのに、その後に遠く離れたモンテベルデの宿に届けることができる気がしなかった(日本のように宅配便のサービスが整備されていない可能性大)ので、自ら空港まで荷物を引き取りに行くことにしました。

ただでさえタイトな日程が、初っ端から「ぐちゃぐちゃ」です。

空港でキャリーバッグを引き取った後、「今日は午後のバスでモンテベルデに移動予定だったのに、キャリーバッグが約束通り午前中に宿へ届かなかったから、移動できなかった」と航空会社の係員に抗議しました。

荷物係の職員が、チャックインカウンターにいる「シニア・バイザー」(写真向かって左)に話をつなぎ、交渉開始。

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前夜、手荷物担当の係員が対応を打ち込んだドキュメントや、モンテベルデでの宿泊予約確認書など、状況証拠はいくつかあったので、私の抗議は受け入れられ、「それでは、モンテベルデまでタクシー送迎でどうか?」という補償案が出て、合意したのです。

なかなか前向きな解決策にも見えますが、サンホセの2泊目代金が戻ってこなかったり、宿に一部置いていた荷物を空港からタクシーで取りに行ったりと、こちら側の「持ち出し」も多いかった。
正直、前夜キャリーバッグがきちんと届いて、2日目に予定通りバスでモンテベルデに移動できたほうが、安上りでした。
「でもまあ、日程が崩れなかっただけいいや」と思って、3時間半ほどかけてモンテベルデにタクシーで移動したのです。

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で、モンテベルデ自然保護区。
ここは熱帯霧雲林という生態系だそうです。
熱帯の林なのですが、熱帯雨林ほど降水量は多くなく、標高が高いせいか、涼しい時間帯もあります。
どこかしら屋久島の森に雰囲気が似ているような気がします。

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旅行番組やパンフレットでは、ケツァールやハチドリなど、きらびやかな色の鳥が見られるイメージがありますが、私が2日にわたって歩いた範囲では、鳥が見られそうな雰囲気はほとんどありませんでした。
ハチドリが一度、私のリストバンドを花と勘違いをして近寄ってきたのですが、カメラを構えているうちに去っていったのが唯一の鳥との遭遇。
あとは、サルを一度見たきりです。

まあ、時間や場所を工夫して、運が良ければケツァールを見ることができることもあるのでしょうが、あまり期待しないほうがいいようです。
熱帯霧雲林そのものは、気持ちよく森林浴ができて、リフレッシュにはなると思うのですが……。

モンテベルデで2日過ごした後、サンホセに戻って年越し。
1月1日から3日かけて、コスタリカ→ニカラグア→ホンジェラス→エルサルバドル→グアテマラと、国際バスで移動します。

実は移動するだけなら、コスタリカからグアテマラに飛行機に乗ったほうが楽だし、たぶん安いのですが、地上の風景や人々の暮らしを見るのが好きなので、ここはあえて陸路で移動。

コスタリカからエルサルバドルまでは、TICA社という、中米地域でもハイグレードなバスを使用します。
主要都市のバスターミナルに、ホテルが併設されているからです。

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元日は、コスタリカからニカラグアへ。
ニカラグアの車窓で印象的だったのは、火山でした。

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中米の地峡部は、太平洋プレートが大陸プレートに沈み込むところで、造山運動などで形成された地形。
構造としては、日本列島と同じです。
なので、火山もあるし、大地震も起きます。

元旦は、ニカラグアの首都・マナグアで宿泊。
ニカラグアは、コスタリカと比べるとかなり貧しいですが、今はキューバを範とする左派政権で、貧富の差は目立ちませんでした。
マナグア市内の治安も、さほど悪くない印象です。

1月2日、マナグアから、ホンジェラスの国土を通って、エルサルバドルの首都・サンサルバドルを目指しました。
中米でも国境のあり方はまちまちで、ホンジェラスは国境で指紋まで読み取るのに対して、エルサルバドルは国際バスの車内に出入国管理官が乗り込んできて、バス会社が作成した乗客名簿とパスポートを照合しただけでした。

夜にサンサルバドルへ到着し、バスターミナルからタクシーに乗ってホテルに向かったのですが、ダウンタウンにはゴミが大量に散乱していて、ヤバい雰囲気。

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エルサルバドルは、世界経済フォーラムが発表している「世界でもっとも危険な国ランキング」で、堂々の第1位。私がこれまで旅をした中で一番危険な国はイエメンで、外国人旅行者の誘拐が頻発していたのですが、そのイエメンは第4位でした。
エルサルバドルは、食べるもままならない者たちが、ギャング団に入って犯罪に手を染めていて、殺人事件が年に4000件起きているそうです。

私がいくら旅慣れていると言っても、この国で夜歩きする勇気はありません。

タクシーに、ホテルの前に停まってもらい、すぐにチェックイン。
ホテルは玄関に鍵もかかっていて、安全でした。

翌朝、朝食を摂るためにホテルの外に出てみると、ホテル周辺はさほど危ない雰囲気がありませんでした。
市民もふつうに歩いています。

安全を確認して、ホテル近くのバスターミナルまで歩き、グアテマラシティ行きの国際バスに乗車します。

サン・サルバドルから約6時間で、グアテマラシティに到着。
グアテマラも、「世界でもっとも危険な国ランキング」第6位なのですが、エルサルバドルから移動すると安全な気がしました。
夜も、ホテルから歩いて食事に行けたのです。

グアテマラシティで1泊し、地元の人々が利用する「チキンバス」で、アティトラン湖に向かいます。

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このバス、アメリカのスクールバスのお古なのかもしれません。
座席は狭いのですが、パワーはまあまああります。

途中の街で乗り換えつつ、3時間半ほどでアティトラン湖畔のパナハッチェルという街に到着。
アティトラン湖は、昔、月刊「現代」で、【新・世界百景を選ぶ】という記事を制作していた時に、今年初めにお亡くなりになった旅行作家の兼高かおるさんが、強く推されていた場所でした。
それ以来、ずっと憧れていたのですがグアテマラは遠く、四半世紀の時を経て、ようやくたどり着くことができたのです。

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3000メートル級火山の脇に、南北14キロ、東西6~10キロの、大きな湖が広がっています。
その雄大な景色から、「世界でもっとも美しい湖」のひとつと称されることもあります。
実際、富士五胡をスケールアップしたような風景で、世界でも類のない絶景と言えると思いました。

湖の対岸の街では、インディオが派手な民族衣装を着て、生活している姿を見ることができます。

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そんなこんなで、5ヵ国の旅を終え、1月7日の夕方に帰国しました。

それはいいのですが、復路のアメリカ滞在中から、激しい下痢に見舞われ、帰国する頃には熱も出てきました。
成田空港から、時々休みながら帰宅すると、今度は吐き気もしてきたのです。

とは言っても、翌日会社を休む訳にもいかず、8日は最低限やるべき仕事をこなして早々に帰宅。
病院に行くと、「ウイルス性胃腸炎」との診断を受けました。
現地で食べた料理に、ウイルスが入っていたようです。
9日、10日も体調不良で、仕事は午前中のみ。11日にようやく午前午後通しで勤務できました。

私ももう決して若くないので、現地8日間で5ヵ国訪問などは、体力的に無理があったようです。

これで、訪問国総数は88に達し、目標の100ヵ国が少し見えてきました。

ただし、体力的に無理そうな旅はやめておこうというのが今回の教訓で、夏休みにエチオピアとマダガスカルを旅行するつもりだったのを、いったん見送ることにしたのです(笑)。

theme : 海外旅行記
genre : 海外情報

中央アジア

8月下旬から約1週間、「中央アジア」に行ってきました。

「中央アジア」と呼ばれるのは、旧ソビエト連邦の一部で、中国ウイグル自治区より西、カスピ海より東、イランやアフガニスタンより北、ロシアより南のエリアになります。
具体的な国名を挙げると、ウズベキスタン、トルクメニスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス。

すべてイスラム教が多数派の国です(ただし共産主義の時代を経ているので、宗教色は強くない)。

私はこれまで、このエリアを訪れたことがありませんでした。

共産党政権のソ連時代、門戸が資本主義国の国民に閉鎖的だった関係で、ソ連崩壊後もキルギスを除くとビザを取るのが煩雑(ホテルや鉄道や旅行ガイドの全日程手配が必要な国もある)なうえに、サマルカンドを除けば、これといった見どころが思い浮かばなかったからです。

あと、日本から距離的に近い割に、モスクワ経由でないと行けない時代があり、アクセスもよくなかった。

それが、時代の流れとともに、独裁政権のトルクメニスタンを除いてビザが緩和され、今年からは観光ビザ不要の国が、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンの3ヵ国になりました。
さらに、アジアとの交易も増えて、韓国や中国を経由しての航空便が充実してきたのです。

そんな状況の変化があり、長年の懸案だった未踏国を、ようやく訪問することに。

初日は成田空港から、ソウル乗り継ぎで、ウズベキスタンの首都・タシケントへ入り、1泊します。

2日目は、タシケントから約3時間列車に乗り、古都・サマルカンドへ。
ウズベキスタンの鉄道は、なかなか快適でした。

サマルカンドは、誰しも地名を聞いたことがあると思いますが、14~15世紀にティムールが興した大帝国の都があったところです。
ティムール帝国は、現在の中国西部から、イラン、パキスタンまで勢力圏を広げた大国でした。
その都があったということで、大きなモスクや廟がその面影を遺しています。

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まあ、建物が壮大なのはいいのですが、デザインの繊細さや緻密さは、イランのエスファハーンにある歴史的建造物のほうが格上という気がしました。

ティムール帝国の全盛期が短かくて建造が拙速だったというべきか、長い時間をかけて成熟させたペルシャ(現在のイラン)の文化が凄いと言うべきか……。

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(レギスタン広場をバックに、結婚記念の写真撮影)

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(ティムールの一族が眠るアミール・ティムール廟)

サマルカンドは1泊で、翌日タシケントに戻り、さらに1泊。
4日目はタシケントから6時間ほど列車に乗って、キルギス国境に近い、アンディジャンへ向かいます。
途中で大きな峠を越えたのですが、分水嶺のトンネルの後、「風の谷のナウシカ」に出てくるような風景を見ました。

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アンディジャンからタクシーで国境に移動し、キルギスに入ります。

キルギスは、山岳風景が美しいことと、人々の顔が日本人に似ている印象があったので、かねてから訪問したい国のひとつでした。

キルギスに入った翌日、オシュという町から首都のビシュケクまで乗り合いタクシーで移動します。
「乗り合いタクシー」というのは、中央アジアではよく見かける交通手段で、町の決まった場所に「タクシースタンド」があって、目的地に行きたい個人客が集まってきます。
で、3人なり4人なり人数がそろえば出発し、料金も割り勘になるという仕組みです。

長距離バスのほうが、一度に多くの人を運べて経済的である(一人当たりの運賃も安くなる)ような気もするのですが、中央アジアではなぜか長距離バスをあまり見ませんでした。

タクシー運転手の雇用を守るためなのか、長距離バスのほうが経済的という概念がないのか、その理由は分かりません。

私がオシュからビシュケクまで乗ったタクシーは、宿泊したゲストハウスが手配した車で、ベンツの旧型車でした。
朝、オシュを出た車は、いくつもの峠を越え、山中を走り続けます。

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車窓から見た山岳風景は、前評判通り美しかった。
山裾のほうには緑が広がり、尾根に近づくにつれ岩山になります。
標高が上がると、山肌は雪を被ります。
日本の山岳地帯のように「山紫水明」というイメージではないのですが、乾いた世界のなかにも清々しさがあって、なかなかいいものでした。

オシュからビシュケクまで、所要12時間、走行距離約600キロ。
タクシーがベンツだったので、思ったほど疲れませんでした。

ビシュケクでも1泊し、6日目はイシク・クル湖へ。
イシク・クル湖は、標高1600mの高地にあり、湖の対岸には天山山脈の雪山が眺められます。
湖北岸にある、チョルポン・アタという街でバスを降り、1泊します。

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ここは中央アジア屈指のリゾート地で、湖岸のビーチは、湖水浴をする人で賑わっていました。
対岸には天山山脈の雪山が眺められ、海のような波もなく、水は青々と澄んでいる。
水温が夏でも20度前後と冷たいのですが、ここで泳ぐのは結構な贅沢かもしれません。

7日目は、イシク・クル湖からビシュケクに戻り、8日目はビシュケクからバスで国境を越え、カザフスタンのアルマトイに移動。
アルマトイの空港から夜行の飛行機に乗って、ソウル経由で帰国したのです。

中央アジア、他の目的地を差し置いて行くほどではないにせよ、旅慣れた人にはなかなか面白いエリアです。
民族的にはアジアですが、ヨーロッパの影響もほどほどに受けていて、しつこい物売りに声をかけられたり、ぼったくりに遭うこともほとんどありません。
街中で地図を見ながら、道を探していると、英語で声をかけて一緒に調べてくれる親切な人もいます。
サマルカンドの遺跡はそれほど美しいと思わなかったけれど、キルギスの山岳風景はなかなかの見もの。

そんなこんなで、私の訪問国数は83になりました。
100ヵ国まであと17ですが、あと17が厳しい。

ま、ぼちぼち行くしかありませんね。

長岡の花火

8月上旬、長岡に花火を観に行ってきました。

長岡花火は、「日本三大花火」に数えられるほど有名ですが、宿を確保するのが難しく、私もこれまで二の足を踏んできました。
長岡は、新幹線と高速道路が通っているとはいえ、県庁所在地でもないので、宿の数はそれほど多くはない。

そのうえ、花火大会の夜は旅行会社が部屋を押さえているので、ふつうの方法ではなかなか予約ができないわけです。
長岡だけでなく、新潟県南部のほとんどの宿が満室なのです。

今回は、こういう場合の秘密兵器である「キャンピングカー」を使いました。

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まあ、「キャンピングカー」と言っても改造軽貨物車で、ゴージャスなものではないのですが。

自宅最寄りの所沢インターから関越自動車道をひた走り、六日町インターで降ります。
六日町の隣の、五日町という小さな駅の前に車を停め(無料)、上越線の電車で長岡に入ります。

長岡駅から花火大会の会場である信濃川河川敷までは、猛暑のなかを約30分ほど歩きます。
会場近くまでのアクセスはバスやタクシーもあるのですが、乗り場には長蛇の列で、歩くのと負担はさほど変わらないようでした。

なんの計画もなくやってきたので、打ち上げ場所から近い有料エリアは確保できず、やや離れた無料観覧席に。
とりあえず土手に座って、駅前のスーパーで買ったおにぎりを食べたり、三脚とカメラを調整したりして、開始を待ちます。

観客は相当数いるのですが、信濃川の河川敷はとにかく広いので、三脚の使用は自由なのです。
まあ、後ろの観客の迷惑にならないよう、腰の高さくらいのセッティングがお約束みたいですが。

というわけで、花火の様子をご覧ください。

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火力が強いせいか煙の量も半端なく、とくにメインの打ち上げ場所からやや離れた無料観覧席では、前に打った花火の煙も漂っていて、雲間の太陽や月のように、よく見えないこともあります。
3枚目の写真はそれでも超新星みたいで、映り込んだ煙も含めて絵になったのですが。

大会の中頃、鎮魂の意味も込めた「フェニックス」という壮大な花火が打ち上げられます。
8か所くらいある打ち上げ場所から、一斉に大きな花火が上がるのです。

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まあ、私も花火マニアではないので、ウンチクは語れないのですが、ほぼ一直線上の8か所だか9か所から、一斉に大型花火を打ち上げるられると、自分が巨大な万華鏡のなかにいるような、錯覚に陥ってしまいます。

こういう幻想的な雰囲気が味わえるので、関東や他地方からも長岡に足を運ぶ観客がたくさんいるのでしょう。

さて、中盤の「フェニックス花火」が終わると会場を後にする人が目立ち始めます。

というのは、最寄りの駅が長岡駅一つで、電車の本数も東京みたいに多くはない、編成も短いので、退却時の混雑がすさまじいからです。
河川敷から駅への大通りは車両通行止めで、観客が川の流れのように歩き続けます。

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後半4分の1くらいの観賞を諦めたせいか、短い入場規制で駅構内に入ることができました。

そして五日町駅まで電車で移動、そこからキャンピングカーに乗り換え、三国峠付近の「道の駅」で車中泊をして、翌日東京に戻ったのです。

長岡の花火、行くのは大変だけど、見る価値はあると思います。
個人で宿や列車を手配するのは大変ですが、旅行会社のツアーもそれほど高くはないので、ツアー参加も悪くないかと。

今度行く機会があれば、有料観覧席から見てみたいと思いました。

バルカン半島

ゴールデン・ウィークに、バルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国と、アルバニアに行ってきました。

1月に「訪問国数は?という難問」という記事で書いた通り、今回のおもな旅行目的は、行ったことのある国の数を増やすこと。

ただし、訪問国数を増やす目的もありますが、旅そのものへの期待も。
バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と言われるように、様々な系統の民族が住んでいます。
政情が安定しないのと引き替えに、「文化の多様性がある」という面白さがあるのです。

旅の基点を、旧ユーゴスラビアの首都・ベオグラードとし、旧ソ連時代からの歴史を引き継ぐ、アエロフロート・ロシア航空のモスクワ経由便に搭乗したのです。

アエロフロートは昔から「安いけれども、サービスが悪い」と言われる航空会社で、ロシアが社会主義国ではなくなった今でも、相変わらずエコノミーの座席は狭くて、機内食も不味い。

おそらくモスクワを中継地として、ヨーロッパからアジアまでマイナーな都市を含めて短い飛行距離で結ぶ路線網を持っているのがアエロフロートだけので、競争原理が働かないためと思われます。

成田空港を昼に出て、モスクワ空港で乗り継ぎ、ベオグラード空港に午後10時着。空港近くの安宿で1泊します。
翌朝、空港でレンタカーを借り、バルカン半島を巡るドライブに出発します。

まずは、ベオグラード市内に入って、NATO軍による空爆で破壊されたビルを見に行きます。

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ユーゴスラビア解体後の内戦や紛争は色々あって、国際社会のなかではセビリアが非難され続けていました。

民族間の紛争なので、善悪の話はそう単純でもないらしいのですが、セビリアの首都であったベオグラードはNATO軍の攻撃を受けた。セビリアはその屈辱を忘れないために、被弾した建物を解体しないでおいたとのこと。

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まあ、このビルがセビリアの国防省に関わるものだけに、軍のプロパガンダという側面もあるようですが……。

その後、高速道路を通って、クロアチアの首都・ザグレブへ。
ザグレブは宿泊のためだけに立ち寄った街ですが、歴史と活気のある中都市という印象でした。

旅行3日目は、スロベニアに入ってポストイナ鍾乳洞を訪れます。
ポストイナはヨーロッパ最大級の鍾乳洞で、日本でもっとも有名な秋芳洞よりかなり大きい。

まず、入口から鍾乳洞内をトロッコ列車に10分ほど乗って、約2km奥に進みます。
天然の鍾乳洞内を列車が走るのは、珍しいのではないでしょうか。

トロッコの到着駅から、1.8kmほどの周遊路を歩きます。
そして、復路もトロッコに乗って出口に向かうのです。

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ライトアップも洗練されていて、なかなか見応えがありました。

4日目は再びクロアチアに入り、西部のプーラという街を訪問。
ここには、古代ローマ時代の円形劇場が、残っています。

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本家ローマの円形劇場に比べると、簡素なのかもしれませんが、東洋人の私が見ると、ヨーロッパ古代文明の残り香を存分に感じることができます。

午前中にプーラを見た後、アドリア海沿岸をひたすら東に走ります。

アドリア海は地中海の一部で、晴れた時には、海もきれいな青色になります。
車はずっと海沿いを走っているわけではないし、田畑や山中を走っている時間も長いのですが、時々は絵にかいたような美しい風景が見られます。

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プーラから約300Km走って、シベニク到着。
シベニクも中世の街並みが遺されているのですが、歩いてみるとそれほど雰囲気がなく、1泊しただけで次の目的地、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルを目指します。

ボスニア・ヘルツェゴビナは総人口の4割以上がイスラム教徒。
キリスト教徒とイスラム教徒が同じ国内に居住していることから、激しい内戦も起きました。

今は政情も安定していて、ヨーロッパではもっとも西側のエリアで、アラブ世界の雰囲気を感じることができます。
モスタルの町にも、オスマントルコ時代の建造物が多く遺されています。

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数時間、モスタルに滞在した後、三たびクロアチアに入り、「アドリア海の真珠」と形容される、美しい城郭都市ドブロブニクへ。

ドブロブニクには、学生時代にも行ったことがあったのですが、当時はまだ社会主義で観光客もそれほど多くなく、中世の面影を遺す美しい街でした。

しかし、四半世紀の時を経て再訪したドブロブニクは、世界中からの観光客でごった返しています。
夜にはクラブの大音響が響き、ネオンサインがきらめき、レストランの値段は高騰し、すっかりテーマパークのようになっておりました。

まあ、中国やインド、東欧諸国などの人々が海外旅行に行けるようになったのはよいことなのでしょうが、観光客が多くなりすぎるのも弊害もあるものです。
今、京都などでも「観光公害」が問題になっていますが、ヨーロッパ内にあるドブロブニクはその傾向が強いのかもしれません。

6日目は、さらに南下して、モンテネグロに入ります。
人口60万人くらいの小国ですが、これといって見どころがなさそうなので走り抜け、アルバニアに入ります。

アルバニアは今回の旅で、唯一、旧ユーゴスラビアではなく、東西冷戦時から独立国でした。
さらに他の社会主義諸国とも折り合いが悪く、「鎖国」をしていた時期もあります。
1970~80年代には「ヨーロッパの秘境」と呼ばれていたのですが、さすがに現在はふつうの国になっておりました。

とはいえ、少し幹線道路を離れると、羊とオジサンがのんびり歩いているような、長閑さなのですが。

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アルバニアでは、「千の窓の町」と呼ばれるベラトを訪れます。
建物の2階に大きな窓があるのですが、1階には窓がありません。
1階は壁だけであることの代わりに、2階に明かり取りの大きな窓があると。

これも、キリスト教とイスラム教の勢力範囲がたびたび変わるエリアなので、防御の意味があるらしいです。

アルバニアから、峠を超えてマケドニアに入ります。
「マケドニア」と言えば、アレクサンダー大王時代の国名を蘇らせたものですが、すっかり民族が入れ替わっていて、古代マケドニアの後継者ではないと言えます。隣国のギリシャからクレームが入って、「北マケドニア」に国名を変更するそうです。
とはいえ、ギリシャも長い歴史で民族が入れ替わっていて、古代文明を築いたギリシャ人の末裔とは言えないそうなのですが…。

マケドニアは国土の中部から北部まで車を走らせたのですが、とくに何も見ませんでした。
ガイドブックを読むと、あまり見所がなさそうだったからですが、国名変更で話題になるのだったら、どこか見ておいたほうがよかったかもしれません。

マケドニアのスコピエで2泊し、たまっていた洗濯物をランドリーに出し、日帰りでコソボ共和国を訪問。

オスマントルコ時代の町並みがある、ペチを訪問します。
旧市街のメインストリートだけ、木造の建物が軒を連ねているのですが、他のエリアはコンクリートや石造りの四角い建物ばかりなので、観光用に再現したのかもしれません。

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ペチからの帰路、丘の上から街並みを撮影していると、警察に拘束されました。
後続のパトカーから警報音を出され、「交通違反かいな?」と思って車を停めると、パスポートと車検証を取り上げられ、車ごと警察署までついてくるよう指示されたのです。

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(拘束の原因となった風景写真)

最初は何の容疑かわからず、戸惑っていたのですが、英語で尋問を受けるうちに、「スパイ容疑」ということが分かりました。
私はセルビアのベオグラードで車を借りたのですが、セルビアナンバーを着けた車のドライバーが、丘の上から写真を撮影したことが問題になったと。

セルビアは今でもコソボの独立を認めておらず、コソボからセルビアに陸路で入ることも認められていません。
サッカーのワールドカップで、コソボから移民したスイスの選手がゴールを決めた後に、鷲を象徴する手ぶりをして問題になりましたが、そのぐらいデリケートな問題だったのです。

拘束されて初めて「軽率な行動だったかな?」と思いましたが、民族問題の根深さを知るには、いい経験でした。
植民地支配から解放されて70年以上経つ韓国でさえも、まだ日本にわだかまりがあるようなので、セルビアとコソボの和解にも時間がかかるのかもしれません。

その日のうちにマケドニアのスコピエに戻って一泊し、次の日にスコピエから高速道路を走って、ベオグラードに戻ってきました。ベオグラードから、モスクワを経由して、成田へ。

現地8日間、往復の飛行機を含めて10日間の長い旅でした。
8日間の走行距離は3300km。
短期間でこんなに長い距離を走ったのは、初めて。

日本と違って、道があまり混んでいなくて、信号も少ないのですが、それでも1日平均400キロ以上の運転は疲れました。
3分の2くらいは高速道路で、あとは一般道。

まあ、8日間で8ヵ国を巡る強行軍だったので無理は承知だったのですが、日中の3分の2くらいは車の運転に費やしていましたね。

今回、巡った8ヵ国のうち、セルビアとクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビア時代に訪れたことがあるので、新たに訪問したことになるのは、スロベニア、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア、コソボの5ヵ国。
8ヵ国すべて通貨が異なるので、両替が大変でした。
数時間滞在の、ボスニア・ヘルツェゴビナでは両替をせず、お金も使いませんでした。

しかしこれで、私の訪問国総数は、80ヵ国に。
まだまだ先は長いのですが、100ヵ国訪問が少し見えてきたかもしれません……。
プロフィール

浅井潤水(じゅんすい)

Author:浅井潤水(じゅんすい)
大阪生まれ、5歳より18歳まで奈良で育つ。大阪の大学を卒業後、東京の出版社に就職。総合月刊誌、写真週刊誌、ワンテーマ・マガジン、新書、文庫などの編集に従事した後、現在は生産管理部門勤務。
おもな担当書に、下川裕治『格安エアラインで個人旅行が変わる!』、鳥塚亮『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略』、松尾貴史『ネタになる統計データ』、小篠綾子『コシノ洋装店ものがたり』、吉田友和『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』、坂井優基『現役機長が答える飛行機の大謎・小謎』、三浦展・菊入みゆき『職場で“モテる”社会学』、碓井孝介『偏差値35から公認会計士に受かる記憶術』、『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』、週刊「昭和の鉄道模型をつくる」、ジミー大西『トーテンくんのオーケストラ』などがある。

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